小説の未来(11)

言語の特殊性

 

言語も娯楽には有効だと述べてはみましたが、いかんともしがたい困ったことがあるのです。それは、言語というのはあくまでも“記号”であって、五感を刺激する具体的な刺激物ではないということです。

 

つまり、小説の言語が、ある読者にとってはほとんど意味をなさない場合とか、言語中枢に作用しない場合とかがあるということなのです。

 

 例えば、小説に使われている言語が、現代の若者でも理解でき、感性に響くものであれば、作者の意図する表現効果が期待できます。でも、たとえ、日本語で書かれてあったとしても、現代の若者にとって、理解しづらく、ピンと来ない文章であれば、作者の思いは彼らに伝わらないわけです。

ましてや、内容がどんなに面白くても、ドイツ語やフランス語などの外国語で書かれていたならば、日本人読者はどんな反応を示すでしょうか?それらの言語をまったく知らない読者であれば、意味不明の記号を目の前にして、即座に本を閉じてしまうことでしょう。

 

 映像と音響によって構成されたゲームであれば、難解な言語を媒介としないわけですから、子供から大人まで、視聴覚を使って楽しめるのです。家庭では、ちっちゃなお子さんだけでなくおじいちゃんまでが、スマホを手にして、真剣に画面を見つめ、指先を動かしているのではないでしょうか。

 

視聴覚に直接うったえるゲームは、即効的に快楽を与えてくれます。一方、文の集合体である小説が生み出す快楽は、左脳にあると言われる言語中枢の機能を経由して引き起こされます。

そのため、言語処理が得意な人にとっては、小説言語は快楽を与えるものとなりますが、言語処理が苦手な人にとっては、それは嫌悪感を引き起こすものとなってしまいます。

 

言い換えれば、小説言語は、書物を読むときの視覚、話を聞くときの聴覚、点字を指先で感じ取るときの触覚を媒介として、“言語中枢を刺激するだけ”にすぎないのです。

 

だから、作者が、読者はきっとこのように思ってくれるだろうとか、このように感じてくれるだろうとか、そのようなことを期待して作文していたとしても、作者の独りよがりになってしまう場合が多々あるのです。こう考えてみると、言語からなる小説の限界を感じざるを得ません。

 

ポケモンGO などは、老若男女問わず、国際的ゲームとして普及しています。現代の映像ゲームの普及から判断して、映像ゲームの快楽性は、群を抜いていると思われます。このようにゲームが生活の一部となってしまった現在、これから活躍していく小説家には、ゲーム時代の波に乗り遅れないための意識改革が必要とされるのではないでしょうか。

観念世界を作る小説言語

 

 小説言語も娯楽に役立つと述べましたが、そのほかに小説言語は、言語中枢を刺激することによって、感性を超越した観念世界の構築に役立っています。この観念世界は、五感とリンクしたものだけではなく、国家や社会という抽象的な観念世界をも含みます。

 

感性を超越した言語とリンクする観念世界は、映像で構築されるゲーム世界とは異質なものと言えます。確かに、ゲームにおける映像は、観念の創造にも役に立つと思われますが、抽象的な観念世界の構築には、言語の方が役に立つと思っています。

 

言語世界を考えてみると、小説以外にいろんな世界があります。物理学、化学、数学、生物学、医学などの自然科学も、経済学、法律学、商学、心理学、などの社会科学も言語世界と言えます。でも、それらに共通して言えることは、現実的な実用性が重んじられた言語世界ということです。

春日信彦
作家:春日信彦
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