五木寛之『親鸞』を読む

『親鸞』読書メモ6 諦観の中の能動性

 親鸞の危険な思想はこのようにとても穏やかに語られます。たとえ話こそ大量殺人ですが、言っていることは落ち着いた諦念に満ちています。しかしその諦観は決して無気力なそれではなく、不思議と能動的に感じられるのはとても不思議です。

 そのことを吉本隆明氏はこういっています。


 人間は、必然の〈契機〉があれば、意志とかかわりなく、千人、百人を殺すほどのことがありうるし、〈契機〉がなければ、たとえ意思しても一人だに殺すことはできない、そういう存在だといって云るのだ。

 それならば、親鸞のいう〈契機〉(「業縁」)とは、どんな構造を持つものなのか。ひとくちに云ってしまえば、人間はただ、〈不可避〉にうながされて生きるものだ、と云っていることになる。

 もちろん個々人の生涯は、偶然の出来事と必然の出来事と、意思して選択した出来事にぶつかりながら決定されてゆく。しかし、偶然の出来事と、意志によって選択できた出来事とは、いずれも大したものではない。なぜならば、偶発した出来事とは、客観的なものから押しつけられた恣意の別名にすぎないし、意志して選択した出来事は、主観的なものによって押しつけられた恣意の別名にすぎないからだ。

 真に弁証法的な〈契機〉は、このいずれからもやってくるはずはなく、ただそうするよりほかにすべがなかったという〈不可避〉的なものからしかやってこない。

 一見するとこの考え方は、受け身にしかすぎないとみえるかもしれない。しかし、人が勝手に選択できるようにみえるのは、ただかれが観念的に行為しているときだけだ。ほんとうに観念と生身とをあげて行為するところでは、世界はただ〈不可避〉の一本道しか、わたしたちにあかしはしない。

 そしてこの道を辛うじてたどるのである。このことを洞察しえたところに、親鸞の〈契機〉(「業縁」)は成立しているようにみえる。

吉本隆明『最後の親鸞』



 世界はただ〈不可避〉の一本道であり、私はこの道を辛うじてたどる

 字面だけみてこの言葉が決定論に思えてしまうとしたら、それは現代社会に生きる私たちが本当の「自由」ということを間違ってとらえてしまっているからでしょう。




 親鸞は目の前の救い難い現実を前にしてこのように言います。

 この世に生きている間は、どれほどかわいそうだ、
気の毒だと思っても、思いのままに救うことはで
きないのだから、このような慈悲は完全なものでは
ありません。

ですから、ただ念仏することだけが本当に徹底した
大いなる慈悲の心なのです。
 
 このように聖人は仰せになりました。

浄土真宗聖典 歎異抄現代語訳 本願寺出版社



 これは悪人として生まれた社会的制約、善人として生まれた社会的制約を思い起こすと理解が容易になるでしょう。

 法然は善人の悪を見捨てることができなかった。慈円は旧仏教の悪を見捨てることができなかった。その二つの意味では親鸞は自由でした。天皇にお目通りもできない下級貴族の生まれであったために貴族社会を捨てることが可能でしたし、将来を嘱望されたとはいえ慈円のように摂関家から送り込まれた天台のエースでもなかった。

 しかし、戦乱や天災で生き地獄を生きざるを得ない衆生とじかに向き合う自由はあっても、その者たちを今この場所で奇跡を起こして一気に救うという自由はなかったのでした。

 それが先ほどの「この世に生きている間は、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできないのだから、このような慈悲は完全なものではありません。」という諦観であり、「ですから、ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲の心なのです」という自由な能動性に結びつくわけです。


 とはいえ、これが押しつけられた決定論的「受動性」ではないにしても能動性とまでいうのは言い過ぎではないかと思われる方もいるかもしれません。



 次回はこの能動性を往還の考えからみてみたいと思います。



 続く…

『親鸞』読書メモ7 往きて還ること

 先に引用した親鸞の「気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできない」という文章には前があります。

 それを太字で足したのが以下になります。

 慈悲について、聖道門と浄土門とでは
違いがあります。
 聖道門の慈悲とは、すべてのものをあわれみ、
いとおしみ、はぐくむことですが、しかし思いのままに
救いとげることは、きわめて難しいことです。

 一方、浄土門の慈悲とは、念仏して速やかに
仏となり、その大いなる慈悲の心で、思いのままに
すべてのものを救うことをいうのです。


 この世に生きている間は、どれほどかわいそうだ、
気の毒だと思っても、思いのままに救うことはで
きないのだから、このような慈悲は完全なものでは
ありません。

ですから、ただ念仏することだけが本当に徹底した
大いなる慈悲の心なのです。
 
 このように聖人は仰せになりました。

浄土真宗聖典 歎異抄現代語訳 本願寺出版社


 ここでいう 聖道門とは自力の教えであり、浄土門とは他力の教えです(浄土宗公式サイトドア



 再び吉本隆明氏の文章を参照してみます。

 わたしたちはここで、とてつもない思想につき当たっている。もし、自力と〈知〉によって他者を愛しみ、他者の困難や飢餓をたすけ、他者の悲嘆を一緒に悲しもうとかんがえるかぎり、それは現世的な制約のために中途半端におわるほかない。たれも、完全に成遂することはできないからだ。これは諦めとして語られているのではなく、実践的な帰結として云われている。

 そうだとすれば、この制約を超える救済の道は、現世的な〈はからい〉とおさらばして浄土を択び、仏に成って、ひとたびは現世的な制約の〈彼岸〉へ超出して、そこから逆に〈此岸〉へ還って自在に人々をたすけ益するよりほか道がない。そのためには念仏をとなえ、いそぎ成仏して、現世的なものの〈彼岸〉へゆくことを考えるべきである。それこそが、最後まで衆生への慈悲をつらぬきとおす透徹した道である、と

吉本隆明『最後の親鸞』



 浄土にって再びこちらにって来るというのは、往還回向と言います。

 私たち凡夫が阿弥陀仏の浄土に往生することを「往相」といいます。そして浄土に往生した人が、迷いのこの世間に対してはたらきかけることを「還相」というのです。すなわち、「往相」は、穢土えどから浄土に往くすがたです。これに対して「還相」は、浄土から穢土に還るすがたなのです。


 
 

 私たちがもつ仏教のイメージの一面は、この世の無情に諦観を持ちこの世をはかなんで来世で救われようとするものだとおもいますが、これは往還回向思想によれば、まさに一面的なイメージのようです。

 向こう側の善悪の彼岸に往ったあと、再び衆生を救うためにこちらの此岸に戻ってくるのとワンセットで往還回向となるわけですが、この両面を一つに考えると「気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできない」という思いは、再びこの現実に還ってきて衆生を救うための能動的きっかけ(縁)ということになります。


 ここで重要なのは、今まだ生きてこの世にいて悲惨な現実を前にしている私自身は親鸞の教えに従えば、何が善で何が悪なのかを判断できない、ということです。


 何が善であり何が悪であるのか、
 そのどちらもわたしはまったく知らない。
 なぜなら、如来がそのおこころで善と思いに
 なるほどに善を知り尽くしたのであれば、善を
 知ったといえるであろうし、また如来が悪と
 お思いになるほどに悪を知り尽したので
 あれば、悪を知ったとえいえるからである。

 しかしながら、わたしどもはあらゆる煩悩を
 そなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家の
 ようにたちまちに移り変わる世界であって、
 すべてはむなしくいつわりで、真実といえる
 ものは何一つない。

 その中にあって、ただ念仏だけが真実なの
 である 。

浄土真宗聖典 歎異抄現代語訳 本願寺出版社




 ですので例えば今のこの飢饉は政治が悪いと判断して、貴族政治や武家政治を打破するということにはならず、またそもそも卑しい悪人として生まれた本人が悪いんだから努力して一日も早く善人になれ、ということにもならないわけです。

 目の前の善悪に白黒つけることは、未だ彼岸に往ってもいない私には不可能なことであり、ただ彼岸に往って還ってくることを信じて念仏を唱えることだけが正しい行いというわけです。



 だからこそ還って来て再び現実を救おうとするこの態度保留は現実から目を背けて念仏だけ唱えればいいのだという往きっぱなしの態度ではなく、善悪の判断をいったん保留して、〈エポケー、かっこにいれて〉すべて分かって還ってきた〈かのように〉実践するという能動的態度となります。

 往きっぱなしではなく還ってくるのだけれど、今ここにいる自分はまだ本当の善悪は知らないが、あたかもそれを知っているかのように振る舞うという態度です。
 これはカントの実践論や、森鴎外が傾倒したファンヒンガーの「かのようにの哲学」にきわめて近い能動的態度であると言えるかもしれません。




続く





追記
 余談ですが、『地下鉄のない街』の僕と姉さんのコーダでの態度はこの往還の還ってきた態度にどう最終決着を付けるかドアなのですが、それはまた小説で表現すべく努力します。あの小説執筆を毎日考えない日はありませんので、どうか忘れないでね(爆)。

『親鸞』読書メモ最終 法然から親鸞へ(上)

 読書メモはそろそろ終わりますが、法然から親鸞が受け継いだものを私なりにまとめてみたいと思います。




 五木寛之『親鸞』(下)にこんなやり取りがあります。私はこれこそが法然が親鸞に託し、親鸞が法然から受け継いだものだと思いたいです。

 ある法然の法話の席でなも知らぬ女が法然に呼びかけます。


 法然上人は微笑してその頭巾すがたの女をながめた。

「ひとつおうかがいしとうございます。わたくしども女は、これまで障り多き身として往生できぬとされておりました。それを善悪男女の区別なくひとしく往生するとお説きになったのは、お上人さまがはじめてでございます。でも、その教えのもとになった阿弥陀仏の第三十五願には、念仏して浄土往生を願う女たちを、男に変えて往生させようとあるそうでございます。なぜ、女は女のままで往生できぬのでございましょうか」

 その女の声には、人の心をしめつけりような悲しみの感情がこもっていた。経典の内容を引いて、法然上人に論争をいどもうという気配はまったくない。



 この質問の本質はよくある、女性は穢れててそもそも仏道の邪魔云々…という話とはまったく無関係です。私もいちおうかよわき(?)女ですが、女性が成仏できるかどうかという議論にはたいして関心がありません。
 しかしここでこの女性が発した問いの本質部分には、法然上人になんとしてもお言葉をいただきたいです。




 法然はこの女性に直接答えずに、その場所に席を同じくした綽空(親鸞)に話を振ります。親鸞がこの問いの本質を把握したかどうかを試したのでしょう。

 それに対して親鸞は無難に「もし女人が浄土へ往生できないようなら、自分(御釈迦様本人)は仏にはならぬ、と、きっぱりいいきっておられます」と答えます

 しかし法然は許しません。無難に答えようとする親鸞を見る法然の苦笑が目に浮かぶようです。

「それはよい。問題はその先じゃ。もし女人がひとしく浄土に往生できたとしても、それは女としてではない、とありがたいお経には書いてあるそうな。いちど男に変身して、男となって往生する、という。厄介なことじゃ。で、綽空、どこにそう書いてあるのか、そなたなら知っておるであろう。わたしもすでに七十の坂をこえて、むずかしいことは忘れてしもうた。ちょっと言うてみてくれぬか」



 大秀才法然が秀才親鸞にとぼけて問うこの場面はとても印象的です。

 親鸞は変性男子説というこの大問題を整理して言葉にします。

 変性男子説とはこんな説です。


にょにんじょうぶつ【女人成仏】

 女性も男性と同じように仏に成ることができるということ。釈尊は男女の地位が平等であり、ともに涅槃に至ることができると説いているが、女性蔑視を思わせる所説もある。それは比丘尼教団の成立事情や比丘尼戒の制定などにもうかがえよう。また万人の成仏が仏教のたてまえであるが、成仏を男性に限り、女性には五障や三従の掟があって成仏できないという男尊女卑の傾向があった。これを解決するために、女性は男性に転じて(転女成男、変成男子)成仏するという思想が現われた。その代表が『法華経』提婆達多品の竜女成仏説である。この考え方は『阿闍世王女阿術達菩薩経』『離垢施女経』『須摩提菩薩経』『海龍王経』三、『菩薩処胎経』七などにも見られる。『大阿弥陀経』上の第二願には「わが国中をして、婦人有ることなからしめん。女人わが国中に来生せんと欲する者は、即ち男子と作らん」と転女成男が説かれ、善導は『観念法門』で「乃ち弥陀の本願力に由るが故に、女人は仏の名号を称して正しく命終る時、即ち女身を転じて男子と成ることを得」として女人往生の思想を展開している。

浄土宗大辞典第三巻



 親鸞は法然に上記内容を簡潔に答えます。

 そして法然は当然のように聞き返します。



「では、そのありがたいお経のなかの言葉を、綽空、そなたはどう思う?」

五木寛之『親鸞』




 さて、親鸞はどうこたえたのでしょうか。




 続く…

『親鸞』読書メモ最終 法然から親鸞へ(中)

 さて、法然の問いに親鸞はどう応えるのでしょうか。



「わたくしはそれはちがうと思います。男は男のまま、女は女のままにて往生し、そして仏となる。仏の前にはすべて平等である、と上人さまは日ごろ教えておられます。尊い経典をかろんずるわけではございませんが、わたくしは変成男子という説にはこだわっておりません」

 ざわめきがおこった。法然上人の左右につきしたがう高弟のなかには、呆れたような顔をするものや、嘲りの表情をうかべる者もいた。法然が静かな口調で話し出した



 なんと、法話の席で名だたる仏典批判が飛び出しました。

 これに対する法然の応答は感動的です。


「さきほど問われた女性に聞いていただきたいことがある。わたしは西国の美作国の田舎の生まれじゃ。父は幼くして争いの中で死に、わたしは母の手ひとつで育てられた。ゆえに母はただ一人の肉親じゃ。

 やがて縁あって比叡山にのぼり、母と別れた。それが十三歳のときのこと。その数年後に、その母も世を去られた。わたしを手放したあとの独り暮らしは、どんなにさびしかったことであろうのう。わたしは、母を置き去りにして比叡山で学問したのじゃ。

 だが、母を思わぬ日は、一日もなかった。いまもそうじゃ。そして、あの母上は、かならず浄土に往生されたと思うておる。たしかに仏になられたと。しかし、よいか。

 わたしは浄土で男に変わった母になど、会いとうもない」

五木寛之『親鸞』





 これはある意味、親鸞の仏典批判よりさらに過激です。親鸞の場合、仏の前では男女平等であるという理念から理論的に仏説の矛盾をつき、これを否定しているわけですが、法然の場合、たとえ仏典の言うことが正しく、母をが男子に変成して成仏したとしても仏教の教理で捻じ曲げられた母親なぞには会いたくない、すなわち、そんな往生は息子のこの俺は認めないと自分の存在をかけて仏説に対峙しているように見えるからです。


 彼岸にある仏の永遠が、此岸である母の思い出と地続きに直結していなくば、そんな来世に何の意味もない。自分はそんな世界には興味はないというこの否は、仏教教理の否定ではなくて、ことと次第によっては仏教そのものをまるごと認めないぞ、と宣言しているといえないでしょうか。


 キリスト教の場合、現在は永遠から演繹されて現前すると言っていいでしょう。

 それに対して法然のこの思想は、まず永遠の存在である母が現前し、そしてその母が何者にも変わることなく、来世に成仏する。


 したがってこの思想を押しすすめれば、この世でゆえあって悪人であった自分の父親が<罪を悔い改めて>(この聖書の常套句がすなわち永遠の側からの現在の真実の捏造であり教育的暴力であると私は思います)彼岸に善人として生まれ変わるのではなく、悪人のまま変成せずに成仏することこそ正しい成仏であるという思想が生まれます。

「悪人正機」とは、悪人が悔い改めて善人になって往生するのではなく、現世の宿命でそうであらねばならなかった悪人が、そのまま「よし、もう一度」と自分の人生を肯定して輪廻を選び直すことに似ているかもしれません。

 私は今ここでもちろんニーチェの「永劫回帰」を思い浮かべながらこの文章を書いているのですが、決定論を生きることこそが人生の最高の肯定様式である、というこれ以上ない強度を持つツァラトゥストラの逆説は、また悪人正機の本質でもあろうと思います。




続く…
次回(下)で最後ね('-^*)/
ゆっきー
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