赤い糸

 89日(火)ナオ子はひろ子に非番の確認の電話をした。幸運なことに、今日が非番だった。ナオ子は是非とも話したいことがあるとひろ子をランチに誘った。ひろ子も話したいことがあるということで11時にナオ子を迎えに行く約束をした。二人は、1115分にマンションを出発すると国道202を糸島方面に向かった。助手席のナオ子は、どこに行くか尋ねた。「人気のレストランって、どこにあるの?」ひろ子は、即座に返事した。「最近、よく、お客さんを乗せていくレストランで、エルミタージュっていう評判のお店。西区にあるんです。予約は12時。イタリアンのお店で、特に、オマールエビパスタがおいしいそうです。一度、オマールエビを食べてみたかったんです。ワクワクするわ」ナオ子もおいしいエビが食べられると聞いて急にお腹がすいてきた。

 

 赤のスイフトスポーツが、飯氏東(いいじひがし)交差点を過ぎて看板の指示に従って国道から南斜め方向の道に入っていくと、小さな森の中に童話に出てきそうなかわいいレストランが現れた。二人は正面の小さな駐車場から階段を上り入店すると愛想のいいウェイトレスの歓迎を受けた。店内はこじんまりとして豪華さはなかったが、ゆっくり話すのは最適なように思えてナオ子は気に入った。ひろ子が予約を伝えると二人は窓際のテーブルに案内された。ナオ子は腰を下ろして窓から南側を見てみると学校が見えた。「静かで、いいレストランじゃない。ちょっと気づきにくい隠れた場所にあるのに人気あるなんて、よっぽどおいしいってことよね」ひろ子は、恐らくそうだと思いうなずいた。「この前乗せたお客の話では、ここのシェフって、ヒルトンホテルで修業した人で、すごく腕がいいんだって」

 

 ご馳走に目のないナオ子の気持ちは高ぶっていたが、沢富の事情を話すことにした。「ついたばかりで、なんだけど、話というのはサワちゃんのことなの。ひろ子さんは、サワちゃんのこと、どう思う?はっきり言って、結婚の対象として考えられる?」突然の質問に一瞬顔が引きつったが、この件はいずれは話さなければならないと考えていた。「沢富さんは、いい人だと思います。でも、まだ、3回ほどしかデートしてないし、何と言っていいか。嫌いじゃないんです。何というか、自分の気持ちがはっきりしなくって。困ったことに、また、お見合いをすることになったんです。母は、すごく言い方だから、結婚したほうがいいっていうんです。もう年だし、バツイチだし、いい人だったら、結婚してもいいかなって、思うんです」 

 

 


 ひろ子のほうにもお見合いの話が来ていたことに唖然とした。ナオ子は、頭をフル回転させた。高ぶった気持ちを抑えながらしばらく考えた。こっちのほうもお見合いしてしまえば、結婚の可能性は高い。そうなれば、沢富の仲人の話は水の泡。そうなってしまえば、主人の警察署長の話も危うくなってしまう。どうにかして、二人のお見合いを阻止なければ。とにかく、二人にデートをさせて、沢富にプロポーズさせる以外に方法はない。身を乗り出したナオ子は、周りのお客に気を使って小さな声で話しかけた。「ひろ子さん、ちょっと、そのお見合い待ってもらえない。サワちゃんが、ぜひデートしたいって言ってるの。お見合いは、サワちゃんの気持ちを聞いてからってことにしてほしいの。お願い。いいでしょ」ナオ子は、両手を合わせてお願いした。

 

 ひろ子も沢富には一度会ってお見合いのことを話したいと思っていた。悲壮な顔でお願いするナオ子が気の毒になり笑顔で返事した。「わかりました。私も、サワちゃんに会いたいと思っていたところなんです」ホッとしたナオ子は、お冷をグイグイッと半分ほど飲んだ。頭を冷やしているとオマールエビのパスタが運ばれてきた。ひろ子が目を丸くして歓喜の言葉を発した。「すっごく、いい香り。チョー、おいしそう。ナオ子さん、さあ、食べましょう」ナオ子も初めて見るオマールエビに目を丸くして、返事した。「ほんと、いい香り。どんな味かしら」二人は、目を輝かせ無言でパスタを口に押し込んだ。ひろ子は、歓喜の声をあげた。「こんなにおいしいパスタ初めて。人気があるのわかる。口コミで、関西からやってくるのも、納得、納得」

 

 無言でうなずいていたナオ子も笑顔で感想を述べた。「まったく、こんなの、初めて。こんなにおいしいエビがあったとは、今まで生きていてよかったわ。ひろ子さん、今日は、記念すべき日ね。そうだ、ひろ子さん、サワちゃんとここでデートしてはどう。きっと、サワちゃん、感激するから。ね」ひろ子もこのレストランだったら、ゆっくり話ができそうな気がした。「そうですね、サワちゃんに誘われたら、ここに案内します」ナオ子は、周囲を見渡し満席になってることに気づいた。そして、小さな声で尋ねた。「このエビって、高いんじゃない」ひろ子も小さな声で話し始めた。「いえ、リーズナブルなんです。ここのシェフは、すっごく気前がいいんだって。だから、オマールエビ目当てに、遠方からでもやってくるそうです」ナオ子は、ちょっと安心したのか、うなずいて窓の外に目をやった。 


 

              性癖(せいへき)

 

 1014日(日)美緒はまだベッドの中だった。カーテンの隙間から差し込んだ光は、湿った部屋をほんのり暖めていた。先週、沢富との別れを決意して以来、全身の力が抜けてしまったように何をするにもけだるく感じられた。昨夜も、沢富と別れた後のことを考えると、孤島に一人放り出されたかのようにさみしさでいっぱいになった。また、ここ数日、熟睡できない日々が続いていた。そのせいか、日曜日だからため込んだ洗濯物を洗濯しようと必死に起き上がろうとしたが、腰に力が入らず、少し体が浮くとドスンと体がもとに落ちた。時計の針は、すでに午前10時を回っていた。再度、よし、と気合を入れて起き上がろうとしたが、やはり、頭は持ち上がらなかった。

 

 しばらくぼんやりしていると、父親からゆう子へ、さらに沢富への性体験が脳裏のスクリーンに映し出されていた。今は亡き父親、別れが迫る沢富、二人のことを考えると、美緒はさみしさの谷底に引きずり込まれる思いだった。沢富が現れてからは、ゆう子との関係はなくなった。でも、沢富との別れが決まってから、ここ数日、ゆう子のことばかり考えるようになった。そんな時、奇妙なことに突然、鳥羽のブサイクな笑顔がスクリーンにクローズアップされ、美緒を励ますのだった。美緒は、同年代の男子とデートしたこともセックスしたこともなかった。また、同年代の男子アイドルにも興味がなかった。美緒にとって、同年代の男子を意識したのは初めての経験だった。

 

 心の底で、「鳥羽ク~~ン」と小さな声で叫んでみた。すると、バリバリド~~ンという天地を引き裂く爆音とともに、マグマのような鈍い輝きを放つ明石教授の巨大な眼球が暗闇の割れ目から現れ、それは鳥羽への純情を打ち砕くように鋭い視線を美緒の心に突き刺した。そして、一瞬にして、美緒の体は、蛇ににらまれたカエルのように体が動かなくなった。しばらくして、好色な明石教授の視線が消え去るとなぜか、基礎看護学実習の風景が脳裏に浮かんできた。この時、明石教授は必ずといっていいほど美緒に好色な視線を突き刺していた。そして、手を握ったり肩を触ったりするのだった。美緒は、自分の心が見透かされているようで恥ずかしかったが、体は自然に反応して熱くなっていた。小学校5年生の時からの性体験は、中年に反応する体を作り上げていた。

 

 

 


 明石教授には教職にあるまじきうわさがあった。美緒は、鳥羽から知らされたうわさで定かではなかったが、美緒に対する態度から信ぴょう性が感じられた。その噂というのは、彼には、数人の愛人がいるという噂であった。その愛人の中には、看護師だけでなく、学生もいるということだった。明石教授の好色な視線を感じるとその噂は本当のように直感できた。でも、それは、美緒にとって不愉快なことではなく、歓迎すべきことだった。沢富と別れた後は、次のセックスフレンドを作りたいと思っていたからだ。おそらく、ちょっとした誘いに乗れば、即座にセックスフレンドになれる予感がした。すでに、心の奥底に潜む淫靡な気持ちは、明石教授の誘いを待っていた。

 

 最近では、美緒の性感は明石教授の体を求め始めているのか、無意識にたわいもない質問をしたり、何気なく接触するようになっていた。あたかも美緒の体は、明石教授の魔の触手を引き寄せているようであった。周りの学生も、明石教授の美緒への態度に嫌悪感を感じ始めていた。一度、ある学生が、セクハラじゃない、と美緒に囁いたこともあった。美緒は、苦笑いして聞き流したが、明石教授の態度はそれほどあからさまなものだった。明石教授の美緒に対するセクハラのうわさは、美緒にとっても不愉快なものとなった。美緒へのセクハラのうわさが広がるぐらいならば、いっそのこと、美緒のほうからアクションをかけて、セックスフレンドの関係を作ってしまいたい気持ちになっていた。

 

 いったんセックスフレンドの関係を作ってしまえば、男性は関係がばれないようによそよそしい態度をとるようになることを知っていた。美緒は、11月に入れば、明石教授との関係を発展させてもいいような気持ちが強くなり始めていた。でも、そう思う一方で、鳥羽の忠告が頭の奥底から響いてくるのだった。中年はやめとけ、という言葉が頭いっぱいに響き渡ると同時に鳥羽の笑顔が浮かび上がってきた。心の底では、自分の性癖を変えたいという思いがないわけではなかった。でも、自分の力だけではどうにもならないこともわかっていた。今まで何度か、頭では過去を忘れようとしたが、体は決して忘れようとはしなかった。中年の明石教授に見つめられると、頭では拒否していても、体は反応し、すぐに熱くなるのだった。

 

 

 

 


春日信彦
作家:春日信彦
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