ユリアン

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(十三)
 人間の世界は実にさまざまな局面を含んでいるものだ。たとえば今や全盛期(今後の発展次第では初期であるのかもしれないが)にある個人の日記(日々の出来事の報告とそれについての感慨の付加)、いわゆるブログをのぞいてみると、まずはカテゴリー、あるいはジャンルを指定することになる。
 
 その可能性はたとえば大手のヤフーでみると、(カテゴリーが偏っているようにも見えるが)とりあえず千個以上には細分化されているだろう。それもかなりまだ大まかな分類だ。

 ユリアンが毎年大量の文章を書いている、その内容は多岐にわたる。視線を少し変えて、ウィーンのワルツから山登りへ移行する、あるいはカテゴライズの切り口を人の内面へ移動させればまた無数のジャンルが見えてくる。たとえば芸術、それも絵画、あるいは美学へと関心が移るだろう、その一切れだけで一冊の本になる。

 しかし、読者は普通、この現にあるシステム内における詳しい情報や、有利な考え方を求めるものなので、ユリアンの書いている本では具体的な掴まえどころがわからず、漠然とした印象しか得られない。苦労して読む甲斐がないということになる。
 はみ出しものの共感と親しさによってのみ、読み継がれていくのだろう。


「花村先生、またケルンテンからです。お元気でいらっしゃることと。執筆は「遅々として進まない」ということですが、この際研究は、ゆっくりあと何年もユリアンが生きている限り続けていただくことになるでしょうから、分冊で出すという手もありますし、貴重な稀な本として心置きなく時間をかけてくださいますよう。その方が内容も充実することと思います。
 さて、ここでの稀れなる家族関係がまた、もう一段と稀れになるかもしれません。リーシーが子育てを希望しているのです。また養子をとることもありえますが、一人は実子がほしいと、しかもです、しかも他ならぬ僕の子が欲しいのですって!!!」


   私はあまり驚かなかった。今になって思えばリーシーは最初から植村が気に入っていた。彼女の性的指向は知らないが、遺伝子的にまた性格的に彼以上の男を探すのは、しかも可能性のある身近に、難しいとすぐに結論を下したのだ。

 ワイフがすぐに「凄いわね」と反応したので、こいつは一体どういう社会に属しているんだ?と可笑しくなった。
「でどうなんでしょうね、人工授精? それとも」
「え。それともって。自然授精。それって性交するってこと?」
「そうよ、誰でも彼とならやってみたいわよ」
「え。お前もそうなの?」
「バカね、当たり前でしょ。恋は盲目というほどの恋愛モードに脳がなっていない限り、異性の価値に反応するのよ」


 これには参った。
 いや、彼女を責めるわけでは毛頭ない。ケルンテンで起こるであろうことが予想外の行為を生みそうで衝撃だったのだ。どうする植村君。
 最もわずらわしくない手続きである、もし合意がえられれば。

 ユリアンだとて最後の年数を生きているので、この最後の天恵のような輝かしい思い出が未来へ残されていることに価値を見るのではなかろうか。それとも嫉妬をいだき、心が傷つくのであろうか。とりあえず人工授精なら僕がやきもきするほどの影響はでないように思われる。



 秋風が吹き、人肌の恋しいような涼しさが思いがけず早く訪れた。
 沈黙があったのち、植村は長いメールをくれた。
「花村先生、ご無沙汰しておりました。
 例の件では進展がありました。
 ユリアンはこう言いました。自分たち二人の関係は、哲学的な次元、あるいは前世的な因縁に基づくもので、現世の価値や判断とはまったく異なるものである。見出しあった喜びは真実であり、尽きることも裏切られこともない、ただ喜びに満たされるのみだ。その自由さと親密さが天から許されているふたりである。

 従って、僕が女性との肉体的な喜びを得ることに少し嫉妬があるとしても、克服することのできるほどのものだ、そうです。しかもリーシーとの子供なら自分には孫にあたる、そこが嬉しいところだ、とも。
 それで、こんなことをメールに書くのは少々憚られますが、しかるべき時期に彼女と旅行に出ることになったのです。
 彼女は女性として僕には最高の人ですし、もし先に出会っていたならどうなっていたかわからないとも思います。

 それで、まあ始めたわけです。十分に魅力も感情も双方感じました。しかし、やはり、倫理的な、といいましょうかその垣根が意外に強くそびえていました。欲動としてはそのまま進みたくても、別のところが阻んできます。一度犯すともうとりかえしがつかない、という感じでした。まるでアダムとエバみたいに。
 それで、泣く泣く、というのに似たような状態で、各自が溢れる情と反応をバスルームで流したのです。(失礼、こんなことまで)


 その結果、やはり人工授精を選ぶことになり、ただ精液の採取には彼女に手伝ってもらったのです。十分なやり方で。
 その後の医学的な処置などに付き合ううちに十分に夫婦、というか両親としての責任感が溢れてきました。

 そして今日、おそらく妊娠した、という結果が入ってきました。それで、すぐにこうしてお知らせした次第です。
 花村先生は僕にとって仲人のような存在となりました。今後もずっと見守っていただきたいと思います」


 そうか、と私は腕を組んだり、顎に手をやったりした。どこを探しても心のうちに異様な、飲み下せないようなものがなかった。

「あらあ、そうなの。なんて不思議なファミリーでしょうね。そうねえ、そうだわ、何も近親の血縁にこだわる必要ないんだわ。こだわるからこそ宗教や慣習や地域や言葉や、いろいろ波及して、違いを取り上げ受け入れられないっていう人間の未発達の部分が刺激されるのよね。そしておきまりの戦争。
 考えてみてよ。親、祖父母、その親と遡っていくと、たちまち遺伝子は大きなプールになってしまうのよ。同じプールから異なる組み合わせが出現したに過ぎないんだもの」

 私のフラウには科学記事のおっかけという趣味もあり、この手のことも喋り出すと止まらない。独自の戦争反対論、戦争無意味論をぶつのだ。
 うんうん、と頷きながら、自分たちに子供のできなかったことを考えていた。
「里子、という制度を一度考え直してみようよ」
と、私は彼女に言った。
「小さい子には需要があるだろうけど、十代の子は受け入れが難しいはずだよね。ひょっとして僕らならひとよりうまく対処できるのじゃないかな」




(十四)
 それから俗に言う「とつきとうか」程がすぎた。シュッティング家に孫娘が生まれた。当方花村家も里親としての活動を開始しし始めた。

 私の執筆は、どの本を解説するか次第ですらすらと運んんだり、あるいはその反対、という具合であったが、ユリアンに少し衰えが見え始めたらしく、植村との関係は徐々に介護と看護、庇護の面が強くなったという。予想していたことではある。

 ユリアン自身の執筆は、ほとんどイコール生きることであるので、体調によるとしてもそのペースには変わりない。植村との非常に純粋な傾倒は、従来個人的なことを書くのを避けていたユリアンではあったが、哲学的、スピリチュアルな人間愛として新しい「愛の詩」をうむのではないかという気が私にはしてきた。それがどんなものなのか、我々には見当もつかないし、そもそも人間にはいまだ開示されてもいない、そんな種類なのではないだろうか。


「花村先生、最近のご報告ですが、僕とユリアンとの関係、それに僕とリーシーとの関係が意外な、と言いますかどこかで予想していた通りと言いますか、するすると無理なく変化してきています。
 つまり僕はいい父親として彼女に認知されてきたのです。ユリアンはいい祖父として、喜んでカーチャの父親役を僕に果たすよう願っています。願うようになっています。

 僕と彼女は、、、なかなか難しい立場です。しかしこれまた何と言いましょうか、危惧も不安もなくお互いを信頼しているところがあるのです。これはいい兆候ですよね。熱に浮かされたわけではなく、性的には十分にオープンな関係を保っていますし」
 おやまあ、と私はそこで読むのをやめた。

 やはり寝たのか、いいのかそれで? 本人たちでなければ、あの世界に住む住人だけにわかるものの見方があるのだろう。それは私にも、シュッティングの専門家にもとても測り知ること不可能な世界だ。少なくとも今はまだ。


 しかしすぐ続けて植村が書いている、出版を急ぎましょうには驚いた。ユリアンに早く見せたいということである。
 私は、書斎で机に向かったまましばらく前から頭に浮かんでいたイメージが少しはっきりしてきたのを感じていた。

 人間がチンパンジーにもっとも近いとすれば、かれらの野生でのかなりの攻撃性とヒエラルキーはそのまま受け継がれている。一方ボノボという別種が発見された時、おどろいたことに性交を挨拶がわりに用いて非常に友好的な社会を築いているというのである。性交について、私としてはあまりいい感じをもっていない(嫌いだというのではないが、騒動や苦悩の原因になりすぎる)ので、ボノボのようになりたいのではない。いずれにしろ驚きの世界ではある。

 しかし、未知のことをさらに考えている暇もなく、私はまた画面に向かう。
 ユリアンのたゆまざる筆跡に倦むことなく挑戦し、日本語に変えていくのである。
       
            了


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