SEKAI NO OWARI

<span itemprop="headline">底意地の悪い人間</span>

底意地とは、その人のあらゆる言動の基本となっている心のあり方のことである。底意地のいい人とは、旅番組で明るくふるまう一般人などのことではない。そもそも、明るかったり、笑顔だけで、その人がいい人か確かめることは出来ない。明るかったり、笑顔であるというのは、人間性があまりでないし、このような状態はだいたいみんな同じで、画一的である。人間性がでるのは、気分が悪いとき、機嫌が悪いときである。このような状態のとき、どうふるまうかによって、その人の人間性はでる。また、人間性やその人がいい人というのは、短期間で判断できないものであると思う。旅番組でちょっと、ものもらったりしただけで、いい人だなどと思うのはおかしい。

<span itemprop="headline">人間について</span>

人間の人格、性格などを評価するのに、すべての人間に1000項目ぐらいの評価に1~5の5段階評価で評価するとしたら、次に挙げるような奴は、総合して低い評価だろう。足をひっぱる、足をすくう、ちゃちゃをいれる、詮索する、干渉する。こういう奴のことを直情径行という。たしか思ったことを口にださずにいはいられない奴だ。

<span itemprop="headline">人間について</span>

学校や職場、道ばたなどで、誰かが何か嫌な現実、醜い現実を省みなければならなかったり、直視しなければならない光景を見たり、言ったりすると、小難しい顔をする奴がいる。交通事故の現場とか、人工呼吸器をつけた重度の障害者とかが例であるが、些細なことできまずいこととかにまで、いかにも自分は空気読んでます、とかとでも心の声が聞こえそうな奴は、いやだ、。どんな悲惨なことであれ、私は人の感情を理解できる人です、やさしい人間です、空気読める人間です、などという態度をとる奴は4流、5流の凡人である。

<span itemprop="headline">ローラについて</span>

ローラの父のニュースが世間を賑わせているが、まず、ローラはロオラともロウラとも読もうと思えば読める。そもそも、ローラと外国語の名前などを「-」とのばすのが、日本語特有のものと思える。ローラがテレビに出始めた頃、ローラ・チャンという外タレとだぶったことを覚えている。ローラの父のニュースではローラの謝罪コメントなども一緒に流れていたが、こういうニュースがあると、子は親のために謝罪したり、何かを犠牲にしたり(例えば、仕事をやめたり、自粛したり)しなきゃいけないのかという議論がわいてきても、おかしくない。頭のへんな奴は、こういうローラ関連のニュースに相乗りして、掲示板などでローラ犯したいとかいう奴がいてもおかしくないのではないか?

ポポロクロイスナルニア国物語
SEKAI NO OWARI
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