オーディション

あきれた顔でスパイダーは、ネコを褒めた。「まあ、ネコはかわいいし、美しいし、上品だから、人間に行儀作法をしっかり教えてくれ。そうそう、話は変わるけど、明日、タクミちゃんが、伊都国アイドル発掘オーディションに出るって駄々(だだ)をこねてるんだって。それはいいんだけど、どうしても諦めなかったら、伊都文化会館まで、タクミちゃんを背中に乗せて行ってくれってアキちゃんがいうんだ。まったく、かわいい子供でも、無茶なことを言うもんだよ。イヌはウマじゃないんだ。いったい、イヌを何と思ってんだ」

 

ピースが笑いながらからかった。「なに、言ってんのよ。いつもアキちゃんにエサをもらってるんでしょ。こんな時こそ、恩返し、しなくっちゃ。頑張りなさい。タクミちゃんがオーディションに合格したら、ステーキを御馳走してくれるかもよ」ふくれっ面のスパイダーは言い返した。「バカなことを言うんじゃないよ。イヌのことだと思って。僕は、セントバーナードじゃないんだ。タクミちゃんが乗ったら、背骨が折れちゃうよ。あ~~、ついに、僕は人間に殺される。そんな冷たいこと言わず、ピース、助けてくれ」風来坊、卑弥呼女王、ポンタ、ピースたちは、ハハハと大声で笑った。

オーディション

 

 1022日(日)、亜紀は、アンナに嘘をついて家を出ることにした。「ママ、ちょっとタクミと公園に行ってくる」亜紀は、拓実にガンダムの帽子をかぶらせ、ブルーのスニーカーを履かせると右手を取って表の道路に出た。オーディションの第一次審査は午後1時からの開始と言うことで、予定通り午前10時に家を出発した。家から伊都文化会館までは、約6キロあるから、3歳の拓実の足で1キロ約20分かかったとして、約2時間はかかると考えた。当然、拓実のことだから、約200メートルも歩けば、疲れたと言って歩くのをやめると予想した。そこで、オーディションをあきらめるように、亜紀は拓実を説得するつもりでいた。

 

 政府は、国防軍慰問アイドルユニットプロジェクトを推進していた。具体策として、国防省の支援を受けた芸能プロダクションが、ユニットメンバーを集めるために全国各地でアイドル発掘オーディションを開催していた。そのことから、へき地の糸島市でも伊都国アイドル発掘オーディションが開催されることになった。そのオーディションを知った隣の明菜ちゃんは、早速応募した。

 

拓実がオーディションに出るきっかけとなったのは、2ヶ月前の夕食での亜紀の話からであった。伊都国アイドル発掘オーディションに隣の明菜ちゃんが応募したとアンナに話したところ、その話を聞いていた拓実も出たいと言い出したのだった。アンナは、拓実はオーディションの意味が分かっていないと思い無視したが、拓実はしきりに亜紀に出たいとせがんだのだった。年齢欄に3歳と記入していれば、おそらくいたずら応募と思われ無視されるに違いないと思った亜紀は、拓実を納得させるために、歌う題名を“桃色吐息”と記入しぶしぶメールで応募した。ところが、なぜか、第一次審査のエントリーナンバーが送られてきた。

 

第一次審査のエントリーナンバーが送られてきたことをアンナに話したところ、それは何かの間違い、と鼻で笑われ、すぐに断りの電話を入れるように言われた。亜紀もおそらく何かの間違いだと思い、断りの電話を入れようと思ったが、拓実は絶対出ると駄々(だだ)をこねた。困り果てた亜紀は、歩いて約2時間かかる会場まで、歩いて行くのなら連れて行くと脅したところ、脅しの意味が分からなかったのか、意に反して拓実は歩いて行くと言い張った。拓実はまだ3歳だから、2時間も歩くことはできないと、何度も言い聞かせたが、それでも、行くと言い張って、泣きわめいた。

 

 困り果てた亜紀は、当日、とにかく拓実を会場に連れて行って、アンナに断ってもらおうと考えた。そのことをアンナに言ったところ、「ママに恥をかかせるつもり」と一蹴され、亜紀は途方に暮れてしまった。思い切って断りの電話を入れようと何度も思ったが、拓実の泣き叫ぶ顔を思い出すとどうしてもできなかった。拓実にあきらめさせるには、実際に当日歩かせて、足が痛くなって歩けなくなったときに、あきらめるように説得する以外にないと思った。

 

 オーディションの審査員たちから、拓実が女子に見られるようにピンク色のキュロットスカートを穿かせた。亜紀は、女装した拓実の右手を引いて歩きながら、神様お願いします、どうか拓実が諦めますように、と心でつぶやいていた。スパイダーはいつものように二人の前をキョロキョロとあたりを見渡しながらあちらこちらチョコチョコと走り回っていた。二人は南北に走る公園西側の通りから東西に走る大きな通りに出ると左に曲がり西に向かって歩道を歩いた。

 

左折してから200メートルほど歩くと、拓実が立ち止まった。亜紀は“やった”と心で叫んだ。そして、もう帰ると拓実が叫ぶと思った。拓実が腰を落として叫んだ。「おねえちゃん、おんぶ、おんぶ」亜紀は目を吊り上げた。あの時は、歩くと約束したのに。何がおんぶよ。絶対におんぶなんかしてやるものかと思った。亜紀は大声で拓実を叱った。「何がおんぶよ。歩くって言ったじゃない。歩くのが嫌なら、諦めなさい。もう帰ろう。さあ立って」

 

 亜紀は、拓実の右手をグイッと引っ張ったが、頑として立ち上がろうとしなかった。拓実は、駄々をこねた。「いやだ。おんぶ。絶対、行く。おんぶ、おんぶ」亜紀は心で叫んだ。“この裏切り者、絶対おんぶなんかしてやるものか。”目を吊り上げた亜紀は、何度もたくみの右手を引っ張ったが、それでも、立ち上がろうとしなかった。ついには、ワア~~~ン、ワア~~~ン、と泣き叫び始めた。「おねえちゃんのイジワル。おんぶ、おんぶ」亜紀は、まさかこんな展開になるとは思ってもいなかった。通りすがりの人が見たらいじめていると思われるようで亜紀まで泣きたくなってしまった。

 

 拓実はいったん泣き始めるととことんなく癖があった。しゃくだけど、ちょっとだけおんぶして、あきらめさせることにした。「分かったから、泣くのは、やめて。ちょっとだけだからね。分かった」亜紀が拓実の前で腰を下ろすと拓実はジャンプして背中に飛び乗った。「やったー、レッツゴー。走れー、走れー」亜紀は超ムカついた。何が走れよ、心の底から怒りが爆発すると畑に放り投げてやろうかと一瞬思った。

春日信彦
作家:春日信彦
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