ユーザーズ・マニュアル#0

 呟きが血煙に乗って、言の葉を伝えようとするように、一つの方向へ飛び去る。

 ……そいつは、すぐに現れた。
「へっ。テメェ、随分と派手にやってくれたじゃねぇか」
 ドスの利いた低音が脩の背後に響く。それを聞いた脩は口元に小さく笑みを零した。
 どうやら、あの呟きは無事に届いたらしい。一九〇センチは軽く超えているであろう、ブリーチで派手に染め上げたブロンドのオールバックが夜風を切り、特注品と思しき鮮やかな黒の特攻服を纏ったそいつは、先程脩がぶち砕いた手下の残骸をバックに、悠然と仁王立ちしていた。

「何だい…………悪名高き弩羅厳会総長とか言うからどんな厳つい野郎かと思ったら、なかなかどうして男前じゃねぇか」
「野郎、何のつもりでこんな事をしでかした? 返答次第じゃただで済まねぇぞ」
「……五月蝿く騒ぐテメェ等が癇に障った。それ以外に理由がいるか?」
「ふん。癇に障ったら殺すのか。どうやら腕は立つらしいが、頭の方はさっぱりらしいな、貴様は」
 ……よく言うぜ。そいつはテメェ等だろうが。敢えてそれを言葉には出さず、その意識を右腕に集約させ、体内を流れる強大な力を碧のスパークとして具現化させる。脩の“破壊の力”…………。
 それは学会始まって以来の、狂気の天才科学者たる父が提唱したプロジェクトの産物。

 弩羅厳会総長たる眼前の男の口元からふっ、という音が漏れるのを、脩は聞き逃さなかった。
 “こいつめ、余裕かましやがって……!”脩の怒りはスパークの輝きを更に高め、その眼の烈しい輝きも更にその輝度を上げていく。
 今に見ていろ。テメェは手下みたいに綺麗に死なせてはやらない。その鬱陶しい面も、似合いもしない特攻服も、テメェをテメェたらしめている全てを、この“力”でこの世から残らず叩き出してやる。
 脩の中に迸る碧の破壊の波動は、あと少しで最大出力に達する。コイツを男の土手っ腹に叩き込めばいい。それだけで、奴の体は粉微塵に消し飛んで跡形も無くなる。
 奴を完全に潰す。そのために、姫鶴脩はここにいる…………!!
「総長~~っ!!!」

 と、二人の間に割って入ったのは、白い安物の特攻服の小男。族にはあまりに不似合いな情けない面とともに総長の前へ躍り出る。
 恐らくアイツは会に最近入ったばかりの一番の下っ端だろう。理由はどうあれ、仲間から少々出遅れた為にこの場を生き残ったらしい。
「大変ですよぅ! 俺の班もやられちまいました! もうすぐサツどもも来やがりますっ!!」
 泣き顔でそう訴える小男。逃げましょう、ここは逃げたほうが勝ちです。その意思を精一杯伝えようと努め、掠れた声を張り上げる。
 だが、彼を見つめる総長の眼は……何よりも、どんな利器よりも、冷たい。

「テメェ、仮にも天下の弩羅厳会の癖に、むざむざ逃げてきたんじゃねぇだろうな」
「でも……でもっ! あそこで逃げなきゃ、全滅してましたよ! 分かってくだ……っ!?」
「腰抜けが。うちの会にゃ、テメェみてえな奴の席はねぇ…………!!」
 刹那、小男の眼前に総長が右の掌を翳すと。五尺にも満たない低身長の男の身体は、万有引力に逆らってふわりふわりと宙に浮く。
 高度にして約四メートルは超えただろう。踏みしめる大地も、その手に掴むものも、平衡感覚も失った小男は、両の手足をばたつかせて見っとも無く足掻き続ける。その間も高度は更に上昇し、大体国道に立つ街灯と同じくらいになっただろうか。
 総長が翳した右手を横に払うとその力に指向性(ベクトル)が与えられ、小男はそれと同じ方向へ高速で飛び去った。

 ドガシャァ、という鈍い破壊音が闇に響く。ビルの壁面をキャンパスにした悪趣味なモダンアートが完成する。
 全身を叩き付けられ、餅みたいにコンクリートにへばり付いた小男が不帰の客となる…………それらがほぼ同時だった。

「念動力(テレキネシス)……。テメェ、遣い人か」

 遣い人(ユーザー)。
 魔女の用いた西洋の魔術、修験道や陰陽道に代表される東洋の呪術、気功、交霊、ESP、ヒーリング…………。
 現代科学の及ばぬ人の心……思いが生む力……不思議な力を、それこそ手足の如く自在に使いこなす存在の総称。
 己の念を物体に送り込む事でその手で対象に直接触れる事無く、重量や大きさに関係なくあらゆる物を動かす能力……テレキネシス。
 この絶大な力を持つ弩羅厳会総長もまた、魚から猿、そして人という悠久の時と進化を経た先の、更なる進化形たる遣い人の一人…………!!

「だからどうだってんだ!?」
 その総長の返答はあまりに粗暴な、あまりに素気ないそれだった。
「まぁ、確かにコイツは便利だ。遠くの物や金を易々と盗ったりも出来るし、分厚いサツのバリケードだって退かす事が出来る。そして当然、こんな事もなぁ!!」
 叫びとともに再びテレキネシスを発動した総長の手から……斃された仲間のバイクの残骸が放たれる。標的は勿論眼前に立つ脩だ。
 三〇〇キロを言うに超える七五〇ccバイクの残骸は恐るべき速度を持って宙を舞い、哀れな犠牲者たる脩を押し潰し……。
「分かってんのかぁ? 要するに、俺は選ばれた人間なんだよ。この力はこの世で最強を名乗ることが出来る最大の権利だ! コイツがある限り誰も俺を倒せねぇし、俺を裁くことも出来やしねぇ!! 分かったらクソガキはとっとと跪いて俺様の靴でも…………」

「確かに、な」
 は、しなかった。総長の力を受けて宙を舞ったバイクは空中で大爆発を起こし、橙色の炎と碧の光が、辺りを染め上げる。
 両の掌から光を迸らせた脩の面が、総長の烈しい怒りを更に滾らせる。総長はギリギリと歯を鳴らしながら脩を睨みつけていた。
 バイクを叩き落した脩は改めて改めて総長をキッと見据える。奴の下卑た笑いさえもその全てを焼き付けんとばかりの、鋭い眼差しで。
「確かにテメェ等遣い人は選ばれた人種だ。クロウリーの唱えた“汝の欲するべきところを為せ”という言葉の体現者だ。その力を己の中で眠らせて腐らす事無く、己自身の為に最大限それを振るう……。ある意味じゃあ、一番人間らしいと言える生き物だ。だがよ……」
「あぁん? 結局テメェは何が言いてぇ!!」
「“力”は決して、誰かを傷つけたり騙したり殺したりしていいという許可証(ライセンス)じゃねぇ。そんな権利は、この世に生きる誰にもねぇ…………!!」
 自分にとっての悪……この場のぶつけどころを見出した脩の力が、一際強く輝きを放つ…………!!
「バカかテメェは! 俺達にはどんな法律も通用しねぇんだ。要は何をしても許されるんだよ! テメェも遣い人ならそんぐれぇ分かってんじゃねぇのか、あぁん!?」
「…………そうかもな。俺達の力が“荒唐無稽な迷信”である限り、昨今のザルみてぇな人の法はテメェ等の罪を裁けねぇし、罰も下せやしねぇ」

 生きることは罪を犯すこと、そして罰を受け償うこと……。
 ――少年は、そう信じていた。

 だがその実どうだ。一歩外の世界に出て辺りを見渡せば、力という何よりも強い免罪符を手にした者が無数に存在する。
 そしてそれに比例して、理不尽な罪に泣き、悩み、苦しみ、最後には殺される者がいる。
 力が現代に生きる人にとって“荒唐無稽な迷信”である限り、現実世界のあらゆる法はその意味が失われる。
 意味の消失は力持つ者に驕りを生み、そうして罰を免れた彼等は、永遠に人が償えぬ罪をこの世に生み続ける……!!

「だったら……誰かが、どうにかしなきゃなんねぇのよっ!!」
 ならば俺が罰そう。人の世が裁けないなら俺が彼の者を裁こう。そして、俺もまた償えぬ罪を、際限なく預かり重ねよう。
 …………少なくとも、俺にならそれが出来る。罪を犯すのは俺一人だけでいい。
 俺はこの場で罪を…………親父が与えたこの力で持って、許されざる存在である奴を裁き、罰するという大罪を犯そう。

 決して揺るぎも歪みもしない、心に宿した一つの意思。もう一度その意思を脳の|頂点(てっぺん)に揺さぶり起こし、脩はその力を勢いよく、眼前の弩羅厳会総長に……自分にとっての絶対的な悪に向けて振り下ろした。
 破壊の力の強大な撃力が生む、右腕をダイレクトに襲う熱波と衝撃が、少年を闘いという深淵の中へと埋没させていく…………。
小鎬 三斎
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