ピース

 「亜紀ちゃんのおうちね。チャットちゃん、亜紀ちゃんのおうちにだってよ。いったい何を考えているのやら。亜紀ちゃんのおうちに、何の用事なの。もう、夜よ。なにがあったのよ」ピースの危篤のことを話そうかと思ったが、少しためらった。でも、ひろ子さんは、ピースをかわいがってくれていた。「実をいうと、ピースが危篤なんです。だから、会いに行ってるんです」

 

 ピースが危篤と聞いて驚いたが、もっと驚いたことは、ヒフミンが大阪から福岡にやってきたことだった。目を丸くしたひろ子は、尋ねた。「っていうことは、ピースが危篤と知って、大阪から、今、やってきたってこと」ヒフミンは、うなずいた。「余命二日なんだ。一刻も早く、会わないと。ピースが生きているうちに、お礼を言いたいんだ。プロになれたのは、ピースのおかげなんだ」

 

 AIカラオケタクシーは空港通インターに乗り上げると糸島に向かっていた。余命二日と聞いて、ひろ子は不安になった。到着した時には、亡くなっているかもしれない。ピースが生きていることを祈った。「そうだったの。ピースはヒフミンの人生を変えた大切なネコだったのね。ピースもヒフミンに会えば、きっと、元気が出るわ」ひろ子は、ヒフミンがピースが生きているうちに再会できるように手を合わせて神に祈った。

 

 甘党茶屋の駐車場にAIカラオケタクシーが到着しするとヒフミンは飛び降りた。そして、明かりが見える亜紀のうちに一直線にかけていった。インターホーンを鳴らさずに、自宅に帰ったごとく、ドアを勢い良く開き、スリッパも履かず、廊下をかけていった。人影のないリビングを確認すると、ドタドタと階段を駆け上がった。三人は、聞きなれた足音にまさかヒフミンと思った。傍若無人の足音は、何度も聞いたことのあるヒフミンの足音だったからだ。

 

 ヒフミンは、亜紀の部屋をのぞき、すぐに、ピースの部屋のドアを開いた。ヒフミンの顔を見たアンナは、飛び上がって歓迎した。「ヒフミン、来てくれたの。ピースは、ここよ。眠ってるわ」ヒフミンは、ぐっすり寝ているピースに駆け寄った。そしてつぶやいた。「元気を出すんだ。ピース。僕は、ついに史上最年少のプロ棋士になった。すべて、ピースのおかげだ。名人になるまで、生きていてくれ。ピース」

 

 ピースは、ヒフミンの声を判別したようだった。ほんの少し目を開いた。そして、しっぽを左右に振った。それを見た亜紀が叫んだ。「しっぽを振った。ピースは、ヒフミンがここにいるのをわかったのよ。ピース、ヒフミンよ。大阪から、ピースに会いに来たの。よかったね。ピース」さやかもピースに声をかけた。「ヒフミンよ。ピースのおかげで、立派なプロになれたの。ヒフミンのプロの顔を見てあげて」

 

 ピースの目が一瞬開いたが、即座に閉じられた。そして、亜紀には、ピースの体がぴかっと光ったように見えた。今、天国に行ったのではないかと直感した。まさかとは思ったが、おなかに手を当てた。鼓動は消えていた。「ママ、ピースが・・」亜紀の目から涙が流れ落ちた。ピースは、痛みと引き換えに、ヒフミンに会えるまで天国行きの列車に乗るのを拒んでいた。別れを告げたピースは、今、未知なるエネルギーとなって無限の宇宙に旅立った。

 

 ヒフミンは、ピースの死を認めたくなくて、じっと耐えていたが、涙がこぼれ落ちた。アンナは、ヒフミンを慰める言葉が見つからなかった。その代わり、ピースの言葉を代弁することにした。「ピースは、ヒフミンに言いたかったと思う。名人になって、結婚してって。だから、ピースのために、どんなことがあっても、名人になるのよ。泣いてる場合じゃない。明日、朝の飛行機に乗って、帰りなさい。そして、必ず勝つのよ。ピースのために。いい」ヒフミンは、小さくうなずいた。

 木曜日の朝、7時ごろ、風来坊は、平原歴史公園の上空を旋回していた。亜紀の家の玄関から小太りの少年が出てくるを発見した。その少年は、アンナ、さやか、亜紀に向かってお辞儀をして、AIカラオケタクシーに乗り込んだ。そのタクシーは、国道202バイパスに向かって走っていった。風来坊は、ピースのことが心配で、カ~~、カ~~と亜紀に呼びかけた。亜紀は、上空を見上げ風来坊に手を振って合図した。朝食を終えた亜紀は、公園にかけていった。

 

 公園のベンチの背もたれにとまって、風来坊は亜紀がやってくるのを待っていた。息を切らせて走ってきた亜紀は、風来坊に声をかけた。「昨夜ね、ヒフミンが、大阪からピースに会いに来たの。ピースは、喜んでいたわ。とっても幸せそうだった。笑顔でみんなに別れを告げると、天国に向かったわ」ピースの死を感じ取った風来坊は、何も言わず、ピースを追いかけるように青空に飛び立った。

 

 風来坊は、いつものように伊都タワーで休憩することにした。今朝は、日曜日の奇妙な動物の先着はいなかった。鉄枠にふわっと飛び降りて、眼下に広がる糸島オリーブ園を眺めた。突然、風来坊の耳にオリーブ園方面から、ニャ~ニャ~とお腹を空かした子猫の泣き声がかすかに聞こえてきた。これは一大事と、風来坊は、オリーブ園の上空を旋回した。すると、必死に母親を探しているような真っ白な子猫が、目に飛び込んできた。

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
ピース
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