天道虫

 ケンジは1人っ子で、両親は居酒屋を営んでいる、夜は何時もケンジ一人きりだ。

ケンジの2階の部屋は、数本のギターが乱雑に置かれ、アンプやらCDが部屋一面に転がってい

窓際の片隅にシングルのパイプベットがある、座れるスペースはそこしかない。

「そこに座って」

「アリガト」

「なぁ、腹減ってない?」

「うん!おなかすいたぁ、ペコペコ」

「チョット待ってな、何か持ってくるよ」

一階の台所の冷蔵庫や、戸棚を物色したが、カップラーメンしかない、どういう親だよまったく、

成長期の息子にカップ麺かよ。

消毒液と絆創膏とオヤジの缶ビールを失敬し、部屋へ戻った。

「ゴメン、カップ麺しかない」

「いいの、アリガト」

「その前に、痛いけど消毒するから我慢しろよ」

体中に擦り傷や痣がある、特に酷いのは頬と唇の傷、殴られたようなそんな痕だった。

「痛っ・・美人が台無しだよね」

「ふざけんな、我慢しろ、なあ親と喧嘩でもして殴られたか?」

「・・・」

「まあ、言いたくないんならいいけどさ・・

「ゴメン・・・」

「ねぇケンジ・・ワタシね・・小学生からイジメられてたの・・中学卒業するまで・・ずっと・・」

「・・・」

「ホント・・死のうと思ったこと・・何回もあるんだぁ」

「・・・」

メグは、壮絶な体験やこれまでのことを赤裸々に語った。

ケンジには到底理解できない、それは悲惨な出来事だった、のほほんと好き勝手に暮らしてきた

ケンジにとって、惨すぎる現実だ。

言葉では言い表わせない・・いたたまれない・・缶ビールのプルトップを開け徐に煽った。

「ねぇ、ケンジ・・あのね・・団地の屋上に昇って死のうとしたの・・そしたらてんとう虫が・・助けて

くれたんだぁ、私の手に止まって・・死んじゃ駄目だよって・・あのてんとう虫・・ケンジだったような

気がするんだぁ」

「・・・」

窮屈なシングルベットに抱き合いながら横になった。

「ケンジ・・スキなの・・大スキ・・」

「・・・、疲れてんだろ、そばに居るからゆっくり寝なよ」

「う・・ん」

ケンジはそっとメグの痛々しい唇にキスした。

余程疲れているのか、安心したのか、小さな寝息を立ててメグは眠りについた。

 

 

 窓の外の樹々には、静生りの騒々しいぐらいの雀たちの鳴き声で、目が覚めた。

彼女はまだ安らかな寝息を立てている、起さない様にそっと腕枕を外す。

痺れた左腕がなんだか心地いい。

親に何て説明しようか、言い訳を考えながら階下へ降りていった。

既に朝食の支度をしている母親の背中越しに言い出せないでいると、「お友達?泊まったの?」

「ああ、うん・・」

「女の子でしょ?向うの御両親は知っているんでしょうね?」

「ああ、多分・・」

「これ、上に持っていって食べな」

「うん、サンキュ」

小さい頃から食べ慣れている、決して美味いとは言えないオムレツとジャムマーガリンのトースト

だ。仕事で夜遅いのに、朝食だけは早起きして作ってくれる。

 部屋のドアをそっと開けると、メグが怯えた子兎のような目で俺を見る。

「ゴメン、起しちゃった?」

「目が覚めたらケンジが居なくて・・・」

「おはよ、これ多分マズイけど一緒に食べよう」

「うん、アリガト」

「今日、学校どうする?着替えとかもあるだろうし・・」

「うん、今の時間なら誰も居ないだろうし、帰って着替えてくる・・」

「一緒に行こうか?」

「大丈夫!いつもの公園で待ってて」

「分かった、学校はどうすんだ?」

「行くよ、一緒に行こ!」

「とりあえず、飯、食っちゃおうぜ」

「うん!」

 

 朝の通勤ラッシュで、人も車も忙しない、繁華街から少し離れた公園、ガキの頃から良く遊んだ

通称タコ公園、タコの形の滑り台があるからそう呼ばれている。

今はホームレスがこの公園を支配している、あちこちにブルーシートで覆われた掘っ立て小屋が

乱立している。

この時間は、彼らの身支度の時間なのだろう、水飲み場には数人の行列ができている。

以前は彼らを疎ましく思っていた、昨夜のメグの壮絶な体験を聞かされた今、彼らも同じ人間、

一生懸命生きているんだなと、妙な感情が湧いてくる。

 端っこのベンチに横たわる、満天に広がる様々な白い雲が、ゆっくりと流れてゆく。

昨夜のメグの告白が蘇る、自殺って・・そこまで追い詰められた壮絶な状況・・涙が溢れる。

俺、彼女が好きなのか?同情しているだけ?でも昨夜の彼女は、ケンジにとって愛しい存在で

あったのは間違いない。

「ケンジ!」

俺を呼ぶ彼女の声が遠くから聞こえる。

メグは、大きめなボストンバックと学生鞄を重そうに持ってやって来た。

「ゴメン、待った?」

「どうしたの、その荷物?」

「えっ、着替えとか・・色々・・」

「家出?」

「・・・」

「まっ、いいか、駅前のコインロッカーに入れようか?」

「うん・・」

 

 

 仇名はベロトツ、数学の教師、下唇がベロッと出ていて、とっつあんだから。

このクラスの担任でもあるベロトツの授業だけはホント・・ダルイ。

目の前に座っているメグの背中、普段と変わらないクラスの風景。

何事も無かったように時が流れてゆく。

 終業のチャイムが鳴ると同時に、学校事務員がクラスのドアを開けた。

「川崎メグミさんいますか?校長室まで来てください」

「あっ、はい、わかりました」

メグは、教室を出て行った、何だろう、昨日のことかな、大丈夫だろうか。

 校長室には、川崎メグミの母親がソファに座っていた、対座する校長と学年主任。

「川崎さん、昨日家に帰らなかったそうだね?」

「・・・」

「何処に行っていたのかね?」

「・・・」

「黙っていちゃ分からん、お母さんも心配なさっているし、正直に話してごらん」

「一晩中、街をブラついてました」

「一人でかね?」

「はい・・」

「嘘を言ってはいかんな、誰かと一緒だったのかね?」

「いいえ・・・」

「本当のことを言ってくれないと困るよ」

「・・・」

「お母さん、昨日はメグミさんと何がありましたか?」

「・・いいえ・・特には・・・」

「まあ、今回は何事も無く学校にも来てくれたし、外泊の理由は分かりませんが、二度とこういう

ことはしないと約束できるかね?」

「・・はい・・」

「それでは、お母さんもご家庭でメグミさんと話し合っていただいて、もし私共でできることがあり

ましたら、ご遠慮なく仰って下さい」

昇降口から玄関まで、母親の後ろにメグは続いた。

「お母さん、何でワタシ、帰らなかったのか分かるよね?知ってるはずだよ、どうして止めてくれ

なかったの?」

「・・・・・」

「ワタシ・・あのクソオヤジがいる限り、絶対帰らない・・ワタシ・・死んじゃうからね・・学校には

何も言わないでよ」

母親は泣いていた、メグも泣いていた、母親は何も言えなかった。

 またあの出来事が蘇ってくる、汚らしい・・・殺意に似た感情が生まれる。

学校から帰るとメグは、スキマスイッチのアルバムを聴きながら、ベットに横たわっていた。

うとうとしている所へ、いきなり母親の再婚相手が押し入ってきて、ワタシに覆い被さった。

「キャー、ヤメテ、何すんのバカ」

「静かにしろよ、いい娘だから」

いきなり頬を殴られ、意識が薄れてゆく中でも必死に抵抗したが、所詮男の力には到底敵わな

い、頭の中が真っ白になった、何処かで母親のすすり泣く声が聞こえる、身体の中心に激痛が

走った。それから先のことは憶えていない、死にたい・・死に場所を求めて彷徨い歩いたのだろう

か、何で、何でワタシだけが・・こんな・・この世に生まれてこなければよかった。

絶望の淵に立たされたとき、ケンジの顔が浮かんだ、無性に会いたい、ケンジ・・助けて・・・。

 

「なあ、メグ、大丈夫だった?」

「うん・・」

「そっか、今日も家来るか?」

「いいの?」

「平気さ!何とかなるよ!」

 

夕闇に街路灯の淡い光が優しく浮かぶ、賑わう商店街の入り口の垂れ幕に、バーゲンセールと

うたっている。

「メグ、お菓子とか、ジュース買って行こうよ」

「うん、そうだね」

「着替えとか持ってきた?パンツは?」

「バカ!エッチ」

「バカってなんだよ、心配してやってんのに」

「ゴメン・・だって・・」

コンビニで食料や生活必需品を購入し、家路を急いだ。

何だか妙な気持ちだ、一緒に買い物して、同じ部屋に帰る・・。

さて、親に何て説明しよう、俺は彼女の家出の理由を知らない、こんなことしていいんだろうか

親に迷惑かけんだろうな、でもメグのことはほってはおけない、何だか嫌な予感がする。

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