小説の未来(15)

 

                                 架空と現実

 

 すでに、小説は架空の世界であり、人間関係を詳細に描く言語芸術作品だと述べました。小説には、幾人かの人物が登場しますが、その時、彼らの家族における相互関係と他の家族との相互関係が多方面から描かれます。

 

そこで、家族ですが、家族は親子を中心とした組織です。人は人から生み出されます。だから、たとえ、地下のマンホール内で生活している孤児であっても親はいます。そう考えれば、地球上の人類は家族の集合体と言えます。

 

家族は、次第に小集団を形成し、それらは侵略戦争を繰り返しながら、大集団を形成していきました。ついには、その大集団は、軍隊を持つ国家を形成しました。また、各国家は、国家権力をもってパワーバランスを作り出しました。さらに、パワーバランスを具現化するために明確な国境までもが作り出されました。

                                     



戦場から逃れるため国家を脱出した難民と言われる人々がいますが、すべての人は、どこかの国家に属していると言えます。だから、登場人物を描くということは、彼らにかかわる家族と彼らが属している国家を描くことになります。

 

小説は、架空の世界を描くと述べました。と言うことは、家族も国家も架空と言うことになります。では、架空の家族や国家を描いて、どのような効果があるのでしょうか?

 

家族や国家は現実の姿をありのままに描写した方が読者には実感がわいて有用的ではないか、との意見が一般的なように思われます。でも、あえて小説が架空の家族や国家を描くということは、やはり、何らかの有用性があるからなのです。


私たちは、家族の構成員ですから、自分の家族を通して家族を認識しています。さらに、実感できない国家においては、日々の事件を報道するテレビや新聞で認識しています。そして、それらの情報をもとに自分なり国家観を作り上げています。

 

と言うことは、それぞれの人たちは、自分の感性と言語に基づいて家族や国家を認識しているのです。そのように考えると、家族観も国家観もその人固有のものだと言えるのです。

 

たとえば、ある番組に呼ばれた国会議員が、日本国家は軍事力を中心とした自由経済主義国家を目指すべきだ、と叫んだとします。たとえ彼が国家を代表するような大学の博士号を持っていたとしても、その考えは、彼の国家観にすぎません。

 

 また、子供の貧困は犯罪の増加と学歴格差拡大の原因となると考えた主婦が、日本国家は貧困をなくす福祉国家を目指すべきだ、とデモで訴えたとします。これも、彼女の国家観にすぎません。

つまり、現実の国家は明確に認識できるようで、意外とあいまいなものなのです。私たちは、現実世界に住んでいるから現実を認識していると思っています。でも、そうでない場合が多いのです。身近な例として、太陽は、東から西に動いているように見えますが、実は、地球が動いているから太陽が動いているように見えるのです。

 

そこで、現実世界の認識をより客観的に把握するために、小説が描き出す架空世界と我々が認識している現実世界を比較してみるのです。

 

春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(15)
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