産婦人科医の悲劇

「まあ、夢子に彼氏がいたかどうかだとか、男では聞きにくい話も聞けますしね。観光旅行とあれば行かなくもないですが、たんまりお小遣いいただけるんでしょうね。久しぶりに笙ちゃんに会えることだし、お願いを聞いてあげますかね」お菊は観光旅行にいけるとあって心では嬉しくてたまらなかったが、あえて、恩を着せるようにもったいぶった返事をした。

 

 「ありがとう、恩に着るよ、いくらでもあげるから、しっかり情報を取ってきてくださいね。すぐにでも、暇を取って、福岡に飛んでください」コロンダ君はきっと新しい手がかりがつかめる予感がした。メールでお菊さんは笙子と日程を打ち合わせると飛行機で福岡に飛んだ。午前10時に到着したお菊さんはタクシーでキャナルシティーに向かった。そこで笙子と落ち合うと、黄色のスイフトスポーツに乗った二人は、202号線バイパスで糸島へと突っ走った。

 

 「笙ちゃん、迎えに来てくれてありがとう。早速、おいしいものでも頂きましょう。お小遣いはたんまりあるから遠慮はいらないわよ。糸島は何がおいしい?そう、お蕎麦がおいしいところはある?笙ちゃんも、お蕎麦、大好きだったわね」早速、お菊は笙子の機嫌をとる作戦に出た。笙子は蕎麦と聞いて笑顔を隠しきれなかった。

 

「お蕎麦だったら、あそこね。高祖においしいところがあるの。江戸流手打ちだから、きっと気に入ると思うわ」笙子は時々食べに行く蕎麦屋に向かった。「へ~、江戸流ね、それは楽しみだわ、ど田舎にもそんなお店があるのね」お菊は糸島には古墳しかないと思っている。「糸島はど田舎でも空気は良くて、観光名所はたくさんあるんだから。きっと、糸島を気に入ると思うわ」ど田舎と言われて少しムカついたが、確かにど田舎だから笑顔で案内することにした。

 

 「糸島に引っ越したのはいつからだったかしら、以前は赤坂だったでしょ。この前来たときは、笙ちゃんはまだ中学生だったわね。そう、大濠公園の桜がとてもきれいだったわね」お菊は電話では何度か笙子と話したことはあったが、直に会うのは6年ぶりであった。キャナルの入口で待っていた笙子を見ても最初は笙子とは気づかなかった。お菊さん、と笙子が声をかけたとき、あどけなかったころの笙子の面影がパッと眼に浮かんだ。

 

「二年前に引っ越したの。父が長生きするには糸島が一番と言って、私が大学に入学すると早速前原に新築したのよ。父って、思い立ったら吉日って言って、すぐに実行する人だから、家族みんなびっくりしちゃった。だけど、父が言っていたことは正しかったわ。糸島はとってもいいところよ。糸島をしっかり観光してくださいね、お菊さん」最初、笙子はど田舎の糸島を嫌っていたが、住んでみると空気がきれいで交通の便もいいことがわかり、今では友達を案内して自慢するようになっていた。

 

「福岡は田舎の匂いがするけど、糸島はどんな匂いがするのかしらね。古墳の匂いかしら?そういえば、周りにはビルが一つもないわね。幽霊が出るんじゃないかしら。こんなところにも人類が住めるのね。やはり、長生きするものね」お菊は東京育ちで田舎のよさがまったくわかっていない。さすがに笙子もここまで馬鹿にされるとキレた。

 

 「そんなに田舎がいやだったら天神でお食事しましょうか?」笙子は目を吊り上げて睨みつけた。「え、何か気に障ること言ったかしら。田舎って空気がおいしくて、景色も素敵じゃない。笙子さん、糸島、とっても気に入ったわ」お菊はつい本音を言ってしまい、まずかったと気づいた。せっかく、情報を取るために田舎までやってきたのに、笙子の機嫌を損ねては肝心の話ができなくなってしまうと、即座に田舎をほめた。

 

 「お菊さんも、田舎のよさがすぐにわかりますよ。最初は誰だってびっくりするんです。だけど、いろんな名所を観光されると、きっと感動していただけると思います。蕎麦屋、もう少しでつきますよ」機嫌を取り直した笙子は少しムカついたことに恥ずかしくなった。笙子も最初は田舎を軽蔑していたからだ。末永を左に曲がると古びた蕎麦屋が左手に見えた。

 二人は席に案内されると、左上にお花、手前にお箸、中央に二皿の突出しが乗せられたお盆が運ばれてきた。お菊は聞き出す項目をイメージして早速話を切り出した。「笙ちゃんは坊ちゃんに夢子さんのことをお話されたでしょ。私も坊ちゃんにそのお話を聞いて頷いたのよ。夢子さんの自白は何かの間違いよね」お菊は笙子の言っていたことを肯定し、笙子の口を軽くする作戦に出た。

 

 「あら、やっぱりその件でやってきたのね。さっしはついていたけど、秀ちゃんに頼まれたのね。夢子のことは私が一番わかっているつもりよ。あんな自白、まったくの嘘よ。信じられないわ」笙子はメニューをめくりながら小さな声で答えた。笙子は自分の注文を決めるとお菊の注文を確認した。お菊は三味蕎麦に眼をすえると指で笙子に合図した。笙子も同じ三味蕎麦を注文した。

 

 「夢子さんはバイオリンがお得意でいらしたとお聞きしたわ。将来はバイオリニストを夢見ていらしたとか。ところが、突然、2年のころからT大を目指して勉強なされたみたいね。いったい、何があったのかしらね」お菊は夢子の夢に変化があったことに何か糸口があるのではないかと思った。

 

春日信彦
作家:春日信彦
産婦人科医の悲劇
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