赤い糸

 頭が真っ白になったナオ子は、のそっと立ち上がり、幽霊のようにふらふらとキッチンに向かった。しばらくすると、気持ちを切り替えたのか笑顔で鍋を運んできた。「熱燗に鍋。くよくよしても始まらないじゃない。今日は、パ~~とやりましょう。ね、あなた」伊達も、深刻に考えても名案が浮かばないと思い、明るくふるまうことにした。「サワ、そう、深刻になるな。俺たちに任せとけ。要は、お見合いをぶち壊せばいいってことだ。な~~ナオ子」2本の徳利(とっくり)と3つのお猪口(ちょこ)をお盆にのせやテーブルにやってくると笑顔で腰掛けた。「サワちゃんは、このお見合いに乗り気じゃないんでしょ。だったら、相手に嫌われたらいいのよ。そうだ、ガサツな男を演じればいいのよ。相手って、良家のお嬢さんでしょ、ガサツな男は、嫌いなはずよ。これって、名案じゃない」

 

 

 沢富もなるほどと思った。要は、相手に嫌われればいい。いったいどうすればいいのか?沢富は、ナオ子に尋ねた。「ガサツって、どうやればいいんですか?是非、教えてください。今のままでも、結構ガサツなんですけどね」ナオ子は、大きくうなずき教師になったかのように胸を張って話し始めた。「いい、要は、下品なマナー。そうね、例えば、チューチューと音を立ててお茶を飲むとか、ムシャムシャと音を立ててご飯を食べるとか、ほかに、片肘ついて食べるとか、ため口で話すとか、いろいろあるじゃない。下品であればいいのよ。良家のお嬢さんだから、がっかりして、断ってくるわよ。サワちゃん、やってみなさい」なるほどと思い早速やってみることにした。

 

 お猪口のお酒をチュ~チュ~と音を立てて飲んでみた。次に片肘をついて湯豆腐をムシャムシャと音を立てて食べてみた。ナオ子が笑顔でほめた。「その調子。やればできるじゃない。きっと嫌がられるから。あ、そうだ、極めつけは、食べ終わったら、クチュクチュってお茶でうがいをするといいわ。間違いなく、嫌われる」伊達もここまで下品であれば、嫌われると思った。「いいぞ、サワ、その調子だ。徹底的に嫌われろ。さすが、ナオ子。こんないい手があったとは」後輩のお嬢さん相手に下品な真似はやりたくなかったが、この際恥を忍んでやってみることにした。「わかりました。できる限り、下品な振る舞いをやってみます。要は、相手に嫌われればいいんですよね」

 

 


 名案が浮かんだと思ってはみたが、ナオ子は何となく不安になってきた。というのは、35歳の相手はわらをもつかむ思いで臨むと考えたからだ。おそらく、少々の下品さには目をつぶって、結婚するように思えた。彼女もT大卒。サワちゃんの父親は警察庁長官。仲人は、法務大臣。これは、ちょっと甘く考えていたように思えた。「あなた、ちょっと、この作戦は、ヤバイかも。万が一、相手が、結婚したいって言ってきたら、どうしよう。それこそ、断るわけにはいかないでしょ。やっぱ、ダメ、お見合いしたら、それまでよ。とにかく、どうにかして、お見合いを断る作戦を立てないと」伊達は、首をかしげ、ナオ子に苦言を呈した。「そういっても、断るわけにはいかないんじゃないか?話を持ってきたのは法務大臣の奥さんなんだぞ。お見合いを断れば、サワの将来にかかわるんじゃないか?」

 

 ナオ子は、苦虫をつぶしたような表情で答えた。「そんなことは、わかってるわよ。だからといって、お見合いしたら、間違いなく、結婚させられるわよ。相手は、35歳よ。切羽詰まってるのよ。女も35歳を超えてしまえば、行けず後家よ。相手は、必死なの。そうだわ。こうなったら、ひろ子さんをご両親に紹介する以外ないわ。サワちゃんに、決まった人がいるとわかれば、相手の方も納得するはず。断ったとしても、相手を傷つけることはない。サワちゃん、すぐにひろ子さんにプロポーズしなさい。サワちゃんを救う道はこれしかない。ひろ子さんもきっとウンと言うから。サワちゃん。勇気を出して」沢富もお見合いをすれば、結婚を迫られるように思えてきた。

 

 しばらく、沢富が黙っていると伊達はお猪口をグイッと飲み干し、ハッパをかけた。「勇気を出せ。ひろ子さんに断られたときは、潔くあきらめろ。そうすれば、新しい道が開けるってものだ」ナオ子は、しかめっ面で伊達を見つめた。「あなた。何、弱気なことを言ってるの。ひろ子さんを説得するのが、仲人の役目じゃない。おぜん立ては、任せて。明日、非番を確認してみる。サワちゃん、うまくやって見せるから、勇気を出して、プロポーズするのよ、いい。男は、度胸。やるときは、やらなきゃ。結婚って、一大事業よ。わかった」沢富は、大きくうなずき返事した。「はい。清水の舞台から飛び降りる気持ちでプロポーズします。よろしくお願いします」

 

 


 89日(火)ナオ子はひろ子に非番の確認の電話をした。幸運なことに、今日が非番だった。ナオ子は是非とも話したいことがあるとひろ子をランチに誘った。ひろ子も話したいことがあるということで11時にナオ子を迎えに行く約束をした。二人は、1115分にマンションを出発すると国道202を糸島方面に向かった。助手席のナオ子は、どこに行くか尋ねた。「人気のレストランって、どこにあるの?」ひろ子は、即座に返事した。「最近、よく、お客さんを乗せていくレストランで、エルミタージュっていう評判のお店。西区にあるんです。予約は12時。イタリアンのお店で、特に、オマールエビパスタがおいしいそうです。一度、オマールエビを食べてみたかったんです。ワクワクするわ」ナオ子もおいしいエビが食べられると聞いて急にお腹がすいてきた。

 

 赤のスイフトスポーツが、飯氏東(いいじひがし)交差点を過ぎて看板の指示に従って国道から南斜め方向の道に入っていくと、小さな森の中に童話に出てきそうなかわいいレストランが現れた。二人は正面の小さな駐車場から階段を上り入店すると愛想のいいウェイトレスの歓迎を受けた。店内はこじんまりとして豪華さはなかったが、ゆっくり話すのは最適なように思えてナオ子は気に入った。ひろ子が予約を伝えると二人は窓際のテーブルに案内された。ナオ子は腰を下ろして窓から南側を見てみると学校が見えた。「静かで、いいレストランじゃない。ちょっと気づきにくい隠れた場所にあるのに人気あるなんて、よっぽどおいしいってことよね」ひろ子は、恐らくそうだと思いうなずいた。「この前乗せたお客の話では、ここのシェフって、ヒルトンホテルで修業した人で、すごく腕がいいんだって」

 

 ご馳走に目のないナオ子の気持ちは高ぶっていたが、沢富の事情を話すことにした。「ついたばかりで、なんだけど、話というのはサワちゃんのことなの。ひろ子さんは、サワちゃんのこと、どう思う?はっきり言って、結婚の対象として考えられる?」突然の質問に一瞬顔が引きつったが、この件はいずれは話さなければならないと考えていた。「沢富さんは、いい人だと思います。でも、まだ、3回ほどしかデートしてないし、何と言っていいか。嫌いじゃないんです。何というか、自分の気持ちがはっきりしなくって。困ったことに、また、お見合いをすることになったんです。母は、すごく言い方だから、結婚したほうがいいっていうんです。もう年だし、バツイチだし、いい人だったら、結婚してもいいかなって、思うんです」 

 

 


 ひろ子のほうにもお見合いの話が来ていたことに唖然とした。ナオ子は、頭をフル回転させた。高ぶった気持ちを抑えながらしばらく考えた。こっちのほうもお見合いしてしまえば、結婚の可能性は高い。そうなれば、沢富の仲人の話は水の泡。そうなってしまえば、主人の警察署長の話も危うくなってしまう。どうにかして、二人のお見合いを阻止なければ。とにかく、二人にデートをさせて、沢富にプロポーズさせる以外に方法はない。身を乗り出したナオ子は、周りのお客に気を使って小さな声で話しかけた。「ひろ子さん、ちょっと、そのお見合い待ってもらえない。サワちゃんが、ぜひデートしたいって言ってるの。お見合いは、サワちゃんの気持ちを聞いてからってことにしてほしいの。お願い。いいでしょ」ナオ子は、両手を合わせてお願いした。

 

 ひろ子も沢富には一度会ってお見合いのことを話したいと思っていた。悲壮な顔でお願いするナオ子が気の毒になり笑顔で返事した。「わかりました。私も、サワちゃんに会いたいと思っていたところなんです」ホッとしたナオ子は、お冷をグイグイッと半分ほど飲んだ。頭を冷やしているとオマールエビのパスタが運ばれてきた。ひろ子が目を丸くして歓喜の言葉を発した。「すっごく、いい香り。チョー、おいしそう。ナオ子さん、さあ、食べましょう」ナオ子も初めて見るオマールエビに目を丸くして、返事した。「ほんと、いい香り。どんな味かしら」二人は、目を輝かせ無言でパスタを口に押し込んだ。ひろ子は、歓喜の声をあげた。「こんなにおいしいパスタ初めて。人気があるのわかる。口コミで、関西からやってくるのも、納得、納得」

 

 無言でうなずいていたナオ子も笑顔で感想を述べた。「まったく、こんなの、初めて。こんなにおいしいエビがあったとは、今まで生きていてよかったわ。ひろ子さん、今日は、記念すべき日ね。そうだ、ひろ子さん、サワちゃんとここでデートしてはどう。きっと、サワちゃん、感激するから。ね」ひろ子もこのレストランだったら、ゆっくり話ができそうな気がした。「そうですね、サワちゃんに誘われたら、ここに案内します」ナオ子は、周囲を見渡し満席になってることに気づいた。そして、小さな声で尋ねた。「このエビって、高いんじゃない」ひろ子も小さな声で話し始めた。「いえ、リーズナブルなんです。ここのシェフは、すっごく気前がいいんだって。だから、オマールエビ目当てに、遠方からでもやってくるそうです」ナオ子は、ちょっと安心したのか、うなずいて窓の外に目をやった。 


春日信彦
作家:春日信彦
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