ユーザーズ・マニュアル#0

「う、うわぁああ!!」
「なんなんだコイツはぁっ!!」
 恐れをなして無様に逃げ出す者の背中にも、容赦なく一発。そしてその度に出来上がる真新しい焼殺体。
 気が付くと軽く六〇人程度はいた無法者はたったひとりだけになり、そのひとりだけの男も自分が骸の山の中にいるという恐怖に怯えながら、姫鶴脩という少年を見上げていた。

「ひっ、ひいぃぃ…………!!」
 目の前で起きた惨劇に腰を抜かし、身体の彼方此方を痙攣させ、引きつった表情のまま後退る。そんな彼の無法者の存在を認めた脩はその腕を彼に翳し、少しずつ力を込めてゆく。
「は、はわ、はわわわっ…………!!!」
 目の前に突き出された右腕から放たれる、仲間を打ち砕いた碧の烈しい光。炎でも雷でもない、この世の何よりも強く純粋な破壊の光…………。
 それは先程の少年の台詞が決してハッタリでは無い事を証明し、同時に、無法者にこの後起きる一つの現実を突きつける。
 たった一人の少年の手により目の前で起きた現実。眼前の光が自分に向けられる可能性。それが齎すこの世で最も無様な死。
 それら一つ一つが一本の糸になり、無法者というリリアンによって丹念に織り上げられ、恐怖という鮮やかな斑の組紐を作り上げる。
 その斑の組紐を、己の意思と関わりなくその手首にかける事を余儀なくされた者が唯一出来る事はただひとつ……。

 …………この場から、逃げる事だけ。

「お……っ。おたすけぇ!!」
 恥も外聞も最早無かった。今は一刻も早く逃げ去りたかった。少年の手の及ばないところであれば何処でもよかった。
 男は只管逃げた。前もろくに見ずに逃げ続けた。無論……その全てが無駄だという事は、何一つ彼は分かってはいなかったが。
 ――ドゥッ。


 刹那、碧の閃光と烈しい灼熱、背中から伝わったメガトン単位の衝撃が、男の全身をリニアモーターカー並の速度で駆け抜けていく。
 筋肉、脂肪、臓器、骨格、その他諸々が白い煙を上げながらパンパン弾け、身体のどこかから手持ち花火のような火花が噴き出す。
 やがて男の身体のパーツの大きさ自体も倍以上に膨張し、耐熱温度が限界点を超えた時……ぼん、という派手な爆発音とともに、男の一つの身体は木っ端微塵になって彼方此方に散乱した。高熱により気化してしまったのか、流れ出でた血は驚く程少なかった。

 …………その全てが、一瞬だった。

 放物線を描いて宙を飛んだ無法者がアスファルトの上を何度か回転して止まった頃には、彼は己の先を逝った者達と同じ黒焦げの肉の塊となって、冷たい夜のアスファルトの上に横たわる。
 そんな無法者達の残骸を一瞥し、脩はその視線を改めて国道の方に向ける。
 ……粗方、雑魚は潰した。これだけ派手に暴れれば親玉も必ず現れる。

「出て、来いや」
 呟きが血煙に乗って、言の葉を伝えようとするように、一つの方向へ飛び去る。

 ……そいつは、すぐに現れた。
「へっ。テメェ、随分と派手にやってくれたじゃねぇか」
 ドスの利いた低音が脩の背後に響く。それを聞いた脩は口元に小さく笑みを零した。
 どうやら、あの呟きは無事に届いたらしい。一九〇センチは軽く超えているであろう、ブリーチで派手に染め上げたブロンドのオールバックが夜風を切り、特注品と思しき鮮やかな黒の特攻服を纏ったそいつは、先程脩がぶち砕いた手下の残骸をバックに、悠然と仁王立ちしていた。

「何だい…………悪名高き弩羅厳会総長とか言うからどんな厳つい野郎かと思ったら、なかなかどうして男前じゃねぇか」
「野郎、何のつもりでこんな事をしでかした? 返答次第じゃただで済まねぇぞ」
「……五月蝿く騒ぐテメェ等が癇に障った。それ以外に理由がいるか?」
「ふん。癇に障ったら殺すのか。どうやら腕は立つらしいが、頭の方はさっぱりらしいな、貴様は」
 ……よく言うぜ。そいつはテメェ等だろうが。敢えてそれを言葉には出さず、その意識を右腕に集約させ、体内を流れる強大な力を碧のスパークとして具現化させる。脩の“破壊の力”…………。
 それは学会始まって以来の、狂気の天才科学者たる父が提唱したプロジェクトの産物。

 弩羅厳会総長たる眼前の男の口元からふっ、という音が漏れるのを、脩は聞き逃さなかった。
 “こいつめ、余裕かましやがって……!”脩の怒りはスパークの輝きを更に高め、その眼の烈しい輝きも更にその輝度を上げていく。
 今に見ていろ。テメェは手下みたいに綺麗に死なせてはやらない。その鬱陶しい面も、似合いもしない特攻服も、テメェをテメェたらしめている全てを、この“力”でこの世から残らず叩き出してやる。
 脩の中に迸る碧の破壊の波動は、あと少しで最大出力に達する。コイツを男の土手っ腹に叩き込めばいい。それだけで、奴の体は粉微塵に消し飛んで跡形も無くなる。
 奴を完全に潰す。そのために、姫鶴脩はここにいる…………!!
「総長~~っ!!!」

 と、二人の間に割って入ったのは、白い安物の特攻服の小男。族にはあまりに不似合いな情けない面とともに総長の前へ躍り出る。
 恐らくアイツは会に最近入ったばかりの一番の下っ端だろう。理由はどうあれ、仲間から少々出遅れた為にこの場を生き残ったらしい。
「大変ですよぅ! 俺の班もやられちまいました! もうすぐサツどもも来やがりますっ!!」
 泣き顔でそう訴える小男。逃げましょう、ここは逃げたほうが勝ちです。その意思を精一杯伝えようと努め、掠れた声を張り上げる。
 だが、彼を見つめる総長の眼は……何よりも、どんな利器よりも、冷たい。

「テメェ、仮にも天下の弩羅厳会の癖に、むざむざ逃げてきたんじゃねぇだろうな」
「でも……でもっ! あそこで逃げなきゃ、全滅してましたよ! 分かってくだ……っ!?」
「腰抜けが。うちの会にゃ、テメェみてえな奴の席はねぇ…………!!」
 刹那、小男の眼前に総長が右の掌を翳すと。五尺にも満たない低身長の男の身体は、万有引力に逆らってふわりふわりと宙に浮く。
 高度にして約四メートルは超えただろう。踏みしめる大地も、その手に掴むものも、平衡感覚も失った小男は、両の手足をばたつかせて見っとも無く足掻き続ける。その間も高度は更に上昇し、大体国道に立つ街灯と同じくらいになっただろうか。
 総長が翳した右手を横に払うとその力に指向性(ベクトル)が与えられ、小男はそれと同じ方向へ高速で飛び去った。

 ドガシャァ、という鈍い破壊音が闇に響く。ビルの壁面をキャンパスにした悪趣味なモダンアートが完成する。
 全身を叩き付けられ、餅みたいにコンクリートにへばり付いた小男が不帰の客となる…………それらがほぼ同時だった。

「念動力(テレキネシス)……。テメェ、遣い人か」

小鎬 三斎
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