てつんどの独り言 その2

第四章( 30 / 31 )

山手から根岸競馬場跡へ

 

 三月末、まだ桜にはちょっと早い頃、久しぶりに、横浜・山手から根岸競馬場跡を訪れてみた。

 

まずは用事があったのだ。大学時代から続く「三人会」の会場探し。二年ぶりに、今年は「三人会」をやろうと約束している。前回は横浜だったけど、海が見えないところだった。それで、「今度は海の見えるところ」でやろうと注文がついた。

 

67.1ベイブリッジ.JPG

 

<ベイブリッジ>

 

これがなかなか難しい。今までの経験でいうと、食事をしながら話が弾んでのんびりやると、まあ2時間はかかる。高級なホテルで部屋を取ると、目ん玉が飛びでる。かといって、海の見える流行りのレストランでは、1時間もいれば追い出されてしまう。海の見える良い席だと、よけいに追い立てられる。

 

みなとみらいや山下公園のホテルなんかには、とても手が出ない。何とか考えて、あまり流行そうにない、眺めのいい場所を当ってみた。港の見える丘公園は、海が見える場所だとは知っていた。このあたりに何処かないかと、ロケハンに出た。

 

2,3当たって、なんとか落ち着いた場所を探し当てた。個室を借りても、なんとか僕たちにも払えそうだ。食事が出来て、2時間半はOKとか。やっと、場所は確保できた。あとは、気候のいい時期を、皆と話して決めればいい。夏はいやだから、秋口になるだろう。これで、一安心。

 

一人でコーヒーを飲んで、さあ帰ろうかと思ったが、素晴らしい天気だ。このまま帰るのはもったいない。さて、と考えたら、そうだ、競馬場に行こうと閃いた。

 

67.3 根岸競馬場GoogleEarth.jpg

 

<グーグルアース>

 

山手の丘から尾根道をたどると、日本で初めて、洋式競馬場が作られた根岸台に至る。調べると、ここに慶応3年、1987年に外国人向けの横浜競馬場が出来たとある。古い歴史を持った競馬場跡だ。勿論、今は馬は走っていない。ジョギングの大人と、ガキたちが大きな声を出しながら走っている根岸森林公園。お飾りで、馬の博物館も存在している。

 

 ここは、僕の子供たちがチビだったころ、何度か連れて来ていた。広い草原が広がり、周りを林が囲んでいる。まさに森林公園だ。

 

グーグルの鳥瞰図でもわかる通り、楕円形の競馬場のコースの跡が、明確に残っている。それが外周の道になり、その内側は草原だ。子供たちと凧を揚げ、ボール遊びをしたのだと思い出す。僕の子供たちも、君たちの子供を連れて遊びに来ているのだろうか。

 

67.2森林公園.JPG

 

<草原>

 

心臓君のご機嫌を伺いながら、平たいところを選んで、なんとか、競馬場の観覧席(スタンド)の跡の残るはしっこまで行ってみようと、草原を横切った。子供連れのお母さんのグループや、学生たちのグループや、犬を連れた家族ずれたちが、場所を選んで広い草原と周囲の林を楽しんでいる。大きなピレニアン犬の白い顔も見える。小さなテントを張って、子供を寝かせている家族もいる。のびやかな、空気が流れていた。

 

観覧席(スタンド)は、米軍のフェンスで仕切られた向こう側に在って、なかなか、構図が決まらない。エイヤと撮ったのが、この写真。

 

67.4 競馬場跡.JPG

 

<フェンスの中の観覧席跡>

 

レースコースを一周歩いてみようかと思ったが、やめておいた。結構、起伏があるのだ。東京競馬場とか、中山とかのようにほとんどまっ平らというわけではない。昔の馬は、この山坂のあるコースを走っていたのだと知った。辛かったかも。

 

染井吉野に時期には早くて、早咲きの枝垂桜が鮮やかだった。

 

67.4.櫻.JPG

 

<枝垂桜>

 

戦後、米軍に占領されて、住宅地になっていた周囲も、昨年(2015)、返還されたはずだけど、競馬場として中心の観覧席はフェンスの中。近寄れない。

 

もう一つ思い出がよみがえった。この公園の外に、米軍の消防署があって、そこには、日本の真っ赤な消防車ではなく、アメリカではお馴染みの「黄色い消防車」がいたのを訪ねてみようと車を走らせた。しかし、残念。住宅地が返還されたと一緒に、役目を終えてシャッターが閉まっていた。

 

67.5根岸アメリカの消防署.jpg

 

<米軍の黄色い消防車>

 

帰り道のドルフィンは、まだ健在だった。でも、工場群がもうせんよりもっと沖まで出張ったから、美しい海は見られないだろう。もしかすると、工場群が見えるテラス席になってしまっているかもしれないと、ふと思った。

 

 

<写真の黄色い消防車は、「レッド・インパルス」の消防車ブログのオーナーの了解を得て、借用しています。 http://blogs.yahoo.co.jp/fire1143ts/12988253.html >

 

第四章( 31 / 31 )

散文詩 「しなの」 (信濃にて)

 

朝の空気の中を走る汽車のデッキで、

はく息も白く、白く千曲川が見える

 

90.0Puffyjet千曲川flickr2.0.jpg

 

①千曲川

 

何一つ見逃すまいとして目をみはる。

君には容易に想像できるだろう

 

もう信州は取り入れが終っている。

険しい山肌を、水が削って下りるのだ。

 まずしい農家の姿。

  そのたたずまいに、やわらかなわら屋根に、

   深い故郷が見える。

    朝まだき、火の見やぐらに灯が点いている

 

里芋と、桑とリンゴが広い盆地に広がって、

取入れの済んだ田畑を朝の雀がとぶ 

 

90.1りんご.jpg

 

②りんご

 

高い信濃の山々と、枝豆の赤き田畑とが、

 一つの世界にある

 

ひなびた小さな駅

朝の汽車が着く。 

 子らが手を振る

 

信濃の農家の屋根とおなじような山々、

 そして険しい峰。

 深く刻まれた山肌。

  これらの環境に生まれた人々の心は、

   どんなに深く、また美しいのだろう

 

ぶどう園、千曲川ぞいの村々を取り囲んで、

ちっぽけな屋根、屋根をしかと抱いて、

 この信濃の山々にいかに多くの人々が近づき、

  また別れていったのだろう

 

朝の踏切のカネが列車の後ろに消えるころ、

コスモスの咲く「さかき」についた

 

90.3さかき.jpg 

 

③さかき

 

カボチャの葉っぱが広くなっている。

お袋がそれを煮つけてくわせてくれた

 

ひとり、軽井沢から碓氷峠への道を、

 ザックをしょって歩く。

 秋の軽井沢、もう誰も帰ってしまって、

  蕎麦とリンゴと落葉と胡桃

 

静かな木立を落ち葉を踏んで歩けば、

視界をさえぎる木々の中を歩めば、

 沢の水音がきこえる。

  さわさわという音のみが

 

紅葉の葉をとおして高い空が見える。

雲もない筒抜けた空が

 

目の前の道に目を落として歩く。

ちっちゃな吊り橋が、

 揺れて山に架かっている。

  流れの滝に、ちっちゃな滝に、

   楓が赤い

 

風の音、沢の水音、そして私の足音のみの道、

唄うのを止めた私の耳に、

 枯葉が風に舞うサラサラという音が聞こえる。

  木漏れ日が、白いチラチラした斑点を作る。

   吹く風ごとに、後ろを振り返る私

 

落葉松の林を行けば、

 楓や木つたの舞台を行けば、

 スポットライト色の舞台を行けば、

  しみじみと落葉松を見れば、

    白樺が近づく。

    白い肌に手を触れて、

     そのごわごわしたものをめくってみる

 

妙義の見える峠に立って、

 浅間の見える峠に立って、

 秋の日差しの温かさを背に感じる

 

90.4碓氷峠ccbync.nd.2.0flickr Jun Taekuchi.jpg

 

④碓氷峠

 

高い空が、白い薄の原の上に広がる。

辰雄の「いい匂い」の風が、赤い屋根のちっちゃな小屋が、

 落葉松と薄の間に

 

リンゴをかじったその口に、蕎麦をはむ。

 

90.5蕎麦の花.jpg

 

 ⑤蕎麦の花

 

 

(信濃の続き、大阪なんばにて)

 

90.6大阪なんば.jpg

 

⑥なんば

 

コーヒーはもう冷たく、上から眺めている私たち。

 ガラスの向こうに三百万の人が歩む

 同じ町を、街を、市を、

  同じ信号で、たった一人で深い木立に

   歩みこんでいく。

    暗い深い谷に入り込んでいく。

     三百万ものちっちゃな世界の存在が

      風音と沢の水の音とともに

 

偶然あなたとお茶を飲むからといって、

りんごを食ったその口に、

 エクレアを甘く感じても、

  二つの世界は一つにならない。

 

 

この散文詩について

 

 この散文詩、「しなの」は、僕が大阪市立大学1回生(なぜだか、関西ではこういう)だった頃に、卒業した高校の冊子、「ささぶえ」に書いたものです。おそらく、記録の残っている一番古い文です。

 

 この年は、60年安保の年。市大は全学ストに入り、学長をはじめとした教職員と、学生とが一緒になって、御堂筋でフランスデモをやった年。民衆の意向がはっきり現れた、日本最後の時代だったかも…。

 

しかし、結果は僕に挫折感だけが残り、その秋、夜行列車で名古屋経由、中央本線から篠ノ井線、信越線で、信濃を歩いた時のもの。メランコリックな感じが、若さを感じさせてくれます。今はもう書けないものだとも思います。

 

その後の学生運動になじめず、市大を離れ、生まれ故郷、東京・谷中に舞い戻ったきっかけにもなった旅でもありました。

 

 若かった自分を思い出します。

 

 

 

使用した絵のクレジット

①: Flickrから Puffyjetさんの“千曲川”

   ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 表示 2.1

④: Flickr からJun Taekuchiさんの“碓氷峠”

   ライセンス:クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 2.1

著者プロフィール( 1 / 1 )

プロフィール

著者プロフィール

 

 徳山 てつんど(德山徹人)

          

194211日 東京、谷中生まれ

1961年           大阪市立大学中退

1966年           法政大学卒業

 

1966年 日本IBM入社

 

     システム・アナリスト、ソフト開発マネジャー、コンサルタント

   この間、ミラノ駐在員、アメリカとの共同プロジェクトに参画

   海外でのマネジメント研修、コンサルタント研修に参加

 

 1996年 日本IBM退社

 

 1997年 パーソナリティ・カウンセリングおよびコンサルティング

              ペルコム・スタディオ(Per/Com Studio)開設

 

EMailtetsundojp@yahoo.co.jp

 

HP:  http://tetsundojp.wix.com/world-of-tetsundo

  

著書

 

Book1:「父さんは、足の短いミラネーゼ」        http://forkn.jp/book/1912

 

Book2:「が大学時代を思ってみれば…」           http://forkn.jp/book/1983

 

Book3:「親父から僕へ、そして君たちへ」        http://forkn.jp/book/2064

 

Book4:「女性たちの足跡」                 http://forkn.jp/book/2586

 

Book5:M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その1

                           http://forkn.jp/book/4291

 

Book6:M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2」

                           http://forkn.jp/book/4496

 

Book7:「ミラノ里帰り」                http://forkn.jp/book/7276

 

Book8:「祭りのうた」                                   http://forkn.jp/book/8936

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