犬の夢

 バーバラ監督は、中高と水泳をやっていて、平泳ぎが専門だった。練習においては、自ら泳ぎ、手本を見せた。バーバラ監督が泳ぐときは、部員は、水中にもぐり、息が続く限り足の開き方をじっと観察した。当然、部員の目は、股間に集中していた。われを忘れて股間に見入っていた部員の中には、鼻血を出したり、息を止めすぎて失神してしまう部員も出たほどだった。また、AED(自動体外式除細動器)を使って、奇跡的に一命を取り留めた部員もいた。

 

まったくさえなかった水泳部が、一躍全国的に有名になった。新聞社や雑誌社までも取材にやって来たほどだった。それは、バーバラ監督のTバックビキニ姿の写真をとるためだった。スポーツ雑誌の表紙にバーバラ監督のTバックビキニを載せると、飛ぶように売れた。当然、Tバックビキニは競泳用の水着としてふさわしくないと、教育委員会から指摘を受けたが、Tバックビキニのほうが、記録は伸びるといって、Tバックビキニをやめなかった。

 

500メートルほど白いカラスの後を追って走ったメイは、息を切らせて市民プールにたどり着いた。階段を駆け上がりプールに行ってみると、バーバラ監督一人が、大きく股を開きながら、プールの中央で平泳ぎをしていた。プールには、誰一人見当たらなかったが、バーバラ監督がプールの端にタッチした瞬間、キャップをかぶった頭が、一斉に水面から飛び出した。

 メイは、びっくりして「ワン」と叫ぶと、みんなの顔がメイに向けられた。プールから飛び出してきたバーバラ監督は、笑顔でメイを抱きかかえ、「よくきたわね~」と頭を濡れた手でナデナデした。メイは、水滴が目に入り気持ち悪かったが、バーバラ監督の素肌に触れて、夢心地になった。部活が終わると、メイはバーバラ先生に抱きかかえられ、ブルーのコルベットで平原歴史公園横の下宿先に向かった。

 

 バーバラ先生は、メイをさやかとアンナと亜紀に紹介すると、今夜、自分の部屋でメイと一緒に寝ると伝えた。リビングでくつろいでいたシェルティーのスパイダーとキジ猫のピースは、始めて見る子犬を抱きかかえたバーバラ先生をじっと見つめていた。「メイは、スパイダーとピースのお友達になれるかしら?」バーバラ先生は、メイをフロアに下ろし、スパイダーとピースを手招きした。ピースは、ゆっくりとメイに近づき、なにやら挨拶をして、メイをスパイダーのところに案内した。

 

 スパイダーがメイと挨拶を交わして、メイが笑顔を作ると、ピースとメイは、スパイダーの後を追って、スパイダーの部屋に向かった。部屋に入ると、ピースが、口火を切った。「東京からやって来たの。しばらく糸島にいるの?」ピースがメイに訊ねた。「ちょっと、いつまでいるかは、僕にもわかんないよ。でも、君たちと友達になれて嬉しいよ。この家の皆さんも、とても優しそうで、僕はラッキーだったよ」メイは、いつまでも糸島に居たい気持になった。

 

 「関東って、放射能がいっぱいなんだろ。メイは、大丈夫かい?できれば、ずっと糸島で暮らせるといいね」スパイダーは、関東では放射能の内部被曝で甲状腺がんになる子供たちが急増していると言うニュースを聞いていた。「いや、そんなに騒ぐほどでもないんじゃないか。除染作業は、順調にすすんでいるし、ほら、東京オリンピックも開催されるって言うじゃないか。総理が言うように、まったく内部被曝は問題ないってことだよ」メイは、一瞬総理の気持になりかけたが、動揺を抑えて、総理を信じる一般庶民の気持ちで話をつないだ。

 

 ピースは、目を丸くして話し始めた。「あら、メイってのんきね。関東のセシウムは相当なものよ。関東の人って、のんきと言うか、人がいいと言うか、田舎の九州人から見たら、理解できない人種だわ。私だったら、さっさと、飛んで逃げ出すわ。内部被曝しながら生活するなんて、正気の沙汰じゃないわよ。メイ、ずっと、糸島に居なさい。ここに住めるように、私から、アンナにお願いしてあげるから」ピースは、あまりにも危機感のないメイにあきれ果ててしまった。

 

 「ピースの気持ちは、ありがたいけど、僕は、総理を信じるよ。しばらくは、糸島に居るから、田舎のおいしい空気を吸って、思いっきり余生を満喫するよ」メイは、子供であることをつい忘れて、余生と言う言葉を言ってしまった。ピースは、ひげをピクピクさせて、笑顔で話した。「余生だなんて、メイったら、年寄りじみたことを言うわね。でも、関東と違って、糸島は、とっても空気がきれいでしょ。アンナもさやかも亜季もバーバラ先生もスパイダーも、みんな幸せよ」

メイは、バーバラ先生と一緒に暮らせるのなら、人間なんかに戻らなくていいと思った。犬になって人間のおろかさがしみじみと分かった。CIAに脅されて、国民を欺く総理なんて、辞めたくなった。でも、CIAに抗議する勇気もないし、逆らえば、暗殺されるのは目に見えてるし、総理なんてやりたくなかったのに。メイは、心の中でぼやいた。「メイ、なに考えているの?心配事でも有るの?困ったことがあったら、何でも相談してよ」ピースは、青くなったメイの顔を見て、声をかけた。

 

 しばらく、メイは黙っていた。自分が総理であることを告白すべきか悩んでいると、ドアが突然開いた。そこには、笑顔の美しいバーバラ先生が立っていた。「いらっしゃい、メイ、一緒に寝るわよ」バーバラ先生は、中腰になってメイを呼び寄せた。メイは、心の中で「バーバラ先生 バーバラ先生」と叫び跳んでかけていった。バーバラ先生にしっかりと抱きかかえられたメイは、全身から発散されるバラのような甘い体臭に包まれ、夢心地になった。

 

 総理の寝室には、朝日が差していた。「あなた、いつまで寝ているの。今日は、大統領が来日する日でしょ。さっさと、起きなさい。なにが、バーバラ先生よ、夢でも浮気してるんだから」細君は、布団を剥ぎ取り、総理のお尻をぴしゃりと叩いた。「バーバラ先生!あ、夢か!」総理は寝ぼけ眼で、つぶやいた。

 

春日信彦
作家:春日信彦
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