小説の未来(15)

言語と国家

 

 私たちは、現実世界に生きています。だから、その人なりに現実をある程度認識しています。では、認識とはいかなるものでしょうか?目で見えたもの、耳で聞こえたこと、指で感じ取ったもの、鼻で匂いとして感じたこと、舌で味覚として感じ取ったもの、など五感で把握したものは、現実の認識と言えます。

 

 さらに、言語でも現実を認識しています。実は、文字と音声でとらえた現実こそが、自分が思っている現実に近いのです。と言うことは、その人それぞれの言語中枢によって、それぞれ異なった現実が生み出されているということなのです。

 

 小説は言語の集合体です。だから、小説が作り出す架空世界も言語の集合体でしかありません。国家について言えば、小説が生み出す国家は、言語の集合体としての国家と言うことです。ならば、実体はないのか、と言われるでしょう。

  その通りなのです。当然、架空国家には、実体はありません。では、現実の国家には、実体があるのでしょうか?ほとんどの方は、現実の国家には実体があると主張されるでしょう。でも、私には、そのように思えないのです。

 

 実のところ、国家は、実体があるようでないのです。というのは、現実の国家においても、私たちは、言語でしか国家を認識できないと言っても過言ではないからなのです。そして、言語で作り上げられた国家を現実の国家だと私たちは思い込んでいるのです。

 

 多くの方は、いや、そんなことはない。絶対、国家には実体があると言われることでしょう。現に、政治があり、国境があり、選挙があるじゃないか。また、国益があったからこそ、戦争をしてきたのだと言われるでしょう。まさに、戦争を正当化する国益と言う亡霊が誕生したために多くの人々は殺し合いをしてきたのです。

  国家は人からなる組織です。だから、人の組織であれば、人という実体がある。確かに、国家においても、生物的な実体として存在するのは、一人一人の人間だけなのです。そこで、生物的な実体に重きを置いて国益を言い換えると、「国民一人一人の利益」と言うことになるのです。

 

 そのように言い換えれば、人を殺すことは、その人の利益を奪うことになります。であれば、国益のために人を殺すということは、あり得てはならないことなのです。でも、歴史的に、呪術師のような国家に惑わされた国民は、国益という大義名分を妄信して殺し合いをやってきたのです。

 

 そう考えてみると、国家の実体は、一人一人の人間ではないということなのです。やはり、国家には実体がない、というほかないのです。国民が国家と言っているのは、言葉で作られた国家観にすぎないのです。それでも、国家の実体を強調される方がいるでしょう。

 

 国家は、固有の文化や言語を持った民族集団だ。国家には国民を統治する政府がある。現に、市役所や県庁で多くの公務員が働いている。など意見が聞こえます。なるほど、もっともな意見でしょう。でも、それは国家の実体を意味しているのでしょうか。

 

  国家公務員や地方公務員は、国家と国民のために働いています。税金収入の分配を受け取る彼らも、企業収入の分配を受け取る社員も、同じ国家の労働者なのです。彼らが公務員だからといって、彼らの存在をもって国家とは言えないのです。というのも、国家は国民によって成り立っているにもかかわらず、国民の意思と乖離(かいり)した国家意思と国民をコントロールする国家権力を持っているからなのです。

 

 そこで、声高に言われることでしょう。国家権力の背景には多くの兵隊からなる軍隊がある。軍隊を発動させる大統領や首相がいる。彼らは、まさに実体だと。でも、やはり、彼ら、一定の役割を遂行する人間であって、国家の実体ではないのです。

 

 先ほど述べたように実体としてあるのは、一人一人の人間なのです。どんなに人間が集まっても、人間でしかないのです。ところが、大脳新皮質の機能から生産された言語が、魔法のような働きをして、人間集団を国家という非生物的で凶暴な亡霊に変身させてしまったのです。

 

春日信彦
作家:春日信彦
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