救いの途教書 7   神の実在

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前 書 き( 1 / 1 )

 

           前  書  き

 

  

前巻では、神々の形象について、さまざまにも検討(けんとう)が為(な)されました。

そして、確(あきら)かにもされた、真実の数々を、すでにもご承知(しょうち)のことと想われます。

さては、その上で、それらの真実に基きもして、

はたして、神々の何たるか?

神々は実在(じつざい)するのかしないのか?

するとすれば、どの神こその、本来以ってその威信(いしん)に相応(ふさわ)しいのか?

それらこその糺(ただ)されて、その明証(めいしょう)の揺(ゆ)るぎなくも確固(かっこ)たるものとされるべく、この世・宇宙の遙(はる)かな歴史を、ヒトの観点(かんてん)から顧(かえり)みた、前巻とは趣(おもむき)を変え、本巻では、敢(あ)えても神そのものの観点に迫(せま)り、歴史に表(あらわ)された他ならぬ神の御徴(みしるし)の、その軌跡(きせき)を辿(たど)ることにより、予(かね)てからの課題(かだい)にして目的(もくてき)に、適(かな)えようものに他なりません。

神明記  7. 神明の証 ( 1 / 2 )

 

      神 明 記 (しんめいき)

                                                                7. 神明の証(あかし)

 

  

辞書にもおける、『 神明 』 の文字通りの第一義(だいいちぎ)には、『 神 』 そのものの意とあります。

しかし、本書にあっては、『 神が明(あ)かす 』 の意味で用(もち)い、『 神自(みずか)らの証明(しょうめい)』 の意と解(かい)する、どうかそのようにもご理解の上で、後々(のちのち)呉々(くれぐれ)ご失念(しつねん)のなきよう、平(ひら)にご承知おきください。

さて、では、『 神が明かす 』 とは、これまた一体、どうしたことでもあるのかと問(と)われもすれば、神すなわちこの世・宇宙の主にも違いなければ、『 この世・宇宙のそれ自体をして明かす 』、 もしくは 『 人為(じんい)に因(よ)らず、自ずから明かされる、自明(じめい)そのもの 』 ともされようものに他なりません。

さても、そうしたものであるからには、とかく人智(じんち)の及(およ)び難(がた)く、そもそものその謂(いわ)れからして、どうにも皆目(かいもく)見当(けんとう)さえの付かない、そんなことすらの、けして珍(めずら)しくもないのです。

それについての最適(さいてき)な例を挙(あ)げれば、その主著(しゅちょ) 『 存在と時間 』 で高名(こうめい)な、20世紀はドイツの哲学者(てつがくしゃ)ハイデッガーの、あまりにも有名な思索(しさく)の行き詰(づ)まりにして、その挫折(ざせつ)こそに、いみじくも何より顕(あきら)かに、図(はか)らずも広く普(あまね)く、思い知らされることともなった、その事例を措(お)いて他にありません。

はたして、その何かといえば、言わずもがなにその主著のテーマである、存在と時間の何かを解明(かいめい)することにも他ならなかったのです。

 『 存在 』 と 『 時間 』、どちらも余(あま)りに有り触(ふ)れた、それこそ誰(だれ)知らぬ者のない、文字通りにも万人周知(ばんにんしゅうち)の、常日頃(つねひごろ)にも使い古された、言葉(ことば)にして概念(がいねん)にも他なりません。

さては、高名な哲学者のことですから、それこそ直(す)ぐにも、解明のなされるかに想われてなりませんでした。

しかし、周囲(しゅうい)の高まる期待(きたい)に反して、一向に思索の執筆(しっぴつ)は進まなかったのです。

あの高名な哲学者にしてナゼか ・・・!?

 

  

 

    

 

 

 

 

 

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作家:主代 宗元
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