天空の笑顔

ゆり子は、このようなメールをもらっていたが、もっと他に、トモミを死に追いやる何かがあったんじゃないかと思えた。「トモミのことなんですが、清志郎さんに何か言い残していませんでしたか?どんなことでもいいんです。気にかかったことはありませんでしたか?」清志郎は、しばらく黙っていた。できれば、トモミのことは思い出したくなかった。というのは、自殺の原因の一つに、別れ話の痴話喧嘩があったと思ったからだ。

 

「まあ、トモミとは高校の時から、言いたいことを言い合ってきたから、男からすればどうでもいいような愚痴も聞いてあげてたさ。ハゲ上司のセクハラ、最低。残業ばっかで、死にそう。まあ、そんな愚痴をこぼしていたけど、でも、会社のことは、あまり話したくないようだった。それより、トモミにとっては、俺が会社をクビになったことの方が、ショックだったようだ。そのことで、“もうこの辺で、わかれようか”と俺が愚痴をこぼして、痴話喧嘩もしたし、トモミにはイヤな思いをさせた。もう少し、俺がしっかりしていれば、トモミは、自殺しなくてすんだんだ。自殺に追い込んだのは、俺さ」

 

意外な返事に、心臓をキリで突き刺されたような激痛が脳天まで突き上ってきた。どうにか痛みをこらえながら話を続けた。「自殺の動機が、過重労働、パワハラじゃなくて、別れ話の痴話喧嘩、っていうことですか?でも、トモミは、清志郎さんのことを大切に思っていました。トモミが、清志郎さんのことを本当に好きだったら、どんなにつらくても、自殺なんか、しません。わたしも女子だから、それは、はっきりと言えます。自殺の動機が、きっと、他にあるんです。なんでもいいんです。些細なことでもいいんです。思い出せませんか?」

清志郎は、もうこれ以上、トモミのことを思い出したくなかった。話を打ち切ろうと思った時、突然、脳裏に響いた言葉が気になった。「ああ、そういえば、“君のキャパが小さいから、こんなことになったんだ。もっと、効率よくやってたら、こんなことにはなってなかった。これは、君の責任だな、なんて言われちゃって。そんなこと言われても、どうすりゃいいのさ。いやになっちゃう。”そんなこと、ぼやいてたな~。その時、すっごく落ち込んだ顔してた。まあ、思い出せるのは、こんなことぐらいかな。もういいだろ、トモミのことは、ほっといてくれないか」

 

“責任”と聞いたゆり子は、自殺の動機は、これだと直感した。責任感の強いトモミは、何かの責任を取るために自殺したに違いない。もしそうだったとしても、どうして、私に相談してくれなかったの。会社に起きたことは、一人の責任じゃないはずよ。多くの人がかかわっているのよ。あたかも、トモミ一人の責任のような言い方をした上司が悪いのよ。許せない。ゆり子は、そう、心でつぶやくと、早速、清志郎から得た情報をひろ子に報告することにした。

 

AIの助言

 

10月15日(土)、ゆり子からトモミの件で報告を受けていたタクシードライバーひろ子は、F大学正門入口で、ゆり子と午後3時に合流する約束をした。ゆり子を拾ったAIタクシーは、サンセットロード沿いにある見晴らしのいい丘の上レストランに向かった。車に乗り込むとゆり子は、清志郎が言ったことをもう一度相談した。「ひろ子さん、清志郎さんが言ったこと、どう思われます?」

ひろ子は、ゆり子と同じ思いだった。責任感の強いトモミさんは、何かの責任を取るために投身自殺したように思えた。責任を押し付けられ、誰にも相談できず、これ以上苦しむのが嫌になったトモミさんは、この世から自分を消し去ってしまいたくなり、投身自殺したに違いないと推測した。「トモミさんは、責任の苦しみに耐えきれず、自殺したんだと思います。自殺に追い込んだのは、ブラック企業であり、トモミさん一人に責任を押し付けた上司ね。こんなことが、まかり通るなんて。許せないわ」

 

顔を紅潮させたゆり子は、何度もうなずき、目を吊り上げて同意の発言をした。「ひろ子さんも、そう思われますか。トモミは、何かの責任を押し付けられたに違いないのよ。生真面目で責任感の強いトモミは、誰にも相談できず、一人でもがき苦しんだんだわ。そして、どうすることもできず、命を絶ったのよ。なんて、ひどいことを。企業もクソ上司も許せない。トモミの恨みは、きっと晴らしてやる」

 

ひろ子は、ゆり子の身の上に危険な匂いをかぎ取った。不吉な予感で身震いしたひろ子は、ゆり子を落ち着かせねばと忠告した。「ゆり子さん、気持ちはわかるわ。でも、無茶は、ダメ。仇討ちなんって、やっちゃダメ。たとえ、ゆり子さんの推測が当たっていたとしていても、トモミさんは、自殺であって、他殺じゃないの。分かるでしょ。本当に悪いのは、上司じゃなくて、ブラック企業なのよ。悪魔のような企業が、人を死に追いやったの。トモミさんのことは、私に任せてくれない。知り合いの刑事に相談してみるから」

ゆり子は、唇をかみしめうつむいていた。ひろ子は、チャットちゃんに相談してみることにした。「ゆり子さん、チャットちゃんに聞いてみましょう。きっと、名案を話してくれるわ。元気を出して、ゆり子さん」静かに顔を持ち上げたゆり子は、涙を拭きながらうなずいた。「それじゃ、聞いてみましょう。チャットちゃん、二人の話は聞いていたでしょ。トモミさんの自殺は、間違いないと思うんだけど、責任をトモミさん一人に押し付けてトモミさんを自殺に追いやった企業と上司に報復する何かいい方法はないかしら?」

 

チャットちゃんは、素早く計算すると答えた。「企業と上司に対する報復の方法をお教えします。企業に対しては、企業の不正を暴き、その不正を世界中にネットを使って暴露しましょう。上司に対しては、まず、責任を押し付けた上司を特定してください。特定できたなら、その上司の暗殺をスナイパーに依頼しましょう。以上」チャットちゃんは、簡潔に回答したが、暗殺をスナイパーに依頼しましょう、という不法行為的な回答をしたことにひろ子は面食らった。

 

やはり、心理的、道徳的、宗教的、法律的応用問題におけるAIの判断は、人間のレベルには、程遠く、また、AIの判断が人間のレベルに到達するには、かなりの時間が必要ではないかと思われた。チャットちゃんは、推理小説、随筆、戯曲を書くのは得意ということだったが、現実と仮想の区別が、まだ明確にできないみたいだった。暗殺を勧めたということは、日本の刑法を順守するプログラミングがなされていないと言えた。

春日信彦
作家:春日信彦
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