小説の未来(9)

作品は“創作過程”の一瞬

 

 「有限と無限」という概念は、普遍的な課題となる概念ではないかと思われますが、私が思考する上で必ず条件づけられてしまう概念なのです。思考の中核をなす「有限と無限」は、創作過程においても重要な概念でもあります。

 

それでは、小説における「有限と無限」について述べてみたいと思います。小説は、料理のようなものとたとえましたが、このたとえで考えていくと説明しやすいのです。と言いますのは、小説(料理)の創作において、無限にある材料から自分が必要とする材料を探し出し、次にそれらを組み立てていくわけですが、その時点で機能している言語中枢の言語能力は、有限的なものと言えます。同様に、小説という作品が出来上がった時点では、その作品(料理)は有限的なものと言えるでしょう。

 

でも、おそらく、脳が記号化しうる認知対象物である材料は無限に存在し、記号やイメージなどを使った創作手法も無限に存在すると思われます。だから、人間の脳が存在する限り、作品(料理)は無限に創作され続けると言えるでしょう。また、創作材料は無限にあり、具体的な創作手法も無限にあるわけですから、精神活動の結果生み出される完成作品という終着点も、無限にあるといえます。

小説の創作とは、作品という有限に向かって、無限に存在する材料の探索と組み立てを可能な限り繰り返すという“思考過程”だと思っています。また、いかなる作品も完成品という終局を迎えているように見えて、実は、無限に続く創作過程の“一瞬”のように思えます。

 

いかなる作家もその人なりの創作手法を持っていると思いますが、私は、私なりの創作手法を持っていると思います。でも、はっきり言って、私の創作手法を理論的に、明確に、誰にでもわかりやすく説明することは難しいと言えます。

 

作家にとって、創作手法は非常に重要なものなのですが、おそらく、作家自身は、読者に対し明確に分かりやすく説明できないのが現状ではないでしょうか?現実には、多くの読者が、作家の気持ちと創作手法を作品から感じ取ってもらう以外ないようにも思われます。

条件的に成長する精神

 

小説は人間関係の根源となっている精神を具体的にドラマ化したものと言えますが、そこで、人間の“精神の成長”について考えてみたいと思います。

 

分かりやすいように子供の成長について考えてみたいと思います。成長過程にある子供の精神は、脳細胞が正常に成長すると仮定して、将来に対し無限の可能性を持っていると言えます。現実的には脳細胞の成長過程で複雑な条件が作用しますが、子供たちは、常識的に不可能と思われるような壮大な夢を描くことが許されます。

 

確かに、子供は、大人に向かって全身の細胞を増殖させ、徐々に成長するわけですから、将来に対し無限の可能性を持っていると言えるでしょう。また、子供たちは、家族、学校、職場、などという組織に条件づけられて成長し、社会、国家の一員として生きていきます。

でも、即座にお分かりのように、一個体の人間は、無限に生存する生物ではありません。死という終焉(しゅうえん)があるのです。人間の卵子が人間の精子を受け入れ、受精したならば、細胞分裂を繰り返し、人間として成長していきますが、それが成長し、数十年間生存したとしても、人間は必ず死に至ります。

 

死ぬということを有限とすれば、人間は、“有限なる物質”と言えます。一方、人間が永遠に子孫を残し続けることができると考えれば、人類は無限に存在すると言えるかもしれません。

 

ちょっと寄り道した話をします。宇宙は有限でしょうか?それともも、無限でしょうか?宇宙の外側は存在するのでしょうか?それとも、存在しないのでしょうか?宇宙は終焉を迎えるのでしょうか、それとも、無限に存在し続けるのでしょうか?ゼロに最も近い数字は、あるのでしょうか?また、最も遠い数字はあるのでしょうか?このような常識では回答できない質問をされると、不安になります。

春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(9)
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