小説の未来(10)

覚えのいい人と疑い深い人

 

 “覚えのいい人”は、勉強が出来る秀才のイメージがあって、なんとなく印象がいいのですが、“疑い深い人”はいかがなものでしょう。ちょっと陰険で人づき合いが悪い印象を持ちますね。私は、後者の“疑い深い人”に属します。

 

覚えのいい人は、医者、弁護士、教職、のような資格を必要とする仕事に向いていると思いますが、疑い深い人はどのような職業に向いているのでしょうか?小学生の頃はそうでもなかったのですが、中学生になったころから疑い深くなりました。とにかく、物事を素直に受け入れられなくなってしまったのです。

 

 おそらく、多くの方は、このころになると大人の世界を嫌悪する時期ではなかったでしょうか?例えば、学歴社会です。受験勉強をして、いい大学に入るのが、立派な人間なのか?学歴で人を差別していいのか?そんな疑問を一度は抱かれたのではないでしょうか?

 

確かに、社会制度には、それなりのメリットはあります。でも、一方では、デメリットもあるわけです。人は、常識的な一面ばかりにとらわれて、気づきにくいもう一面を見逃しやすいのです。

 

 確かに、将来、医者や弁護士のような資格取得が条件の仕事につきたい人たちにとっては、多くの知識は必要です。だから、多くの言語クイズをやって、多くの言語知識を得ることは無駄ではありません。

でも、学歴という社会的資格を得るために長時間にわたって脳を酷使することは、言語中枢の発達には役立ちますが、一方、常識を疑うという心を失ってしまいます。また、独自の考えを構築する脳の発達の妨げになります。

 

 つまり、受験という言語クイズは、言語中枢を発達させるのには役立つが、疑う心と独自の創造の育成には役に立たないということなのです。記憶力の低い私の場合、受験勉強によって多くの知識を得ることはできませんでしたが、疑う心と小説を書くという創造の育成はできたようです。

 

当然、受験勉強において優秀であればそれに越したことはないのですが、記憶力が悪くて、希望する学歴を手に入れることができなかったとしても、決して悲観することはないように思うのです。

 

確かに、学歴は、就職において大きな武器となるでしょう。でも、社会生活をしていく上では、学歴以上に人間関係が重要になります。当然、人間関係において、言語力は重要な役割を果たします。そのことを考慮しても、還暦を迎えたこの年になって言えることなのですが、言葉を超越した心の働きによる人間関係があると思っています。

 

 言い換えると、いかなるものにも、長所と短所があって、ある事に秀でなかったことが、他の一面のメリットとなるということです。先ほどの例でいえば、受験勉強で秀でなかったことが、小説を書くうえではメリットとなった、と言えるのです。

私は、自分を疑い深い人と言いましたが、今でも常識を疑っています。私の場合、疑うことを止めてしまえば、小説は書けなくなってしまいます。私にとって疑うことは、小説の創造の核となっているのです。

 

 常識を疑うと言いましたが、疑う対象は、自分自身の常識、心、感情です。自分自身をとことん疑い、解析し、次に、それらのデータを集積し、創造するのです。疑うというと、マイナスのイメージを抱かれやすのですが、決して、疑うとは、否定することではありません。

 

 私は、アマ作家なので、プロ作家のように出版社の要望に応えるというような苦労はありません。そのことを考えれば、アマ作家は、自由気ままだと言えるのですが、だからこそ、プロ作家が書けないような作品が書けるのだと思っています。これからも、私は、疑い深い作家として、自由気ままに作品を公開できる作家でありたいと願っています。

                             作家と国家

 

 恋愛小説であれ、推理小説であれ、それらは主人公を中心とした人間関係のドラマです。言い換えると、主人公を取り巻く家族、学校、職場、国家などにおける人間関係を描くことになります。

 

それでは、家族、学校、職場、国家という組織とはいったい何なのかを考えてみましょう。人は、生まれて家族という集団の一員になります。そして、人は、学校とか職場の一員として生きていきます。

 

 家族は、人の集まりですから、生物的組織と言えます。同じように、国家も人の集まりですから、生物的組織と言えるでしょう。だから、あらゆる人は、集団に生きる人間相互の心の作用を受けながら行動しています。また、お互いの利害が円滑になるように、法律や道徳や一般常識という規制に拘束されながら行動します。

 

そこで、人の集団が国家なわけですから、国家を考える場合、構成員である国民について考えていくことになります。国民は、自分の意思で自分たちの代表を決定し、自分たちの思いを彼らに託します。そして、彼らは、国民の意思を実現するために、議会、行政、司法で国民の意思を実現させるための行動をします。

 

そう考えれば、国家は国民のために機能する生物的組織と言えます。ところが、生物的組織であるはずの国家が、どんなに解析しても理解できないような「非生物的な側面」を持っているのです。それは、怪奇現象と言っても過言ではないのです。

 

春日信彦
作家:春日信彦
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