奇妙な家族

 「捨て猫は、どこにいるの?」とさやかが尋ねると、亜紀は、さやかの手を掴み、庭に引っ張っていった。テーブルの下でじっと小さくなっているキジ猫を指差し、「あそこ」と言って、さらに、キジ猫のところまでさやかを引っ張っていった。さやかは、しばらくキジ猫とにらめっこをした。キジ猫は、身動きせずにじっとさやかの反応を観察していた。「確かに、気立てのいい猫みたいね。でも、本当に、捨て猫かしら。近所の猫じゃないの?」さやかは、近所の猫が、餌ほしさに庭に迷い込んできたように思えた。

 

 亜紀は、ピースから聞いた話をすることにした。「この猫は、ピースっていうの。飼い主が引越ししたときに、置いていかれたんだって。とっても、かわいそうな子なの。とっても、おりこうさんよ。お腹もすかしているし、さやかから、ママにお願いして。この通り」亜紀は、両手を合わせてお願いした。さやかは、腕組みをして、しばらく考えた。「そうね、捨て猫のようでもあるし、見捨てるのもかわいそうよね。とにかく、ご飯をあげなくっちゃね」さやかは、アンナを説得することにした。

 

さやかの宇宙

 

 さやかは、キジ猫ピースを責任もって世話をすることを誓い、どうにかアンナの承諾を得た。聖母のような笑顔で寝入ったアンナの寝顔を確認すると、さやかは、寝床の中でいつものように宇宙について考え始めた。ブラックホールでは光より速いスピードでエネルギーが吸収され、新しく形成されたエネルギーが宇宙を創造している。

宇宙は無限に外向し続け、同時に内向し続けている。言い換えれば、宇宙は無限に膨張し続けていると同時に縮小し続けている。エネルギーは、宇宙を作り出し、無限に有機物、無機物を作り出している。地球も、水も、空気も、鉱物も、植物も、動物も、人間も、エネルギーの姿だ。人間の脳は、エネルギーを記号化できる唯一のエネルギーといえる。

 

 脳とは、無限の情報の集合体である。したがって、脳の情報を記号化するには無限の時間を要することになる。おそらく、人間が生存し続ける限り、人間の知的欲求は、脳情報の記号化を求め続けることになる。脳というエネルギーは、永遠に人間にとって不可思議なものとして存在し続けることだろう。

 

 脳といえば、一般に、大脳のことを考えるが、脳幹も,小脳も、大脳辺縁系も、脳である。われわれ人間は、宇宙という無限の情報集合体を記号化できないのと同様に、無限の脳情報をすべて自覚することはできない。意識にのぼってくる情報は、ほんのわずかでしかない。一般に天才といわれる人間でさえ、記号化、言語化できる脳情報はわずかでしかない。いわんや、われわれ凡人がなしえる脳情報の記号化、言語化は、ほんの微々たる物でしかないといえよう。

 

 われわれは、エネルギーの実態を把握することはできない。できることといえば、具体的なエネルギーを数値化、記号化することぐらいだ。今のところ、数値化、記号化は、理論構築に役に立つということで、科学者を安心させている。だが、エネルギーのそのものを理解することは永遠にできないかもしれない。面白いことに、人間の言語中枢が発達したことにより、人間の不条理を明確化し、ますます悩むようになって来た。

 

 ほとんどの人は、数値化、記号化されたエネルギーを常識化し、身近なものとして認知しているが、エネルギーの誕生、変化、消滅、を理解できる人はいない。つまり、エネルギーそのものは、いったい何ものなのか?エネルギーの起源というものはあるのか?エネルギーは消滅するということがあるのか?まったく検討がつかないのが、エネルギーといえる。今のところ、未知なる脳というエネルギーを保有する人間は、脳を言語化し、記号化して、多少なりともエネルギーについて理解できたと、安心する以外にないであろう。

 

 自然現象や、社会現象を言語化し、言語化されたものを理論と呼び、理論の集積を現実の理解とみなしている。現実つまりエネルギーの理解とみなしている。そこでちょっと考えてみよう。言語化されたものは、現実なのだろうか?現実をどれだけ反映しているのだろうか?言語化は、確かに現実のほんの一部を切り取っているかもしれない。だが、“言語”は現実そのものではない。

 

 人間は、現実の世界で、現に生きることはできても、それ以外の新しい現実世界を作り出す能力はない。人間が、高度の記号力、言語力を身につけるようになっても、今ある現実とは別の現実を作り出すことはできないのではないだろうか?人間の能力を有限的に述べることは、悲観的のように思えるが、もしできたとしても、どれほど先のことになるか計り知れない。

 

 われわれに与えられた「脳という資源=エネルギー」を今後どのように使いこなすことが、人類に最も有益なことか考えてみる必要があるが、今のところ、快楽という脳機能が邪魔をして、脳をより有効に使いこなせてないといえよう。脳の機能は、生命を維持するためにいろいろなことをやってのける。食べたり、寝たり、交尾したり、けんかしたり、踊ったり、歌ったり、物を作ったり、話したり、描いたり、殺人したり、具体的に記述すれば無限にあるかもしれない。

 

 人間は脳を酷使し、文化を創造し、貨幣を創造し、人間関係を複雑にしてきた。今までになかった幸福を作り出し、今までになかった不幸を作り出してきた。身近な言葉でエネルギーを表せば、「幸福と不幸」といえるのではないだろうか。ちょっと不思議に思えることなのだが、われわれは幸福をひたすら求め続けている。それと同時に、不幸は現実に起こり続けている。宇宙においては、「幸福と不幸」という、相反するエネルギーが同時に存在し、決してなくならないエネルギーのように思える。

春日信彦
作家:春日信彦
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