長生きしてね

 その条件とは、70歳の誕生日を迎えて、30日以内に政府主導による安楽死をしなければならないことであった。安楽死とは、すべての市に建設された年金ホールでの電気椅子自殺であった。それは、自分の意思で通電のスイッチボタンを押さなければならなかった。薬代や治療費の支払いのために行った借金の返済に苦しむ多くの老人たちは、喜んで電気椅子に腰掛け自殺した。政府は、老人の人口削減を加速させるために、テレビ、ラジオ、新聞、インターネットなどを通じ、一時金制度促進キャンペーを頻繁に行った。

 

 映画やアニメでは、70歳を超えた老人は、“非国民”であるようなドラマを作り、その映画を世界に発信した。「生き恥老人」と題する日本映画が、アメリカのアカデミー特別賞を受賞した。長生きしたくとも、非国民と世間から白い目で見られたくないと、いやいやながら、電気椅子に腰掛ける老人も少なくなかった。また、この一時金制度は、経済的負担となる老人を抱える家族には歓迎されたが、反面、この制度ができたために大きなダメージを受け、窮地に立たされる羽目になったのは、病院であった。

 

 消費税が30パーセントにまで跳ね上がると、もはや小規模の病院は経営破綻せざるをえなかった。すでに多くの病院は、外資系の多国籍企業に買収されてはいたが、その多国籍企業も大きな打撃を受けた。と言うのも、70歳以上の老人が支払う治療費が、病院の収入から一気に消えてしまうからだった。病院は、老人の治療費が最大の収入源であったため、70歳一時金制度に反対した。しかし、政府は、年金原資の横領を隠すために一時金制度を強行した。

 多国籍企業主導のTPP施策が実施されてから日本は急激な貧困化に襲われた。いまや、平均年収200万円未満の労働者の割合は、外国人労働者を除く総労働者の60パーセントを占めるにいたった。外国人労働者を含めると、70パーセントにも及んでいた。貧富の格差は、極端に大きくなり、犯罪とホームレスの増加は、急上昇して行った。貧困家庭では、子供に高等教育をさせることができず、中学卒業後、中近東へ出稼ぎに出さざるをえなかった。また、多くの女子は、国内で就職できず、やむをえず、海外に風俗の仕事を求め出稼ぎに行った。

 

 日本政府は、TPP大恐慌に対する施策として、家庭の老人扶養負担を軽減させる70歳一時金制度を打ち出し、青少年犯罪防止とニート対策として、18歳徴兵制度を実施した。この施策によって年金原資横領を隠蔽することに成功しただけでなく、貧困家庭からの賛同が得られ、一気に自民党支持者が急増した。特に、少子化を防止するために、子共手当を実施したことは、貧困家庭への施策として大成功だった。一時は、独裁政権と非難されていた内閣であったが、大学卒業の初任給並みの給与を支給する徴兵制を実施した内閣は、もはや、賞賛されることはあっても、非難されることはなくなった。

 

 戦争放棄と基本的人権の尊重が削除された新憲法は、国民投票で可決され、戦争を知らない若者主導の大日本帝国の幕開けとなった。大日本国防軍の強化が進むにしたがって、富国強兵の施策を次から次へと政府は打ち出していった。特に、軍事企業誘致が地方自治体の公共事業として認可され、それに伴い、ロッキード社が日本国内に数多くの軍事企業子会社を設立した。そのため、国内での就職が可能となり、風俗で働いていた国内外の女子と多くのニートたちが軍事企業労働者として働けるようになった。

 社会保険制度が破綻し、民間の医療保険に加入しなくてはならなくなった日本において、多くの貧困家庭では、高額な保険料の支払いはできなかった。すでに、成人の50パーセントは、無医療保険の状態であった。特に、病気を患った老人を抱えた家庭では、高額の治療費が払えず、家庭内での隠蔽された病死や、陰湿な老人虐待が秘密裏に行われるまでになっていた。そのような次期に、一時金制度が施行され、子共手当が支給されたため、貧困家庭は、借金地獄から徐々に救済されていった。一方、自殺を促進する政府の施策は、基本的人権の尊重に反するのではないかとの意見を持つ若者もいた。

 

 先月、実家に戻ったリノも、70歳一時金制度反対者の一人であった。リノは、平安時代から続く老舗の「さしはら温泉旅館」の娘で、跡継ぎを期待されていたが、中学一年のときに、母親、清子が再婚した義父、信介を嫌い、中学卒業後、秘かに家出をした。突如、4月に実家に戻ったのには、わけがあった。リノには、515日に70歳になる祖父、幸太郎がいたが、幸太郎は、一時金を希望していた。リノは、幸太郎の気持ちを変えさせるため、急遽帰ってきたのだった。リノが7歳のときに亡くなった父、新太郎に代わって可愛がってくれた幸太郎を長生きさせたかった。

 

 ほとんどの老人は、一時金受給を希望した。それは家族も歓迎するものだった。幸太郎の一時金受給希望を知った清子は、静かな表情で頷いて見せただけだった。ところが、そのことを知ったリノは、憤慨し、一時金を受給せず死ぬまで老齢年金を受給するように説得しようと、飛んで帰ってきたのだった。リノは、一度思ったことはとことんやる性格で、必ず祖父の気持ちを変えさせようと必死に策を練った。だが、いまひとつ頭が回らないリノは、親友のゆう子に相談することにした。ゆう子も自分と大差ないと思ったリノは、さらに、横山も呼ぶことにした。

 5月の連休に横山が実家に帰ってくることをゆう子に知らされたリノは、例のマックで5311時に落ち合うことにした。20分前に到着したリノは、オレンジジュースを購入し、いつもの窓際でゆう子と横山を待った。11時を少し回ったころ、自転車に乗ったゆう子と横山が能天気な笑顔で窓際のリノに手を振った。リノは、久しぶりに会う二人を見て、糸島に戻ってきてよかったと心から思った。二人がリノの前に腰掛けると、あまりの感激に涙が溢れてしまった。

 

 ゆう子は、リノの突然の涙に、とても大変な悩みの相談だと感じた。「リノ、大丈夫?二人がついているから、もう大丈夫よ。胸がスカッとするまで、洗いざらい話して」リノは、ハンカチで涙をふき取り、頷きながら答えた。「ありがと。涙が出たのは、悲しいからじゃなくて、嬉しかったから。久しぶりに、二人に会えて、嬉しくて」ゆう子は、ちょっと安心したが、横山を交えての相談があると言うことは、きっと、深刻な悩みだと推察した。「リノ、悩みがあるんでしょ。なんでも言って。頼りになる横山もいることだし」

 

 リノは、小さく頷き、深夜まで悩み考えた祖父のことを話すことにした。横山は、深刻な表情に変わったリノの顔を見つめ、じっと話し始めるのを待った。しばらく話の内容を整理したリノは、勇気を出して話し始めた。「相談って言うのは、おじいちゃんのことなの。二人も知っているでしょ。70歳一時金制度って。おじいちゃん、515日に、70歳になるの。おじいちゃんね、一時金もらうって。ママは、黙っているけど、私は、いや。おじいちゃんに、長生きして欲しいの。おじいちゃんの気持ちを変えさせる方法はないか、二人に知恵を絞って欲しいの。お願い」リノは、小さく頭を下げた。

春日信彦
作家:春日信彦
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