狂人たち

 1000万円と聞いた安田は、鉄砲玉を食らったハトのように目を丸くして、身をのけぞった。固まってしまった安田は、しばらく、ヤコブを見つめていた。そして、気を取り戻した安田は、話し始めた。「いや、まあ、何と言って、返事していいか。とにかく、即答はできない。三島の将来のことは、全く知らない。とにかく、三島の考えを聞いてみる。報酬額については、信用していいんだな。三島にそのことを話すが」ヤコブは、大きくうなずき、返事した。「嘘は申しません。最低10万ドルの保証は確かです。これは、本部からの指示です。ぜひ、仲間に入っていただきたい。また、我々は、お互い、身の安全を確保しあっています。仲間は、信用できるものばかりです。裏切者はいません。安心してください」

 

 大きなため息をついた安田は、とにかく三島の意向を確認することにした。三島は正義感が強く、新しい日本をつくることに命をかけていた。また、三島には、母親を面倒見ていくお金が必要だった。モサドが提示した報酬は、十分すぎるように思えた。若くして、1000万円の報酬は、日本の企業では考えられない金額だ。三島であれば、ヤコブの申し出を受けるのではないかと思えた。「ヤコブ、とにかく、時間をくれ。三島の意向を確認したい。でも、期待はしないでほしい。それでいいだろうか」ヤコブは、ニンマリとした笑顔で答えた。「いいですとも、朗報を期待しています。日本の将来は、お二人にかかっているといっても過言ではありません。同志。イスラエルと日本の懸け橋になってください」

 

 早速、88日(水)午後3時、安田は、無理を言って部活後の時間に三島とフォレストで落ち合う約束をした。三島には、休みというものはなかった。夏季休暇でもバイトと部活の剣道に明け暮れていた。安田は、2時半にはフォレストの窓際の席に腰掛けて三島に話す内容をまとめていた。三島は、ちょうど3時にフォレストの入り口に鍛え挙げられた精悍な姿を現した。安田は、すっと立ち上がり、三島を手招きした。テーブルに着いた三島は、軽く会釈をして、静かに椅子を引き席に着いた。まさに、武士の立ち振る舞いであった。「わざわざ、呼び出して悪いな。喉が渇いただろ」カウンターに向かった安田は、オレンジジュースを二つ持って笑顔で戻ってきた。

 

 

 


 三島は、「いただきます」と言ってゆっくりとグラスを持ち上げた。安田は、一呼吸おいて、三島をまねるように背筋を伸ばし話し始めた。「話というのは、三島の将来のことなんだ。ぶしつけな質問なんだが、将来は、警察官になるつもりか?それとも会社員か?」突然の質問に戸惑ったが、今のところ警察官を希望していた。というのも剣道を続けたかったからだ。「まだ、はっきりとは決めていませんが、希望としては、警察官です。それが何か?」安田は、どのようにヤコブの話を切り出せばいいか考えた。「ほら、今、ブラック企業が多く、多くの若者が企業に食い物にされているからな。俺らも早めに就職のことを考えておかないと、ヤバイことになると思っているんだ」

 

 三島は、怪訝な顔付きで問い返した。「でも、先輩は、就職は決まっているじゃないですか。さしはら旅館の若旦那になるんでしょ。バラ色の人生じゃないですか。僕なんって、どうなることか。企業に人脈もないし、取柄はといえば、剣道だけです。しかも、病弱な母親の面倒を見なくてはなりません。本当に、就職のことが気になっているんです。たとえ、警察官になれたとしても、自分が生活していくだけの給料しかもらえないと思います。万が一、母親が入院するようなことがあれば、僕はどうすればいいか?そのことで、練習も身に入らないんです」三島が、これほどに母親のことで困っているとは予測していなかった。経済的に不安がある三島にとって、ヤコブの話は耳寄りな話だと思えた。

 

 安田は、三島の暗い表情を見つめ話し始めた。「話というのは、昨日ヤコブから打診された話なんだ。その内容というのが、AIロボット開発のベンチャー企業の仕事をやってみないかということなんだ。でも、これはあくまでも表向きの仕事でモサドの仲間にならないかという話なんだ。ただ、いったん仲間に入れば、モサドの絶対服従が義務となる。でも、報酬は悪くない。三島は、ヤコブたちの仲間になる気はあるか?そのことを確かめてほしいと頼まれた。俺もなんだが、俺の場合、リノがかかわっているから、俺の一存では決められない。即答でなくていい。考えてみてくれ」三島は、報酬のことが気になった。病弱な母親のことを考えると、報酬次第では、モサドになってもいいと思えた。

 

 

 

 


 身を乗り出した三島は、小さな声で問い返した。「先輩、モサドの報酬って、どのくらいですか?」やはり、三島は乗ってきたと思った。安田も小さな声で返事した。「1000万だ」三島は、1000万と聞き、耳を疑った。そして、さらに小さな声で問い返した。「本当に、1000万円ですか。間違いないんですね」安田も身を乗り出して周りを見渡して返事した。「モサド本部からの指示とヤコブが言っていた。間違いないと思う」三島は、背筋を伸ばし、しばらく安田を見つめた。そして、小さくうなずいた。「返事は、いつまでですか?それと、先輩は、どうなんです。先輩がOKなら、僕もOK です。これだけの報酬を約束するということは、かなり危険な仕事だということですね。でも、僕にはお金が必要なんです」

 

 安田は、リノのことで困っていた。「三島は、この話を受けると思っていた。でも、俺には、リノがいる。俺の一存では決められない。別に、俺は、若旦那という地位に未練があるわけではない。でも、リノと結婚する約束は守りたい。リノは、結婚すれば、俺が若旦那になるのは当然、と思っているに違いない。結婚して、若旦那になる気はないなどと言ったら、どうなることやら。離婚だけでは、済まないかもしれない。殺されるかも?リノは、いったん怒ると発狂するからな」安田は、ガクッと肩を落とした。三島の腹は決まっていた。だから、是非とも、安田にも仲間になってほしかった。

 

 「先輩の本心は、僕と同じなんですね。だったら、できるだけ早く、リノさんに若旦那の件を相談されてはどうです。AIロボット開発のベンチャー企業から誘いがあると率直に言って見てはどうです。別に、先輩が若旦那にならなくとも旅館は、経営できるんじゃないですか?」何度も、安田は、三島の言っていることも考えてみた。だが、リノを裏切るようで、そのことを言う勇気が出なかった。また、今、若旦那になる気がないなどといえば、きっと、婚約解消になるに違いないと思えた。安田は、頭を掻きむしってう~~と唸った。三島は、キョロキョロと顔を左右に振って周りを見渡した。

 


 

 う~~とうなったのは、安田の本心は、若旦那になるより、労働者の福祉を重んじるビジネスをやりたかったからだ。でも、このことをリノに打ち明けられないでいた。「困った。本当に困った。リノに何と言えばいいか。あ~~~」三島は、悩む安田に声をかけた。「先輩、一度、話してみてはどうですか?リノさんも、若者のためのビジネスをやるんだといえば、少しは考えてくれるんじゃないですか?悩んでいても、一歩も前進しません。先輩、一緒に戦いましょう。一か八か、ヤコブたちの誘いにかけてみましょうよ。このままだったら、日本の若者は奴隷になってしまいます。そうでしょ、先輩」

 

 肩を落としうなだれていた安田だったが、とにかくリノに思いを打ち明けてみることにした。最終的にリノに反対されれば、ヤコブの申し出を辞退することに決めた。「そうだな、とにかく話し合ってみる。悩んでいても、何にも始まらない。三島が言うとおりだ。でも、リノに反対されれば、俺はヤコブの誘いを断る。いいな、三島。三島は、自分の道を歩め。決して、俺は、引き留めることはしない。日本は、危機に立たされている。誰かが、やらねばならん。ヤコブたちを信じていいものか、今でも迷っている。でも、俺たちは、戦う以外道はない。たとえ裏切られたとしても、それも、運命だ。三島も、そのことは覚悟して、決断するんだな」

 

 三島は、少し不安になってきた。ヤコブたちは、本当に信じていいものなのか。単に、日本人の俺たちを利用しようとしているだけなのかもしれない。必要なくなれば、消されるかもしれない。できれば、安田と一緒に活動したかった。いざとなれば、ヒットマンから二人で逃亡したかったからだ。三島は、うつむいてしばらく口ごもっていた。三島は、顔を持ち上げると話し始めた。「僕には、お金が必要です。たとえ、裏切られて、消されても悔いはありません。できれば、先輩と戦いたいと思います。でも、先輩の決断に異議を唱えるつもりはありません。リノさんととことん話し合ってみてください。俺の腹は、決まっています」

 


春日信彦
作家:春日信彦
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