小説の未来(11)

言語娯楽と映像娯楽

 

 小説の役割の一つに娯楽があると述べましたが、若者の中には、いや、娯楽と言えば、小説より映像ゲームでしょ、と言われる方が多々いらっしゃると思います。確かに、視聴覚を通して脳内に構築される映像は、色彩豊かで、躍動的で、刺激的でゲーマーを興奮させます。

 

線で構成された文字言語そのものには、網膜を刺激する光線を発する能力もなければ、音として感知される鼓膜の振動を作り出す能力もありません。

 

このことを考えると、視聴覚に直接うったえる映像ゲームの優位さが際立ちますが、それでいて、言語で構築される小説が、映像ゲームが主流の今日でも愛好されるのはなぜでしょうか?

この問いに対し、はっきりとした答えを出せないのですが、一つの答えとして、小説を構築する言語が、言語中枢に刺激連鎖を引き起こす起爆剤としての役割を果たしているからではないかと思っています。

 

言い換えれば、小説言語が読者の言語中枢を刺激して、刺激された言語細胞は、次から次へと新たな言語刺激を作り出し、さらに、イメージ刺激や音響刺激までも作り出しているように思われるのです。

 

 例えば、恋愛小説の一節に“キス”という言葉が現れ、黙読もしくは音読した時、読者はどのようなシーンを想像して、どのような気持ちを抱くでしょうか?

 

まだ、キスの経験がない女子でも、アニメや映画で見た浜辺でのキスシーンを思い浮かるかもしれません。その時、彼女の脳裏のスクリーンには、さざ波の音を耳にしながら、夕日に照らされ、彼氏に抱きしめられている姿が映し出されるのです。

 

キスの経験がある女子のスクリーンには、彼氏のとのファーストキスシーンが映し出されるだけでなく、心臓が爆発しそうな緊張感を伴ったワクワクした気持ちが胸の奥底から湧き起こるかもしれません。

 

 このように、いったん、小説言語によって読者の言語中枢が刺激されると、感情脳、イメージ脳、サウンド脳など脳全体に刺激は波及していきます。さらに、その刺激は、読者の実体験を超越した新たな脳機能をも引き起こすのです。このように考えてみれば、言語娯楽も映像娯楽に引けを取らない娯楽と言えるのではないでしょうか。

 

言語の特殊性

 

言語も娯楽には有効だと述べてはみましたが、いかんともしがたい困ったことがあるのです。それは、言語というのはあくまでも“記号”であって、五感を刺激する具体的な刺激物ではないということです。

 

つまり、小説の言語が、ある読者にとってはほとんど意味をなさない場合とか、言語中枢に作用しない場合とかがあるということなのです。

 

 例えば、小説に使われている言語が、現代の若者でも理解でき、感性に響くものであれば、作者の意図する表現効果が期待できます。でも、たとえ、日本語で書かれてあったとしても、現代の若者にとって、理解しづらく、ピンと来ない文章であれば、作者の思いは彼らに伝わらないわけです。

春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(11)
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