狂人たち

            

                                 打診

 

 その夜、執行部役員のヤコブから安田に是非話したいことがあると電話があった。そして、翌日、午後2時にさしはら旅館にやってくると言った。87日(火)ヤコブは、約束の時間にイエローのベンツAMGでやってきた。ヤコブが、国費で留学していると知ってはいたが、ベンツでやってくところを見ると、かなりのエリート待遇ではないかと察した。安田は、駐車場から長い脚でさっそうと歩いてくるヤコブに手を振った。そして、玄関に到着したヤコブに挨拶(あいさつ)した。「ようこそ、ヤコブ」ヤコブは、思ってた以上に大きな旅館に感嘆して挨拶を返した。「いや~~、素晴らしい。さしはら旅館の若旦那ってわけですね、安田さんは」

 

 二人は、フロント右側にあるティールームに入った。コーヒー二つ注文すると、早速ヤコブが話し始めた。「話というのは、我々が将来計画しているベンチャー企業設立に関することなのですが、今、優秀なスタッフを探しています。まあ、ヘッドハンターってとろこです。九学連会長の安田さんは、チャレンジングでリーダーシップもある。我々としては、安田さんを仲間に受け入れたいのですが、安田さんの将来は、旅館経営者でいらっしゃる。そこで、我々は、安田さんと遜色ない三島を仲間に受け入れたい。安田さんは、どう思われますか?」実のところ三島については、学生剣道チャンプと母子家庭だということを知っている程度だった。「三島ですか?確かに正義感が強く、チャレンジングなヤツです。でも、彼の将来については、聞いたことがない。直接、本人に聞いてくれ」

 

 ヤコブはうなずき話を続けた。「確かに、ところで、安田さんは、やはり、旅館の若旦那になられる予定ですか?確かに、若旦那のお仕事は、素晴らしいと思います。でも、実にもったいない。安田さんほどのカリスマ性を持った学生は、ほかにいない。そう、優秀な番頭を雇わられて、安田さんは、ベンチャー企業の設立をなされてはいかがでしょう。三島君とタッグを組めば、鬼に金棒じゃないですか。いかがですか?安田会長」安田は、ヤコブを同志とは思っていたが、ヤコブの心が今一つ読めなかった。「まあ、お誘いは、ありがたいのですが、こればっかりは、個人的なことではありませんから。残念ですが」

 

 

 


 ヤコブは、誘いを断ることは、読みのうちに入っていた。しかし、若旦那をあきらめさせる工作をすでに練っていた。「いや、そうですよね。リノさんの承諾もなしに、若旦那をやめるわけには行きませんよね。できれば、一度リノさんに相談いただけませんか?もし、安田さんと三島君がモサドの仲間に入っていただけるのであれば、納得の行く報酬は差し上げます。これは、本部の意向です。決して、この場限りの軽い言葉ではありません。我々は、カリスマ性のある仲間を必要としているのです。我々は、九州をイスラエルの重要戦略拠点として考えています。イスラエルの同志として、活躍していただけませんか。是非とも、お願いいたします」

 

 ヤコブの安田に対する期待は、大げさすぎるようだったが、安田も、心の奥底では、若旦那になるより、日本の将来のためにイスラエルの同志とともにAI産業を発展させたいと思っていた。「そうですか。そこまで期待していただいてるのですか。若旦那の件は、私の一存で決定できません。リノに一度相談してみます。先ほど言われた、報酬の件ですが、私はそれ相応の報酬を保証していただければ構わないのですが、三島は、母子家庭で母親の面倒を見ていかなければならない立場です。ですから、三島にとっては、報酬は重要な条件となります。どれほどの報酬が約束されるんですか?」安田は、ヤコブをまだ信用できなかった。というのも、日本では、お金で気を引いて、実際は支払い条件を付けて支払わない場合が多々あったからだ。

 

 ヤコブは、最低保証額の指示を受けていた。ヤコブは、この際具体的な交渉に入ることにした。当然、守秘義務を確約できたとしてだった。「わかりました。当然のご意見です。我々の仕事は、危険を伴います。単なる営業マンのような仕事とは違います。おそらく、日本の警察、CIAKGB、などとかかわることにもなります。そして、本部の指示には絶対服従の義務が課せられます。また、いかなることがあっても、知りえた情報は、公開できません。今話したことも、決して公開してはなりません。安田さん、守秘義務を守っていただけますか?」三島のためにも報酬額が知りたかった安田は、大きくうなずき返事した。「はい。守秘義務を守ります」ヤコブは、笑顔でうなずき報酬額を述べた。「保証額は10万ドル。日本円で、約1000万円。その他の活動に必要な費用は、その都度、支払われます」

 


 1000万円と聞いた安田は、鉄砲玉を食らったハトのように目を丸くして、身をのけぞった。固まってしまった安田は、しばらく、ヤコブを見つめていた。そして、気を取り戻した安田は、話し始めた。「いや、まあ、何と言って、返事していいか。とにかく、即答はできない。三島の将来のことは、全く知らない。とにかく、三島の考えを聞いてみる。報酬額については、信用していいんだな。三島にそのことを話すが」ヤコブは、大きくうなずき、返事した。「嘘は申しません。最低10万ドルの保証は確かです。これは、本部からの指示です。ぜひ、仲間に入っていただきたい。また、我々は、お互い、身の安全を確保しあっています。仲間は、信用できるものばかりです。裏切者はいません。安心してください」

 

 大きなため息をついた安田は、とにかく三島の意向を確認することにした。三島は正義感が強く、新しい日本をつくることに命をかけていた。また、三島には、母親を面倒見ていくお金が必要だった。モサドが提示した報酬は、十分すぎるように思えた。若くして、1000万円の報酬は、日本の企業では考えられない金額だ。三島であれば、ヤコブの申し出を受けるのではないかと思えた。「ヤコブ、とにかく、時間をくれ。三島の意向を確認したい。でも、期待はしないでほしい。それでいいだろうか」ヤコブは、ニンマリとした笑顔で答えた。「いいですとも、朗報を期待しています。日本の将来は、お二人にかかっているといっても過言ではありません。同志。イスラエルと日本の懸け橋になってください」

 

 早速、88日(水)午後3時、安田は、無理を言って部活後の時間に三島とフォレストで落ち合う約束をした。三島には、休みというものはなかった。夏季休暇でもバイトと部活の剣道に明け暮れていた。安田は、2時半にはフォレストの窓際の席に腰掛けて三島に話す内容をまとめていた。三島は、ちょうど3時にフォレストの入り口に鍛え挙げられた精悍な姿を現した。安田は、すっと立ち上がり、三島を手招きした。テーブルに着いた三島は、軽く会釈をして、静かに椅子を引き席に着いた。まさに、武士の立ち振る舞いであった。「わざわざ、呼び出して悪いな。喉が渇いただろ」カウンターに向かった安田は、オレンジジュースを二つ持って笑顔で戻ってきた。

 

 

 


 三島は、「いただきます」と言ってゆっくりとグラスを持ち上げた。安田は、一呼吸おいて、三島をまねるように背筋を伸ばし話し始めた。「話というのは、三島の将来のことなんだ。ぶしつけな質問なんだが、将来は、警察官になるつもりか?それとも会社員か?」突然の質問に戸惑ったが、今のところ警察官を希望していた。というのも剣道を続けたかったからだ。「まだ、はっきりとは決めていませんが、希望としては、警察官です。それが何か?」安田は、どのようにヤコブの話を切り出せばいいか考えた。「ほら、今、ブラック企業が多く、多くの若者が企業に食い物にされているからな。俺らも早めに就職のことを考えておかないと、ヤバイことになると思っているんだ」

 

 三島は、怪訝な顔付きで問い返した。「でも、先輩は、就職は決まっているじゃないですか。さしはら旅館の若旦那になるんでしょ。バラ色の人生じゃないですか。僕なんって、どうなることか。企業に人脈もないし、取柄はといえば、剣道だけです。しかも、病弱な母親の面倒を見なくてはなりません。本当に、就職のことが気になっているんです。たとえ、警察官になれたとしても、自分が生活していくだけの給料しかもらえないと思います。万が一、母親が入院するようなことがあれば、僕はどうすればいいか?そのことで、練習も身に入らないんです」三島が、これほどに母親のことで困っているとは予測していなかった。経済的に不安がある三島にとって、ヤコブの話は耳寄りな話だと思えた。

 

 安田は、三島の暗い表情を見つめ話し始めた。「話というのは、昨日ヤコブから打診された話なんだ。その内容というのが、AIロボット開発のベンチャー企業の仕事をやってみないかということなんだ。でも、これはあくまでも表向きの仕事でモサドの仲間にならないかという話なんだ。ただ、いったん仲間に入れば、モサドの絶対服従が義務となる。でも、報酬は悪くない。三島は、ヤコブたちの仲間になる気はあるか?そのことを確かめてほしいと頼まれた。俺もなんだが、俺の場合、リノがかかわっているから、俺の一存では決められない。即答でなくていい。考えてみてくれ」三島は、報酬のことが気になった。病弱な母親のことを考えると、報酬次第では、モサドになってもいいと思えた。

 

 

 

 


春日信彦
作家:春日信彦
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