狂人たち

 86日(月)早速、安田は九学連の書記をしている柏木に相談することにした。その日、九学連執行部役員会を終え、柏木を中央図書館横のフォレストに誘った。改まった誘いに首をかしげ、柏木は、怪訝な顔をして安田の後について行った。入口から離れた西北の片隅に二人は腰掛けた。「悪いな。ちょっとお願いがあって、まあ、いやだったら、断っていいんだ。無理とは言わん。まあ、何と言っていいか、今週の土曜日、11日だが、ちょっと、俺に付き合ってほしいんだ。無理にとは言わん。ちょっと、見栄を張って、ダブルデートの約束をしたんだ。どうだろうか?」柏木は、甘いマスクの安田のことが好きだった。だが、安田には婚約者がいることを知っていて、好きだという気持ちは表には出さなかった。

 

 「先輩、でも、私とデートしたら、大変なことになるんじゃないですか?婚約者のリノさんが許さないでしょ。それに、私も、横恋慕みたいなことはしたくありません。きっと、トラブルになります。遠慮します」安田は、思っていたような返事に頭を抱えた。このまま素直に引き下がっても、次の当てがあるわけではない。とにかく、事情を話して、協力を願うことにした。「そうなんだが、これには深いわけがあるんだ。リノにデートを頼んだのだが、リノの都合がつかず、リノに断られたんだ。でも、どうしてもダブルデートは断られないんだ。深い事情は聞かず、どうだろう。俺を助けると思って、デートのお芝居をやってくれないか。頼む。この通り」両手を顔の前で合わせ、頭を下げてお願いした。 

 

 突然、頭を下げられ、柏木は困惑してしまった。お芝居のデートは、別にかまわなかったが、後でトラブルになるのだけは避けたかった。「先輩、もう一度、リノさんにお願いされたらどうですか?真剣に、事情を話せば、リノさんはわかってくれると思いますよ。私がでっしゃばったら、きっとトラブルになります」安田は、少し冷静さを取り戻した。確かに、リノ以外の女子とデートすれば、浮気したことになる。たとえお芝居のデートであっても、このような行為をリノが許すはずがない。最悪な場合、婚約解消になることも考えられた。「そうだな。君に迷惑をかけるわけには、いかん。わるかった」安田は、もう一度リノに事情を話し、説得することにした。

 

 


 その日の夕方、さしはら旅館に到着すると、早速、リノをティールームに誘いダブルデートの事情を話し始めた。「悪いな、忙しいところ。ほら、この前の話だけど。デートの話。あれだけど、どうかな~~。やっぱ、無理か?」リノは、首をかしげ、問い返した。「虹の松原でダブルデーね~~、悪くはないけど。ゆう子はどうなの?嫌がってるんじゃない?」安田は、監視についての事情を話すことにした。「それは、心配ない。ゆう子もOKだ。実を言うと、ダブルデートには、事情があるんだ。それというのは、ゆう子を守るためなんだ。ほら、彼氏っていうのが、名前はイサクっていうんだが、全く素性のしれないイスラエルの留学生だろ。いくら頭がいいからといって、変なことをしないって保証はない。そこで、万が一のことがあってはいけないと思い、ダブルデートってわけだ」

 

 リノは、安田の言っていることも一理あると思った。リノは、今でもダブルデートには乗り気ではなかったが、ゆう子のことも心配になってきた。外人のデートは、セックスがつきもの、とどこかの記事で読んだことがあった。「そうね、その留学生は、ホテルに連れていくつもりかもしれないわね~。今のところ彼女がいないとなれば、セックスしたくてウズウズしてるだろうし。う~~、これはヤバイかも。ゆう子は、全く、男のスケベ心を知らないし、やられるかも?」リノは、コーヒーを一口すすり、安田に協力することにした。「よっしゃ、一肌脱ぐとするか。ゆう子は、男子のことになると、からっきいしダメ。そう、そう、デートは、いつ?」

 

 承諾の返事を聞いた安田は、ホッとした笑顔を見せた。「今週の土曜日、11日だ。俺は、9時に、前原駅で二人をヴェルファイアに乗せることにしている」リノは、うなずき、頭の中では、どのビキニを着るか想像し始めていた。「わかった。イサクとやらをガッツリ観察するか。それと、ゆう子には、イサクの言葉を真に受けないようにって、忠告しとくし。ハルちゃんって、意外と心配性なんだね。ちょっと、かわいい。これで話は終わり?仕事しなくっちゃ。そいじゃ」リノは、すっと立ち上がり、駆け足で立ち去った。肩の荷が下りた安田だったが、稼ぎ時の夏では、皿洗いと清掃のお手伝いの激務が待っていた。若旦那が板についてきた安田は、自分の部屋に戻ると作業着に着替え、厨房にかけていった。


            

                                 打診

 

 その夜、執行部役員のヤコブから安田に是非話したいことがあると電話があった。そして、翌日、午後2時にさしはら旅館にやってくると言った。87日(火)ヤコブは、約束の時間にイエローのベンツAMGでやってきた。ヤコブが、国費で留学していると知ってはいたが、ベンツでやってくところを見ると、かなりのエリート待遇ではないかと察した。安田は、駐車場から長い脚でさっそうと歩いてくるヤコブに手を振った。そして、玄関に到着したヤコブに挨拶(あいさつ)した。「ようこそ、ヤコブ」ヤコブは、思ってた以上に大きな旅館に感嘆して挨拶を返した。「いや~~、素晴らしい。さしはら旅館の若旦那ってわけですね、安田さんは」

 

 二人は、フロント右側にあるティールームに入った。コーヒー二つ注文すると、早速ヤコブが話し始めた。「話というのは、我々が将来計画しているベンチャー企業設立に関することなのですが、今、優秀なスタッフを探しています。まあ、ヘッドハンターってとろこです。九学連会長の安田さんは、チャレンジングでリーダーシップもある。我々としては、安田さんを仲間に受け入れたいのですが、安田さんの将来は、旅館経営者でいらっしゃる。そこで、我々は、安田さんと遜色ない三島を仲間に受け入れたい。安田さんは、どう思われますか?」実のところ三島については、学生剣道チャンプと母子家庭だということを知っている程度だった。「三島ですか?確かに正義感が強く、チャレンジングなヤツです。でも、彼の将来については、聞いたことがない。直接、本人に聞いてくれ」

 

 ヤコブはうなずき話を続けた。「確かに、ところで、安田さんは、やはり、旅館の若旦那になられる予定ですか?確かに、若旦那のお仕事は、素晴らしいと思います。でも、実にもったいない。安田さんほどのカリスマ性を持った学生は、ほかにいない。そう、優秀な番頭を雇わられて、安田さんは、ベンチャー企業の設立をなされてはいかがでしょう。三島君とタッグを組めば、鬼に金棒じゃないですか。いかがですか?安田会長」安田は、ヤコブを同志とは思っていたが、ヤコブの心が今一つ読めなかった。「まあ、お誘いは、ありがたいのですが、こればっかりは、個人的なことではありませんから。残念ですが」

 

 

 


 ヤコブは、誘いを断ることは、読みのうちに入っていた。しかし、若旦那をあきらめさせる工作をすでに練っていた。「いや、そうですよね。リノさんの承諾もなしに、若旦那をやめるわけには行きませんよね。できれば、一度リノさんに相談いただけませんか?もし、安田さんと三島君がモサドの仲間に入っていただけるのであれば、納得の行く報酬は差し上げます。これは、本部の意向です。決して、この場限りの軽い言葉ではありません。我々は、カリスマ性のある仲間を必要としているのです。我々は、九州をイスラエルの重要戦略拠点として考えています。イスラエルの同志として、活躍していただけませんか。是非とも、お願いいたします」

 

 ヤコブの安田に対する期待は、大げさすぎるようだったが、安田も、心の奥底では、若旦那になるより、日本の将来のためにイスラエルの同志とともにAI産業を発展させたいと思っていた。「そうですか。そこまで期待していただいてるのですか。若旦那の件は、私の一存で決定できません。リノに一度相談してみます。先ほど言われた、報酬の件ですが、私はそれ相応の報酬を保証していただければ構わないのですが、三島は、母子家庭で母親の面倒を見ていかなければならない立場です。ですから、三島にとっては、報酬は重要な条件となります。どれほどの報酬が約束されるんですか?」安田は、ヤコブをまだ信用できなかった。というのも、日本では、お金で気を引いて、実際は支払い条件を付けて支払わない場合が多々あったからだ。

 

 ヤコブは、最低保証額の指示を受けていた。ヤコブは、この際具体的な交渉に入ることにした。当然、守秘義務を確約できたとしてだった。「わかりました。当然のご意見です。我々の仕事は、危険を伴います。単なる営業マンのような仕事とは違います。おそらく、日本の警察、CIAKGB、などとかかわることにもなります。そして、本部の指示には絶対服従の義務が課せられます。また、いかなることがあっても、知りえた情報は、公開できません。今話したことも、決して公開してはなりません。安田さん、守秘義務を守っていただけますか?」三島のためにも報酬額が知りたかった安田は、大きくうなずき返事した。「はい。守秘義務を守ります」ヤコブは、笑顔でうなずき報酬額を述べた。「保証額は10万ドル。日本円で、約1000万円。その他の活動に必要な費用は、その都度、支払われます」

 


春日信彦
作家:春日信彦
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