知らぬが仏

秀樹は、顔をしかめた。スポーツマンは、当てはまっていたが、謙虚と口数が少ないというのは、まったく当てはまらなかった。秀樹が、黙ってうつむいていると家庭菜園をやっているアンナが、家の北側にある小さな畑から取れたピーマンとナスを持って戻ってきた。「秀樹君、お昼は、ハンバーグでいいかしら」秀樹は、母親の機嫌をとって、亜紀に気に入られる作戦に出た。「はい、ハンバーグは、大好きです。お母様の手作りですか?」

 

アンナは、ハンバーグの作り方を最近覚えたばかりだったが、亜紀たちの評判は良かった。「そうなの。手によりをかけて作るから、食べてみてちょうだい」秀樹は、ここぞとばかりお上手を言うことにした。「お母様の手料理だなんて、最高です。ワクワクします。お母様は、お美しくて、お料理も上手なんですね。やっぱ、亜紀姫のお母様ですね」秀樹は、もっとほめたかったが、これ以上ほめ言葉が頭に浮かばなかった。

 

お美しいと言われ、能天気のアンナは、有頂天になった。「そう、言ってくれると、うれしいわ。きのうから下ごしらえは、やってるから、12時過ぎには、出来上がるわよ。待っててね」アンナは、ハンバーグとサラダとコーンスープを作る準備に入った。亜紀は、おべんちゃらを平然とした顔で言った秀樹の豹変にびっくりしたが、それ以上に、それを真に受けた能天気のアンナにあきれ返った。

秀樹には、アンナを見るたびに呼び起こされる疑問があった。それは、亜紀がアンナとあまりにも似ていないことであった。また、亜紀がお父さんのことをまったく話さないことも気にかかっていた。そのことに関しては、なんとなく聞いてはいけないことのように思え、話題にしてこなかったが、ちょっとだけ聞いてみたくなった。もし、亜紀がいやな顔をすれば、即座に話を変えて機嫌をとることにした。

 

秀樹は、アンナに聞こえないように小さな声で質問した。「あのさ、亜紀ちゃんが、頭がいいのは分かるんだけど、それって、お母さん遺伝なの?お母さんって、学校の先生をなされてたの?」亜紀は、一瞬固まってしまった。というのも、アンナの若いころをまったく知らなかったからだ。質問されて始めて、そのことに気づいた。「え、ママ。ママは、お団子屋をやっているけど」

 

父親についても聞いてみたくなった。「お父さんは?」亜紀は、しばらく言葉が出なかった。実の両親のことを思い出したが、そのことは誰にも話したくなかった。とりあえず、育ての父親のことを話すことにした。「お父さんは、数学の先生だった。でも、2年前に原因不明の病気で亡くなったの」秀樹は、やっと、亜紀のなぞが解けたように思えた。「でも、亜紀には、優しくて、美人のお母さんがいるから、良かったね」

亜紀は、家族のことを友達には話したくなかった。実父と実母は失踪し、実弟は餓死したことを思い出したくなかったからだ。突然、亜紀は、うつむいてしまった。亜紀は、暗闇の世界に一人取り残されたような気持になってしまった。やっぱ、家族のことを聞くべきではなかったと感じ取った秀樹は、つくり笑顔でペットの話をすることにした。「そういえば、毛並みのいい、ちょっと気取った猫がいないね。名前、何と言ったっけ」

 

亜紀の耳に猫という言葉が飛び込んできて、ぱっと笑顔が浮かんだ。「ピースね。時々、お散歩に出かけるのよ。夜遅く帰ってくることもあるの。ほんと、気まぐれなんだから。今朝、黒猫のお友達が来たみたいで、一緒に、遊びに行ってるみたい」明るい声で話し始めた亜紀を見て、秀樹はほっとした。秀樹は、家族の話を避けようと、次は、スポーツの話をすることにした。

 

「亜紀は、どんなスポーツが得意なの?僕は、サッカーチームに所属しているんだ。すっごく楽しい」亜紀は、スポーツは、好きではなかった。外であまり遊ばない亜紀を見かねて、アンナは、時々ゴルフの打ちっぱなしに連れて行っていた。「そうね、あまり体育は、好きじゃないの。運動オンチなのかも。スポーツってわけじゃないけど、ママに誘われて、ゴルフ練習場に時々行くくらい」

ゴルフと聞いて、地獄耳のアンナがキッチンから叫んだ。「ゴルフは、楽しいわよ。秀樹君もやってみたら」秀樹は、これはチャンスと大きな声で返事した。「はい、一度やってみたいと思っていたんです。お母様、ぜひ教えてください。お母様は、スポーツがお得意なんですね」ほめられてますます上機嫌になったアンナは、能天気な声で返事した。「いいわよ。食事が終わったら、ちょっと練習場に行ってみる?」

 

秀樹は、亜紀と一緒に練習できると思って、元気よく返事した。「はい、亜紀と一緒に練習できるなんて、夢見たいです。待ちどうしいな~」亜紀は、できれば、早く秀樹を追い返したかったが、一緒に練習する羽目になり、ガクッと落ち込んでしまった。「ママ、ゴルフの練習、これからも続けるの?亜紀には、向いてないと思うんだけど。ママと秀樹君だけで、練習やったら」

 

その弱気な言葉を聞いたアンナは、スリッパをパタパタさせて、テーブルに飛んでやってきた。「ナニ、ナニ言ってるの。亜紀は、かなり筋がいいわ。最初からボールを打てるなんて、きっと才能があるってことよ。がんばりなさい」動かないボールを打つゴルフをいたって簡単に思った秀樹は、自分の運動神経を自慢し始めた。「僕は、結構、運動神経がいいんです。サッカーでも、センターフォワードのポイントゲッターなんです。すぐに、亜紀に追いついて見せます。亜紀、一緒に頑張ろうよ」

春日信彦
作家:春日信彦
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