スラム街の天使

ヒカルには美学のポリシーがあった。美大で油絵を専攻したいと思った時期もあった。しかし、絵の才能に限界があるのを悟った。だから、監督の道を選んだ。ヒカルは少女を一目見たとき美の衝撃を受けた。彼は自分の美意識を信じたかった。きっとこの少女は世界的大女優になると確信した。確かにこの賭けに失敗すれば、この業界からは追放される。しかも、大きな借金を背負うことにもなる。しかし、ヒカルは決心した。自分の“美学”と心中することを。

 

監督は最後のお願いをすることにした。「確かに笑顔一つ作れない素人です。しかし、5000万円のコストで億の売り上げをして見せます。必ず約束します。万が一、できなかった場合、すべての負債を私が負います。お願いいたします」監督は勢いよく立ち上がると入口の前で直立した。そして、膝を折ると静かに土下座した。社長は一言もいえなかった。しばらく沈黙が続いた。社長は拳骨を作り、腕を振り上げた。その拳骨は禿げた社長の頭に落ちた。

 

「分かった!5000万円用意する。監督を見くびっていた俺が恥ずかしい」社長は監督を立たせると静かに部屋から出て行った。社長はポリシーも夢も失ってしまった自分が情けなかった。監督がうらやましかった。目先の金儲けのことしか考えられなくなってしまった自分が惨めでならなかった。10代の自分の姿がふと思い浮かんだ。オリンピックを目指し無我夢中で泳いでいた少年の姿。

 

スラム街の天使

 

少女はマフィアから解放され、女優として歩み始めた。臓器を売って子供を育てた母親。麻薬に手を出し、お金ほしさに子供を売った父親。売春宿でエイズになり路上で死んだ姉。スモーキーマウンテンで今でもごみをあさっている弟たち。家族は貧困と言う地獄から抜け出すことはできない。世界中の貧困はいまだ続いている。

 

監督はスアールを親友の映画監督に預け、“スラム街の天使”と題した台本を手渡した。その後、その映画が封切されると、世界中の話題となった。一人の男によって地獄から救われたスラム街の少女は、一躍、時の人となった。インタビューを受けたスアールは涙を流して「ヒカルに会いたい」と一言つぶやいた。そのころ、もはや、AV界ではヒカルの名前は消されていた。また、彼の消息を知るものもいなかった。

春日信彦
作家:春日信彦
スラム街の天使
0
  • 0円
  • ダウンロード

21 / 22

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント