前書き( 1 / 3 )
前 書 き
前巻にて、すでに確(あきら)かにもされたように、今日現代に知られる、この世・宇宙の起源は、驚くことに、私たちの想像を遙かに超(こ)えるものでした。
それでは、それ以前の、はたして一体どうでもあったのかといえば、いまだ時間も空間もない、いわば未有無(みうむ)の、絶対零度(ぜったいれいど)すなわちはマイナス273℃に凍(い)てついた、暗黒の静寂(しじま)の揺蕩(たゆと)いのみが、いつからともなく、またいつ果てるともなく、唯々(ただただ)続くばかりでもあったのです。
それが、すでにも述べたように、ある時機にして切っ掛けを境(さかい)に、突如(とつじょ)として、一大変化を来(きた)すことともなったのでした。
さては、未有無の忽(たちま)ちにして二つに分(わ)かたれ、絶対零度の暗黒の静寂の揺蕩いこその、閃光(せんこう)発する大爆発もろとも、瞬(またた)く間に弾(はじ)け散ったとされるのです。
果して、その大爆発の、その大音響(だいおんきょう)さながらの大鳴動(だいめいどう)こその、いったいどれ程(ほど)にも凄(すさ)まじかったのかと云(い)えば、それの今に至(いた)って尚(なお)、その余波(なごり)こその、この宇宙にいまだに絶(た)えることなく反響(はんきょう)し続けているとされる、その驚くべき事実からして、その実際の有様(ありよう)の、いかに筆舌(ひつぜつ)に尽くし難(がた)くも凄(すさ)まじかったかを、どうにか推(お)して測(はか)り知られようばかりのものに他なりません。
しかし、その直後にも続いた、微細緻(びさいち)極(きわ)まりない万物生起(しょうき)の、その一切は、けっしてそのような派手(はで)で激(はげ)しい、ほんの一刹那(いっせつな)の始まりばかりの一面(いちめん)のみに、尽(つ)きるものではありませんでした。
なぜなら、その大爆発と共(とも)に成(な)る、刹那、刹那に止め処(ど)なく移り変わる、その変化の機微(きび)こその、いかにも用意周到(よういしゅうとう)のさながらに、極(きわ)めて俊敏(しゅんびん)にして、前後の不覚(ふかく)や滞(とどこお)りの一切なく、あたかも唯(ただ)の定(き)め事(ごと)の、繰り返しにでもすぎぬかに、緻密(ちみつ)の微の細を極めて、迅速(じんそく)この上なかったからにも他なりません。
さては、いかにもそれこその、まさに神の御技(みわざ)としか想えぬほどに ・・・・!
はたして、二つに分(わ)かたれた未有無こその、片(かた)や一方は、物質界を成し、片やもう一方は、反物質界すなわち霊質界を成すや、それぞれ二界をして表裏一体相俟(ひょうりいったいあいま)って、さながら付(つ)きつ付かれつ不可分(ふかぶん)のごとくにも、この世、宇宙の生成(しょうせい)を成さしめることともなったのでした。