奇妙な家族

 われわれは、エネルギーの実態を把握することはできない。できることといえば、具体的なエネルギーを数値化、記号化することぐらいだ。今のところ、数値化、記号化は、理論構築に役に立つということで、科学者を安心させている。だが、エネルギーのそのものを理解することは永遠にできないかもしれない。面白いことに、人間の言語中枢が発達したことにより、人間の不条理を明確化し、ますます悩むようになって来た。

 

 ほとんどの人は、数値化、記号化されたエネルギーを常識化し、身近なものとして認知しているが、エネルギーの誕生、変化、消滅、を理解できる人はいない。つまり、エネルギーそのものは、いったい何ものなのか?エネルギーの起源というものはあるのか?エネルギーは消滅するということがあるのか?まったく検討がつかないのが、エネルギーといえる。今のところ、未知なる脳というエネルギーを保有する人間は、脳を言語化し、記号化して、多少なりともエネルギーについて理解できたと、安心する以外にないであろう。

 

 自然現象や、社会現象を言語化し、言語化されたものを理論と呼び、理論の集積を現実の理解とみなしている。現実つまりエネルギーの理解とみなしている。そこでちょっと考えてみよう。言語化されたものは、現実なのだろうか?現実をどれだけ反映しているのだろうか?言語化は、確かに現実のほんの一部を切り取っているかもしれない。だが、“言語”は現実そのものではない。

 

 人間は、現実の世界で、現に生きることはできても、それ以外の新しい現実世界を作り出す能力はない。人間が、高度の記号力、言語力を身につけるようになっても、今ある現実とは別の現実を作り出すことはできないのではないだろうか?人間の能力を有限的に述べることは、悲観的のように思えるが、もしできたとしても、どれほど先のことになるか計り知れない。

 

 われわれに与えられた「脳という資源=エネルギー」を今後どのように使いこなすことが、人類に最も有益なことか考えてみる必要があるが、今のところ、快楽という脳機能が邪魔をして、脳をより有効に使いこなせてないといえよう。脳の機能は、生命を維持するためにいろいろなことをやってのける。食べたり、寝たり、交尾したり、けんかしたり、踊ったり、歌ったり、物を作ったり、話したり、描いたり、殺人したり、具体的に記述すれば無限にあるかもしれない。

 

 人間は脳を酷使し、文化を創造し、貨幣を創造し、人間関係を複雑にしてきた。今までになかった幸福を作り出し、今までになかった不幸を作り出してきた。身近な言葉でエネルギーを表せば、「幸福と不幸」といえるのではないだろうか。ちょっと不思議に思えることなのだが、われわれは幸福をひたすら求め続けている。それと同時に、不幸は現実に起こり続けている。宇宙においては、「幸福と不幸」という、相反するエネルギーが同時に存在し、決してなくならないエネルギーのように思える。

  人間という生物は、精子と卵子の合体によって誕生する。受精卵が、細胞分裂し、成長し、人間となる。お腹にいる胎児は、羊水の中で成長し、さまざまな非言語の概念情報を増殖させている。お腹の胎児も、生まれたばかりの赤ちゃんも言葉は話さない。だが、すでに彼らは、無限のエネルギー概念を保有している。しばらくすると、赤ちゃんは脳も身体も徐々に成長し、言語中枢が発達していくと、言葉を発するようになる。

 

 われわれは、宇宙に存在しているから、宇宙生物であり、地球に生存しているから、地球人でもある。日本に生まれた赤ちゃんは、日本人だ。アメリカに生まれたならば、アメリカ人だ。フランスに生まれたならば、フランス人だ。インドに生まれたならば、インド人だ。日本に生まれた赤ちゃんは、日本語を話すようになる。まあ、これは、両親のうちどちらかが日本語を話した場合のことだが。

 

 地球上には、いろんな人種がいる。黒、白、黄色、茶色、などいろんな色の人種がいる。日本語、中国語、韓国語、英語、ドイツ語、などそれぞれ違った言葉を話す人種がいる。だが、彼らみんな、地球人だ。できれば、地球人を理解するために、地球でないどこかの星の人間に似た生物がいたならば、とても都合がいいのだが、いまだ、そういう宇宙人は現れてくれない。そのため、地球人は自分たちを客観的に考えるのが難しいといえる。

 

 人間と宇宙人とを比較できないとなれば、地球上の生物といろいろ比較してみる以外に人間の特徴を明確化する方法がないことになる。したがって、科学者たちは、人間と動物を比較し、人間は動物から進化したと結論付けている。その真偽は、別にして、人間は、地球上では最も発達した脳を持っている。この脳が、言語を生み出し、ものを加工し、ものを作り出し、自然環境を変化させてきた。

 

 人間の身体は、他の動物とかなり違っているが、これも脳の違いから来るものと考えれば、人間の特筆すべき特徴を脳と考えてもいいだろう。脳の中でも、言語中枢こそ人間の最大の特徴といえよう。身体的能力においては、人間以外の動物のほうが優れている場合がある。たとえば、走ったり、泳いだり、ものを持ち上げたり、などだ。言語に関しては、人間が最も秀でているといえる。他の動物にも言語らしきものはあるが、人間が作り出す言語と比較したならば、良質ともに、比較にならないほど程度が低い。

 

 今、人間の脳以下の脳が、地球上に存在するのは分かったが、そこで考えてみたいことは、人間の脳以上に優れた脳が、宇宙のどこかに存在するのかどうかだ。今、脳という言葉を使ったが、宇宙のどこかには、「人間の脳」とは別の「脳以上の物質」があるのかどうか知りたいものだ。おそらく、このことは誰しも思うことではないだろうか。もしあるとするならば、「脳以上の物質」は人間が使う言語を使わずに、コミュニケーションできるかもしれない。

春日信彦
作家:春日信彦
奇妙な家族
0
  • 0円
  • ダウンロード

6 / 20

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント