赤い糸

 

 美緒は、中年好みを疑問に思う時もあったが、自分の感じる体を嫌いになれなかった。体が求めるものをあえて心で遮りたくなかった。でも、鳥羽の意見を聞かされるたび、次第に、自分の性癖に悩むようになっていた。178だからといって、中年を好きになってはいけないというようなそんな道徳や恋愛観はない。恋愛は、いかなる場合も自由だと思い続けていた。でも、最近では、同年代の男子を好きになれない自分に疑問を感じるようになっていた。また、どうして若い男子に感じないのか?このような疑問がたびたび起きていた。ところが、ここ23日前から、鳥羽の顔を思い浮かべていると、次第に熱くなる自分に気づいた。若い男子を思って熱くなったのは、鳥羽が初めてであった。

 

 なぜ、あのブサイクな顔に熱くなるのか不思議だったが、初めての経験にうれしさが込み上げるのだった。そして、夜寝るときにはおやすみなさい、朝起きるときにはおはよう、と鳥羽の顔を思い浮かべ、心の底であいさつをするようになった。怪物のようなブサイクな顔と嫌悪していたが、なんとなく、かわいく見えてきて、いつでも、じっと見つめてほしい気持ちになっていた。そして、鳥羽のやさしいキスで起こしてほしいという願望が起きているのではないか?と自分の気持ちを確かめてみた。すると、朝起きれないのは、沢富との別れの悲しみが原因ではなく、鳥羽への恋心であることが判明した。そのことがわかるとますます鳥羽への恋心か強くなった。

 

 小学校のころから作られた性癖は、体が疼き出すと頭が真っ白になることだった。父親の横でいったん眠りにつくと夢遊病者のように無意識に体が動いているようだった。朝起きてみると、穿いていたはずのショーツが脱ぎ捨ててあった。必死に思い出そうとしても、昨夜の自分の行動は思い出せなかった。そして、なんとなく、不思議な満足感に包まれるのだった。沢富のマンションに行った時も、突然、頭が真っ白になり時間の空白ができた。気づいた時は、ベッドの上でふんわりとした満足感に包まれていた。突然変異が起きたのか、ここ数日前から、鳥羽の笑顔が脳裏に現れると次第に体が熱くなるようになった。そして、沢富の時と同じように頭がぼんやりとし始めた。

 

 

 


 頭の中に時間の空白が起きると美緒の左手はスマホを握り、右手の指は鳥羽のイニシャルをタッチしていた。一方、朝の五時に起きた鳥羽は、安部教授の膨大な実験データを論文に引用できるようにエクセルで整理していた。頭をフル回転させエクセルを操作しているとヘビーローテーションの着メロが鳴り響いた。今頃だれだろうとスマホを覗くと美緒からだった。こんな時に美緒かと内心舌打ちしたが、スマホにタッチした。「はい、何だい?」美緒は、即座に苦しそうな声で助けを求めた。「助けて、苦しいの。起きれないし、熱もあるみたい。早く、助けて」鳥羽は突然の助けを求める悲痛な声に腰を抜かした。もしかしたら、食あたりでも起こしたのではないかと思った。

 

 鳥羽は、即座に返事した。「わかった。きっと、食あたりだ。今すぐ行く。待ってろ」残りは午後にやることにして美緒のマンションにかけていった。鳥羽は、エントランスから大声で「開けて下さ~~い。お願いしま~~す。病気なんです」と管理人を呼んだ。入口左手にある管理人室でTVを見ていた管理人が何事かとびっくりしてエントランスに現れた。303号室の友達が急病ですぐに来てほしいという連絡があったことを管理人に伝えると疑いのまなざしでしぶしぶ入館を許可した。鳥羽は、刑事上がりのような鋭い目つきの管理人と一緒にエレベーターで3階に上がった。

 

 二人が303号室のドアの前に立つと管理人は、鳥羽に大声で相手の名前を呼ぶように指示した。しかめっ面の管理人の顔をちらっと見ると鳥羽は、大きな声で美緒に到着を伝えた。「みお~~、大丈夫か~~?助けに来たぞ~~」奥のほうから美緒の声が返ってきた。「入って、鳥羽ク~~ン。ありがとう~~」管理人は、不審者でないことを確認し、入室を許可した。「ここは、男子禁制だ。病状がひどいようだったら、救急車を呼ぶように。今回は特別だぞ。30分以内に出ていくように。いいな」目を吊り上げた管理人は、命令口調でそういうと熊のようにのっそのっそと巨体を揺らしながらエレベーターに向かった。

 


 鳥羽は、駆け足でリビングに行くとリビング右手の部屋のドアを押し開けた。ベッドには、美緒が苦しそうな表情で寝ていた。鳥羽は、ベッドの枕元にかけていった。「おい、大丈夫か?昨日、何喰った。食あたりじゃないか?熱は何度だ?」美緒は、小さく首を振った。「はかってない。起きれないんだもん。食あたりじゃないと思う。夕食は、野菜炒めとさんまの焼き魚、それとみそ汁にご飯。食後はデザートのキーウイとヨーグルト。あたるようなものは食べてない。体がだるくて、頭がボ~~とする。風邪かな~~」美緒は、適当に答えた。

 

 鳥羽は、管理人の言葉を思い出し、体調を確認した。「病院に行かなくてもいいのか?起きれないんだったら、救急車、呼ぼうか?」美緒は、素早く顔を振った。「大丈夫。鳥羽君が来てくれたから、気分が落ち着いた。さっきまで、心細くて、涙が出そうだった。しばらくしたら、元気が出ると思う」鳥羽は、このままほっといていいか悩んだ。管理人の30分以内という時間制限を思い出し、一応体温を確認することにした。「体温計は、どこだ?一応、体温は測っておかないとな」体温計はクローゼットの中の木製の救急箱にあった。半身になった美緒は、クローゼットを左手で指さし返事した。「そこのクローゼットの中に救急箱がある。そこに入ってる」鳥羽は、クローゼットを開き中をのぞいた。クローゼットにかけられていた甘い香りのする服の下に救急箱は置かれてあった。

 

 救急箱を開けた鳥羽は、体温計を取り出し、枕元にやってきた。「はいよ」体温計を受け取った美緒は体温計をわきの下に差し込んだ。「鳥羽君って、やさしいのね。きっと、熱は下がってると思う」元気そうな美緒の笑顔を見た鳥羽は、管理人の話をすることにした。「あの管理人、ちょっと怖いよな。刑事あがりじゃないか。容疑者を見るような目つきで、俺をじろっと見るんだ。参ったよ。しかも、30分以内に出て行けとさ」美緒も管理人が怖かった。「鳥羽君も、そう思う。ほんと、怖いのよ。たとえ彼氏でも、入れないみたい。今回は、美緒が病気ということで、特別に入れたんでしょ」美緒が言う通りだった。鳥羽は、時間を気にしていた。「あの管理人は、おっかないよ。時間をオーバーでもしたら、放り出されるんじゃないか」

 

 

 

 

 


 美緒もそんな気がした。「あと何分ぐらい?」鳥羽は、腕時計を見た。「あと15分ぐらいだな。美緒が元気そうだから、安心したよ。もういいんじゃないか?」美緒は、体温計を取り出すとメモリを読んだ。「36.6℃、よかった。胸も苦しくなくなったし。なんだか、気分がすっきりしてきた。鳥羽君の念力よ」念力と聞いた鳥羽は、ワハハ~~と笑い声をあげた。「まあ、そういうことにしておこう。とにかく、元気な顔が見れて、ホッとしたよ。もう、そろそろ帰らないと。あの管理人、怒鳴り込んでくるような気がする。でも、ああいう管理人は、親御さんには人気があるんだよな。最高の虫よけになるからな」美緒もクスクスと笑い声をあげた。「鳥羽ク~~ン、駆け付けてくれたお礼に、いいものあげようか?」

 

 鳥羽は、恩を着せているようで、お礼に物をもらうのは気が進まなかった。「いや、そう気を使わなくていいさ。困ったときは、お互い様さ」美緒は、掛け布団をはねのけるとヒョイと起き上がった。小さなキティーちゃんがちりばめられたパジャマ姿の美緒は、ベッドをするりと降りてクローゼット横にあるピンクの5段チェストに向かった。背を向けた美緒は、鳥羽に声をかけた。「鳥羽君、あっち向いてて」鳥羽に背を向けたままゴソゴソ音を立てると小箱をもってベッドに戻ってきた。ベッドに腰掛けた美緒は、鳥羽にスヌーピーがプリントされた小さな箱を手渡した。「はい、お土産」鳥羽は、断ろうかと思ったが、せっかくくれたものを突き返すのも悪いような気がしてもらうことにした。

 

 手渡された小箱を両手で持って頭をちょこんと下げた。「そうか。悪いな。本当にいいのか?」美緒は、笑顔を作りクスクスと笑い声をあげた。「何が入っているかは、開けてのお楽しみ。後で、ゆっくり見てちょうだい」スヌーピーの小さなぬいぐるみでも入っているんじゃないかと思ったが、全く重さを感じない小箱に謎めいたものを感じた。「何だろな~~。そいじゃ、もう帰る」鳥羽は、笑顔を美緒に送り素早くドアに向かった。エレベーターを待つほどではないと思った鳥羽は、コトコトと靴音を響かせ一階まで一気にかけて降りた。管理人室をそっと覗くと、真剣な表情の管理人がノートパソコンのキーボードをたたいていた。鳥羽は、挨拶をして帰ることにした。「帰ります。大したこと、ありませんでした。お騒がせして、ご迷惑かけました。ありがとうございました」鳥羽に顔を向けた管理人は、無愛想な返事をした。「あ、そうか。それはよかった」鳥羽は、ちょこんと頭を下げて出口に向かった。

 


春日信彦
作家:春日信彦
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