知らぬが仏

亜紀が、コクンとうなじを垂れた時、亜紀、亜紀、と叫ぶ大きな声が南側から響いてきた。ジーンズ姿のアンナが近づいてくると風来坊、ピース、卑弥呼女王たちは、逃げるように消え去った。「亜紀、何してるの、彼氏が来てるわよ。早く、帰ってらっしゃい」アンナは、ベンチから飛び立った白いカラスを怪訝そうに見ていると、大きく左右に尻尾を振りながら笑顔満面のスパイダーが、アンナの太ももに飛びついた。

 

自称彼氏

 

 亜紀とスパイダーが自宅に戻ると亜紀の男子友達、東条秀樹がキッチンのテーブルで背筋をぴんと伸ばして待っていた。スパイダーは、玄関横にある足洗い場できれいに足を洗うと亜紀と一緒にキッチンに歩いて行った。亜紀は、少し苦手な秀樹に挨拶した。「秀樹君、こんにちは。早く来たのね。午後からか、と思ってた」秀樹は、即座に笑顔で答えた。「いや、土曜の午前中やってくる英会話の先生が、突然、来れなくなって、だから、午前中に来たってわけ。一刻も早く、亜紀に会いたくてさ。お邪魔だったかな」

 

いつも気取った話し方をする秀樹は、9月に東京の名門お坊ちゃま小学校から転校してきた男子で、どちらかといえば、学校でも話しかけられたくない男子だったが、どこが気に入られたのか、最近、亜紀の自宅まで押しかけてくるようになっていた。「ちょっと、犬の散歩に出かけていたの。この子、スパイダーって言うの。スパイダー、挨拶は」スパイダーは、ワンとほえて、尻尾をワイパーのように元気よく振った。

愛想のいい犬を見た秀樹は、とりあえずお世辞を言った。「毛並みのいい犬じゃないか。血統書つきのワンちゃんみたいだね」亜紀は、スパイダーがほめられて、うれしくなった。「とっても、おりこうさんで、家族の一員なの。秀樹君もペット飼っているの?」秀樹は、爬虫類が好きで、蛇と亀を飼っていた。「僕は、蛇と亀を飼っている。かわいいんだ。一度遊びにおいでよ。抱っこさせてあげるから」

 

亜紀は、蛇と聞いて鳥肌が立った。「え、蛇、蛇って、噛み付かないの?」秀樹は、ケラケラと笑って答えた。「かまないさ。本当にかわいいんだ。じっと顔を見つめていると、長い舌を出して笑顔を作るんだ」亜紀には信じられないような話で、なんとなく秀樹が気味悪くなった。次第にブルーになった亜紀は話を変えることにした。昨日の自由学習のとき“将来やりたい仕事”についての作文の発表が行われた。そのとき、世界一のCIAになりたいと教壇の前で話していたドヤ顔の秀樹の姿を思い出し、そのことについて質問することにした。

 

「秀樹君、秀樹君は、将来CIAになりたいって、言ってたでしょ。CIAって、どんな仕事なの?」突然の話題転換に面食らった秀樹だったが、CIAについて聞かれたことで、愉快になった。「あ~、僕の夢ね。CIAって、ほとんど知られてないから、みんなきょとんとしてたけど、簡単に言えば、大統領の手足となって働くことなんだ。でも、大統領よりもすごいんだ。表には現れない仕事をやっていて、逆に、大統領の意思決定までもやってしまう重要な仕事なんだ。まあ、大統領を動かす仕事ってとこかな。名誉ある仕事さ」

 

子供らしくないドヤ顔の秀樹を見ているとますます気味が悪くなった。「そうなの。大変な仕事みたいだけど、それって、頭が良くないとできない仕事じゃない。秀樹君にできるの?」頭が悪いみたいに言われた秀樹は、ムカついた。「確かに、頭脳明晰じゃないとなれないんだ。しっかり勉強して、必ずなって見せるさ。そうだ。亜紀ちゃんこそ、CIAになればいいじゃないか。IQ180もあるんだから」

 

8歳のIQテストで、亜紀は、なんと、180もあった。CIA主催のIQテストは、優秀な生徒を選抜して行われた。だが、優秀な生徒が、特待生でアメリカに留学するという出来事に疑問を抱く教育評論家たちは、日本の国立大学でも特待生制度を採用するように政府に訴えていた。大企業もアメリカへの知能流出を防ごうと高額な報酬を約束し、アメリカへの就職を阻止する施策を打ち出していた。

 

CIAは、IQ150以上の生徒のマイナンバーを登録し、極秘に追跡調査を行っていた。このような優秀な人材の極秘調査は、かつてから行われていたが、近年、CIAは、世界中の優秀な子供たちを獲得する動きを見せていた。このことから、人工知能の研究を推進しているロシア、中国、ルーマニア、インド、シンガポールなどの各国は、CIAへの警戒を強化し始めた。

「え、亜紀が、CIA。とんでもないわ。私は、パイロットになりたいの。この前、発表したじゃない。聞いてなかったの」亜紀は、ふくれっつらをして、秀樹をにらみつけた。びっくりした秀樹は、即座に弁解した。「分かってるさ。亜紀が、米軍戦闘機のパイロットになりたいって言ってたことぐらい。でも、パイロットというのは、バカがやることじゃないか。今の戦闘機は、人口知能搭載で、無人なんだぜ。人間パイロットは、情報収集のための実験に使われるモルモットじゃないか、そんなモルモットパイロットになるのかよ」

 

パイロットはモルモットと言われ、亜紀の夢が侮辱されたようでムカついた。「そんなことぐらい知っているわよ。それでも、戦闘機を操縦したいのよ。秀樹君には、亜紀の気持なんか分からないわよ、フン」亜紀は、顔をそむけて、スパイダーを見つめ同意を求めた。スパイダーは、亜紀に同意して、ワンとほえた。秀樹は、さらに追い討ちをかけた。「へ~、変わってんの。頭がいいんだから、戦闘機の開発をやればいいじゃないか。犬死するモルモットになるよか、よっぽどましじゃないか」

 

亜紀は、戦闘機に乗るのが夢だった。自分の操縦する戦闘機で、日本を守りたいと思っていた。でも、ほとんどの戦闘機は、人工知能で操作されていて、人が操縦するよりも高度な操作が可能となっていた。それでも、亜紀は、自分の手で戦闘機を操縦したかった。現実と逆行するような夢に愚かさを感じたが、それでも、戦闘機を操縦する自分の姿が脳裏から離れなかった。「とにかく、亜紀は、パイロットになるんだから、グダグダ余計なことを言わないでよ。お互い、自分の夢を追いかければいいじゃないの」

春日信彦
作家:春日信彦
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