北摂エンジライン

   

  どうしても真相が知りたくなり、あてもないまま次の週末に帰省した。

  あの後、いくつかのファイルも聞いたが、自分の過去にシンクロしているようなものもあれば、

  ただ懐かしい曲が流れているだけのものもあった。

  

  十数年ぶりだ。既に両親は自身の故郷に移り住んでいるため、実家と呼べるものはない。

  ターミナルで乗り換え、改札を通り過ぎると、懐かしいエンジ色の車両が見えてきた。

  ここは始発ターミナルなので、路線ごとに電車がずらりと並んでいる。

  電光掲示板には昔にはなかった行先や電車の種別が増えていて多少戸惑ったが、

  かつて実家と高校のあった駅に停車する電車に乗車した。

  休日の割に乗客はまばらで座席は空いていたが、ドア近くに立ち、外を眺めることにした。

  ほどなく発車の知らせるメロディが流れ、電車は滑るように発進した。

  

  電車はターミナルを出ると、幾つかの分岐をしなるように通過して目的の路線に入った。

  ほどなくして橋を渡る。川面は穏やかで、きらきらと光を反射していた。

  遠くになだらかな山々が見える。あのあたりがかつて住んでいた街だ。

  橋を渡りきると土手のすぐ側にビルが見えてきた。かつて通っていた予備校だ。

  この土手も懐かしい。自習室を抜け出しては、息抜きをしていたものだ。

  土手の斜面は以前よりもきれいに整備され、降りた場所には花壇が出来ていた。

 

  電車は少しカーブをしてから、予備校時代に乗り降りしていた駅に停車した。

  当時よく利用していた売店が見える。しばらくしてドアが閉まり、電車は静かに発車した。

  いくつかの駅を通過していく。車窓に流れる景色は懐かしさを感じつつ、

  どことなく違和感があった。おそらく新しい建物が増えたせいだろう。

 

  目指す駅が近づき、電車はスピードを落とした。

  当時落書きをした辺りに差し掛かった。窓に額をつけて高架線路の壁面を見つめる。

  あった。一瞬だったが確かに小さなあれが見えた。少し心拍数があがるのがわかった。

  電車は駅に滑り込むように着いた。このホームを利用するのは初めてだ。

  高架工事と駅舎が完成する前に引っ越してしまったからだ。

  駅は殺風景だった。広告らしきものがほとんどない。階段を降り、改札に向かう。

  まずは母校に行ってみようかと考えながら改札を出て、何気なく駅の方を振り向いた。

  駅舎は何か工事をしているらしく幕に覆われていた。

  あの頃彼女と話した仮設の駅舎の風景に似ている。

 

  いや、むしろ酷似している。同じと言ってもいい。

  何かがおかしい。おかしいのは目の前の光景なのか、そう感じる感覚なのか。

  それとも記憶なのか。違和感が増してきた時、不意に頭に刺すような痛みが走った。

  と、同時に思い出した。

  あの予備校は確か倒産して跡地にはマンションが建ったはずだ。

  あの落書きだって十数年も経って残っているはずがない。

  心臓がどくんと音をたて、目の前が不意に淡い灰色になった。

  立っているのか、倒れているのかわからない。手足の感覚もなく、遠くで声がするのが

  わずかに感じられるだけだ。目の前は淡い灰色から白に変わっていった。

   

 

  大きな水槽で小さな熱帯魚がゆらゆらと泳いでいる。

  高層階の大きな窓がある一室で、リクライニングチェアに男が横たわっている。

  男の頭には黒いヘッドセットと、腕にいくつかの電極が装着されている。

 

  ヘッドセットの下の眉間には皺がより、汗がにじんでいる。

  傍らに白衣を着た女性が二人立っていて、男を見ながら話している。

  「先生、大丈夫でしょうか。」

  「大丈夫よ。」

  「やはり早かったのでは・・・」

  「そんなことはないわ。それに本人も企業サイドも望んだことよ。」

    

  労働者保護の法改正により、メンタルヘルス関連での退職者を出した企業には

  多大な罰金が科せられるようになった。

  企業は、世論によるバッシングも含めてそれらの回避策を講じることが迫られた。

  その最終手段として、メンタルリカバリーと呼ばれる療法が臨床段階に入っていた。

  精神科の従来の療法に加え、脳の記憶領域に直接アプローチし、

  対象者の楽しかった記憶や成功体験を追体験させたうえで、有用感や自信を

  取り戻させるのだ。だが、無意識下で記憶操作する点や、廃人になる危険性もあり、

  倫理的な観点で認可はまだ下りていなかった。

 

  「何をどうイメージするかは本人次第だわ。

   私たちはそれにスパイスを振りかけ、定着させるだけよ。」

  「それって虚構にはならないのでしょうか?」

  「では、あなたの記憶が全て歪曲や消去されずに残っていると言い切れる?」

  「・・・・・」

  「人は自分自身で都合良く記憶を定着させているものよ。

   私たちはクライアントのニーズに応えるだけでいいの。」

  「企業やこの人が失いたくないものって何なんでしょうね。」

 

  その時、男の指先がわずかに動き、つないでいた機器からあのメロディが流れてきた。

 

ミキトモ
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