軽やかな音が聞こえる。
——雀だ。そう思い、瞼を開けた瞬間に、ケージの意識ははっきりしていた。
夜が明けていた。
薄い朝の陽光が、殺風景な部屋を白く染め上げている。しかし、そのだだっぴろい空間を『部屋』と呼んでいいものかどうかは疑わしい。打ちっぱなしのコンクリートと鉄錆の浮いた頑丈そうな扉があるだけの、単なる倉庫の一室だった。3メートルほどの高さに、鉄格子のついた小窓がある。光はそこから射しこんでいた。真夏だというのに、底冷えする雰囲気があった。
昨夜、氷室に拉致されたケージと絵梨香のふたりは、夜陰に乗じフル・スモークのロングサイズ・リムジンに押し込められ、ネオ東京を離れここまで連れてこられたのだった。
目隠しと猿轡を兼ねたアーミイ御用達の拘束マスクをつけられたので、外界の情報は完全に遮断されていたが、精神を集中させカウントを取ったケージには、ここがネオ東京から二時間以上自動車で移動した場所であることは推定できている。
部屋にはケージひとりだった。マスクを外されたときに、すでに絵梨香の姿は見えなかった。おそらく別室に連れ込まれているのだろう。美しい少女の姿態を思い描き、ならず者に拉致されたその運命を思って、ケージは歯噛みせずにいられなかった。自分の見通しの甘さを呪った。しかし、くよくよしてもはじまらない。とにかく眠ること——時を待つことだと自分に言い聞かせた。なにせ藤堂から依頼を受けて、まだ一日も経っていないのだ。大詰めは近づいている。肝心な場面で身体が言うことを利かないではお話にならない。
独特の呼吸法を使い、ゆっくり身体の筋を伸ばし、すみずみまで入念にチェックして力を入れる。体調は万全、休養は充分に取れていた。
(ナメられてるな)
ひっそり笑った。敵はケージを捕らえ、監禁しただけで安心し切っているらしい。武器はなかったが、絵梨香の部屋で着替えたコンバット・スーツのまま、拘束着もつけられず放置されていた。抵抗できるわけがないと高を括っているのだ。
「後悔させてやるぜ」
低くつぶやく。それと同時に、鉄扉が開いた。
「元気かい?」
氷室〈崑崙〉葉介が、ニヤニヤ笑いを浮かべて立っていた。昨日と同じ、Tシャツとジーンズというラフな服装だ。
「独り寝は寂しいよ、身体が冷えきっちまった」
軽口で応える。
「可愛い顔して、言うねえ……」
楽しくって堪らない表情で、氷室はケージを見据える。その瞳には冷たい炎が見えた。
「大門豪作が呼んでる。来るか?」
「嫌だと言ったら?」
「蜂の巣だ」
氷室の後ろからふたりの男が現れた。全身黒ずくめのスーツ姿で、手にはサブ・マシンガンを持っている。黒ずくめの男達の顔には見覚えがあった。昨夜氷室と一緒にいた連中ではない。
「なるほどね」
ケージは鼻を鳴らした。サブ・マシンガンの銃口に毛ほども緊張していない。
「来な」
その言葉を了解の印と判断したのだろう、氷室は踵を返した。あっさりと背中を見せられても、ここは反撃できる場面ではない。
(とにかく、絵梨香と大門美朋を押さえないとな)
黙って従う。銃口がその後を追った。
広い屋敷だった。いや、屋敷ではなく、何らかの研究施設と考えたほうがしっくりくる。病院、それも総合大学クラスの医学部付属病院を連想させる内装だった。
拘束マスクをつけられていない。少なくともケージはここで始末するつもりなのだろう。何を見たとしても冥途の土産というわけだ。
氷室と黒ずくめの男ふたりとケージは、20メートルほど窓のないリノリウムの廊下を歩き、一度階段を下り、さらに貨物用のエレヴェーターでワンフロア下降して、大門豪作が待つという部屋に到着した。
「連れてきたぜ」
氷室が言うと、スーッと鉄扉(さっきまでケージが監禁されていた部屋の、頑丈なだけで薄汚い扉ではない、綺麗な合金性の扉だ)が開く。声紋登録システムだった。
部屋を一瞥する。
30メートル四方くらいのスペースの部屋だった。天井は高く、6メートルはある。ケージたちの入ってきた扉の正面は半分がコンソール・パネルになっていて、最新鋭の設備と思われる各種のデータ機器やモニター、エネルギー・チューブ、コードの類いでところ狭しと埋めつくされている。コンソール・パネルのある面は、天井から床まで白の強化プラスティックに覆われていた。残りの半分、扉の位置からは左側に当たるスペースには6本の強化ガラスのカプセル・ケースが縦に並び——ケージの知らないことだが、それは大門豪作が旧新宿のアジトに持ち込んだものと同じ型のものだった——、その手前に横倒しにされた冷凍睡眠装置があった。
冷凍睡眠装置のベッドに身を横たえているのは、大門美朋だ。
「ケージィ!」
途端にかん高い叫びが上がった。
絵梨香の声だ。コンソール・パネルの前に、黒ずくめの男達にサブ・マシンガンをつきつけられて立っている。昨夜、それだけは身に着けるのを許された黒のスリップ・ワンピースを着たままだ。服装に目立った乱れはない。今までのところは無事だった。
男たちは8人。思ったより少ない。
「よお」
ケージは手を挙げて応えた。まるっきり緊張感のない声だ。同時に、ふたりの黒すくめの男が素早く退く。代わりに氷室がS&Wを抜いて牽制する。ケージをナメているわけではなく、この〈崑崙〉が全幅の信頼を負っているということだ。実際、絵梨香と美朋の居場所が判っても、十人の武装した男たちなど問題ではないが、氷室がいては如何ともし難い。
「いい度胸だな、〈サイレンス〉ケージ」
頭上から良く響く低い声が降りてきた。
「えらく芝居掛かった登場をするね」
ケージはふりあおいで言う。
コンソール・パネルの左側、ケージには向かって右側の壁の上部にあるキャットウォークにみっつの人影があった。
先の声の主・大門豪作と、久鬼麗華、そして黒幕・大門絹子。
豪作はダーク・グレイのスーツ、麗華は紅のボンテージ・ルック、絹子は渋い色合いの和服だ。
3人とも満面の笑みを浮かべている。
「これで役者は揃った、ってことかな」
口笛でも吹きかねない調子でケージは続ける。
「まだですよ」
背後から奇妙に機械的な、細く高い声が聞こえた。その声には聞き覚えがあった。
「やっぱり、そう……か」
振り返るまでもなかった。思えば、最初からケージはそいつが嫌いだった。
「す、……すまない……」
しわがれた低い声が続く。その声を聞いては、振り返らないわけにはいかなかった。
梶由起夫と藤堂冬彦が部屋に入ってくるところだった。飼い犬と主人は立場が転倒していた。梶は拳銃を握り、銃口を藤堂の首筋に当て、元『飼い犬』は喜悦の、元『主人』は深い苦渋と疲労の表情をあらわしている。
「なるほど」
つぶやくケージの表情は平静そのものだ。
「驚きませんね」
梶が意外そうな顔で言う。
「人件費の節約なのか? 川崎のビルにいた奴がこの部屋にいるぜ」
「ハハァ、よく気がつきましたねえ」
先程ケージを迎えにきた黒ずくめの男たちのことだ。もともと、旧新宿で待ち伏せを食らったときから、内通者がいることは予測していた。藤堂はよりによって、敵のスパイに対策の現場を任せていたのだ。
「面目ない」
藤堂が低い、唸りに近い声を出した。
内通者が表立った行動を起こした、ということは、もはや大勢は決したということだった。その顔には絶望の色が濃い。
「で?」
藤堂と梶を無視して、ケージはふたたび豪作に向き直る。その顔には追い詰められたところは微塵もない。
「ショーの仕上げだ」
豪作はきっぱり、勝ち誇った口調で言う。パチンと指を鳴らすと、久鬼麗華、大門絹子とともに立っているキャットウォークの床がガタンと音を立てて割れ、エレヴェーターになって下に降りる。同時に梶の後ろから一台のダブルベッドが部屋に搬入された。黒ずくめの男たちが素早い動作でベッドをコンソール・パネルの前、ケージたちと絵梨香たちの間に移動させる。
真新しいシーツにくるまれた豪華な造りのダブルベッドは、いかにもその部屋の雰囲気にそぐわない。
「気に入らんな」
豪作がケージを見た。射すくめる、という表現が似つかわしい鋭い眼眸だ。気の弱い人間ならそれだけで心臓マヒを起こす。
「へえ? 親父殺してオモチャと姫さん手に入れて、それでもまだ足りないのかい?」
ケージは平気だ。少年の美貌と相俟って、その物腰は優雅でさえある。
「足りんな。その人形みたいな白面をドス黒く変色させるまではな」
豪作は淡々と言葉を継ぐ。そのパーソナリティーは、いわばたちの悪いガキ大将のそれだった。あれも欲しいこれも欲しいと言い、しかも手にいれたモノ自体への興味ではなく、自らの欲望を満たす行為だけを愛しているのだ。
「あれを見ろ」
豪作の指す先に視線を移動させる。はじめてケージの顔に戦慄が疾った。
5本並んだガラス・ケースのうち、右側から3本に生理食塩水が満たされ、〈魔獣兵器〉が両手両足をだらんとさげて浮かんでいる。のこりの2本は空っぽだ。
ここに〈魔獣兵器〉があるのは予測はついていた。しかし、一度完膚なきまでに叩きのめされた屈辱の記憶が、ケージを動揺させたのだった。
「主人はもう年老いました」
それまで豪作の影に隠れてひっそりしていた大門絹子が不意に口を開いた。
「このケダモノの能力を生かそうとせず、前世紀の過ちなどと綺麗ごとを言ってその技術一切を闇に葬ろうとしていたのです。なんと愚かなことでしょう。凶悪な〈兵器〉こそ利益を生むのは常識ではありませんか? せっかくの軍産複合体を作り上げながら、最高の〈商品〉を捨て去ろうとするなど、とても優秀な企業家のすることとは申せません」
一言一言をきっちり区切り、ケージの顔をじっと見つめる。年齢は60代半ばで、血なまぐさい老いに彩られた女だ。
「だから『引退』してもらったってのか」
「やや強引にな」
ふたりの《掃除屋》の皮肉に絹子は険しい視線を向ける。ケージは平気だが、氷室は雇主に肩を竦めてみせた。
「主人——大門雄一郎は、ダイモン・コンツェルンを分裂させ、利益部門を豪作に、慈善部門を美朋に継がせる計画を立てていました。藤堂? 貴方はそれを知りながら放置していましたね?」
態度の悪い《掃除屋》たちは無視して、背中越しに絹子は藤堂に声を掛けた。
「それが雄一郎様の御意志だ。ダイモンは雄一郎様がお作りになった会社だ。新参者ならいざ知らず、戦後のバラックから一緒だった私が逆らうわけにはいかん」
さっきとは打って変わり、藤堂の声にはきっぱりした威厳がこもっている。会話の内容が会社の業務に関わることなので、自然に自信があらわれていた。
鋭い視線で見返され、絹子は一瞬息を呑んで黙った。
「親父もお前も、もう終わったんだよ」
代わりに豪作が口を開く。
「お前たちだって若いときには相当悪どく儲けたはずだ。それを今さら善人振って、それで俺たちのやることの邪魔をされたらかなわんよ」
「美朋様をどうするつもりだ」
藤堂が話題を変えた。
「〈魔獣兵器〉は生物兵器だ。実験生物だが、残念なことに試験官で作るというわけにはいかない。また生体に直接改造を施すわけでもない。母胎が試験官の代わりになるわけだ。——そこらへんのことは、お前も開発者のひとりだから分かっているだろう?」
豪作の瞳が嫌な色に光る。
「まさか……」
「その通り、ここにちょうど二体健康で若い〈母胎〉が用意できたというわけだ」
大門美朋と、紫城絵梨香のことだ。ふたりのうら若い乙女に精子を注入し、子宮を使って〈魔獣兵器〉を開発するのだ。無論、〈母胎〉への影響は少なくない。出産の際にほぼ確実に母親は死ぬ。
「〈魔獣〉はまだ開発途上だ。ひとつは人間のコントロールが効かない危険を伴う存在であること。もうひとつは肉体の限界を越えた能力の発露によって活動時間が40分と限られること。実験体は幾らあっても足りないくらいなのだよ」
豪作の愉悦に満ちた余裕の言葉を、藤堂はもはやまったく聞いていない。絶望の縁に落ち込み、一度蘇った眼光は暗く澱んでしまっている。
「で、僕はそこで絵梨香に精子を注入してやればいいのか?」
ケージがのんきにダブルベッドを指さして言った。話の腰を折られ、一瞬呆然とケージの顔を見て、それから不意に豪作は吹き出した。
「フッ、フハハハハハハ…… お、面白い人種だな、《掃除屋》というやつは。面白いが、気にくわん男だ、〈サイレンス〉ケージ。精子提供者は俺だ。聞けば紫城絵梨香はネオ東京随一のアイドルだというじゃないか? 恋人の目の前でスターを犯す。実の父の目の前で娘を犯すショーの前座にはぴったりの趣向だろう?」
「おひねりに鉛玉をやるぜ」
ケージの声は堅い。
「美朋と藤堂が親子だと知ってたのか?」
「あなたとの会見で初めて聞いたんです」
梶が答えた。
「まったく無粋な話だよ。せっかく、憧れの近親相姦を達成したと思ったのにな」
「それでこの悪趣味を思いついたってわけか?」
「そういうことだ……。麗華!」
「——はい?」
それまでずっと黙って控えていた久鬼麗華が前に出る。
「そちらのお嬢さんをエスコートしろ。この世の名残だ、せいぜい快楽を味合わせてやろう」
凄艶な笑みを浮かべ、しずしずと絵梨香に歩み寄った。
「いっ、いやあっ」
硬直して豪作とケージの会話を聞いていた絵梨香は、麗華と目を合わせはじめて事態を把握し、激しく身を捩って叫んだ。しかしアッという間に背後の黒ずくめの男たちに押さえつけられてしまう。
「ふふ……可愛いコ」
蒼白な顔でぶるぶる小刻みに震える絵梨香を、麗華は舌舐めずりしてじっと見つめた。真っ赤なルージュがV字に歪む。
「心配しなくてもいいのよ、きっと最高に気持ち良くしてあげるわ」
「やめてっ、あたしに触らないで……」
嵩ぶりに濡れた麗華の言葉に、絵梨香は首を反らして答える。しかし、どれだけ逆らってみても無駄だと心得ているのか、その言葉には力がない。
「白い肌……」
反らした首筋に麗華の指が触れた。
「ひっ」
短い声を出し、絵梨香はギュッと眼を瞑った。指の後を追い、麗華は首筋に舌を這わせていく。首から、顎、頬、そして口唇までじっくり時間を掛けてたどる。しっとりと弾力のある美少女の肌に、ヌメヌメした唾液の跡がひく。それがせめてもの抵抗の印にしっかりと歯を食いしばっているのを、麗華の指が強引にこじあけ、
「あっ」
と小さな悲鳴を上げた瞬間に唇を重ね、舌を入れた。
「うっ、ああ……」
絵梨香に相手の舌を噛み切る勇気はない。麗華は怯えて逃げる少女の濡れた舌を口蓋の中で捕らえ、強く吸い、ペロペロ舐めまわし、ときに歯を立てたりさまざまに翻弄した。その間に空いている両手で巧みにベッドまで誘導していく。
「ああ……、いや……」
同性の熱い吐息が絵梨香を混乱させていた。敵だとわかっているのに、柔らかな愛撫に抵抗する力を奪われていくのだった。ストラップをはずされ、ベッドに押し倒されながら腰を持ち上げられてスルンとスリップワンピースを脱がされた。下着を着けていないのでそれだけでもう全裸だ。
「ああ……いや、いやっ」
絵梨香は弱よわしくかぶりを振り、ひんやりした感触の真新しいシーツの上で膝を抱えて丸まった。麗華もテキパキと服を脱ぎ、シースルーのストラップレス・ブラとガーダー、Tバックの黒一色に統一した下着姿になり、ベッドに座る。
「うふふ、楽しみましょう?」
真っ白な肌に口唇を寄せて言った。息がかかり、びくん、と背筋をそらし反応する。
「柔らかいわ」
小刻みに震える絵梨香の背筋からお尻の窪みに沿って、麗華はゆっくりと指を滑らせる。何度か往復し、不意にてのひらを翻して桃尻の割れ目に指先を潜り込ませた。
「ダメッ」
慌てて絵梨香が右手で麗華の指を払う。その隙を逃さず、麗華はガードのとれた胸と肘の間に左手を差し入れ、難なく絵梨香の躯をあおむかせた。もとの姿勢に戻ろうとする絵梨香の胸の谷間に顔を埋め、左手で肩を抱き、右手で小振りだがかたちのいい乳房を揉みしだく。
「ああっ……、いや」
絵梨香はバンザイする姿勢になって悶えた。麗華の甘い息吹にくすぐられ、ソフト・タッチで乳房を弄ばれるうちに、意識が漂い、快感に躯が疼くのを止めようがなくなっていく。
「あっ」
麗華の口唇が乳首を捕らえた。軽く吸い、ちょっとだけ尖らせた舌先で転がす。くすぐったさとじれったさの混じった愛撫に絵梨香はとまどった。
(な、何で?)
麗華は強姦者のはずだった。乱暴されることは、もちろん嫌だったけれど、捕らえられたときからある程度の覚悟はできていたのだ。それが遊び半分の優しい愛撫にすっかりペースが狂わされていた。激しく抵抗しようにも、まったく手応えがない。そのくせ、急所を知り抜いた同性のテクニックは絵梨香の心の鎧を着実にはぎとっていく。
「は、はあ……」
乳房から顔を離し、麗華は腕枕する姿勢で絵梨香の頭を抱え、ゆっくりと髪の毛を撫でる。ストラップレス・ブラをはずし、絵梨香よりひとまわり大きい乳房を脇の下からそっと擦りつけ、内腿にてのひらを這わせながら同時に接吻する。
「んっ、……う……ん」
もはや絵梨香は自然に麗華の口唇を受け入れ、みずから舌をそよがせて応えさえしていた。頬は紅潮し、うっとり目を閉じている。
しっかり抱き締められ、こうして肌を密着させていると、不思議な安心感があった。まるで幼い頃姉と一緒に眠っていたときのようだ。男たちに包囲され見つめられていることすら、脳裏から消えていた。
そのあいだにも内腿を這う麗華のてのひらは忙しく上下し、絵梨香の快感中枢を麻痺させていく。——自然に股が開いた。桃尻の薄い肉の合わせ目は充血してぷっくり膨らみ、若草の翳りの下で露をはらんでキラキラ光っているのがはっきりと見えた。
ゴクリ。
誰ともなく、唾を飲む音が響いた。
それが合図になった。麗華は口唇を離し——「あん」と不満そうな声を絵梨香は出す——腕枕を解いてM時に開いた足の間に躯を滑りこませる。
「あっ、ダメッ」
慌てて絵梨香は股間を両手で隠す。しかしその声には媚びる響きがあった。
「ダーメ」
答える麗華の声にも戯れの色が濃い。素晴らしい技巧だった。怯える少女を、すっかり翻弄し、自家薬籠中のものとしてしまっていた。
「ほら、手をどけて」
「イヤイヤ」
「しかたないわねえ……」
軽い言葉のジャブを応酬し、麗華は絵梨香の股のあいだで蹲った。ほっそりとした指の狭間で、ささやかな少女のラビアがピンクに色づいているのが覗く。麗華はためらわずに指の檻に舌先を尖らせ差し入れた。
「いやんっ」
絵梨香の背がびくんと反り返る。指股を舐めまわして、麗華の舌が敏感な若芽に届いたのだ。包皮を軽くなぞるだけで、ケタはずれの快感のパルスが絵梨香の全身を貫いていた。みるみる花弁が開き、指から力が抜ける。
「うふふ、綺麗よ……」
麗華の息が、ねっとりと秘唇を震わせる。
「ああ……、恥ずかしい」
はずした両手で紅潮した顔を覆う。脳裏にはもはや拒絶のかけらもない。さらけだされた媚肉はすっかり武装解除され、欲情に濡れそぼっていた。
「あっ」
長い指がクリトリスに触れた。そのままゆっくりと周囲を優しく撫であげる。口唇を尖らせ、内腿の付け根の窪みに軽くキスしてから麗華は舌を伸ばし、舌の裏側の柔らかく濡れた部分で膣前庭を舐めおろして、敏感すぎる女芯に加える愛撫とは対照的に一気に膣口に差し入れた。
「ふっ、ふああっっ」
ビクッと桃尻が痙攣し、いきなり声が数オクターヴ跳ねあった。信じられないほどの快感だった。そっとつままれただけのクリトリスからはじんじんする快楽の電気が疾り、深く深く伸ばした舌に刺し貫かれた膣襞への刺激に腰が砕けそうだった。麗華が尖らせた舌を媚肉の中で不意にひろげ、ぐるぐるかき回すと絵梨香は半狂乱になった。
「ああ・あああああああっっ」
いきなり重力が喪失してどこまでも深く落ちていく。落ち切る前に、次の快感が爆発して絵梨香の息が切れた。粘りのある白っぽい分泌液がどんどんサラサラした透明な液体に変わり、秘唇から溢れ出して内股に垂れシーツに大きなシミを作る。
「おねしょみたい」
口唇を離して麗華が言う。めくるめくエクスタシーに翻弄され、自動的な痙攣を繰り返す絵梨香の耳には届いていない。いつのまにか顔を押さえていた両手は躯の両脇に放り出され、ただ、はっ、はっ、と荒い息を継いで全身をいっせいに吹き出した汗に桃色に染め、底知れぬ快楽を味わっているだけだ。
「ホーラ、これなーんだ?」
返事を期待していない口調で麗華はベッド代とマットの隙間から40センチほどの白い物体を取り出した。絵梨香は薄目を開けてそれを視線の先に確認し、
「ああ……」
と欲情に濡れた吐息をついた。
双頭のバイヴレーターだった。ライトの白光を浴びてシリコン樹脂がヌメヌメと淫猥に輝く。
「さ、たっぷりと濡らしてね」
紡錘形の出っ張りに口づけして、麗華がいたずらっぽい笑みを見せた。そして矛先を絵梨香の口唇に差し出す。
「ん……」
ためらいがちに舌を伸ばし、絵梨香はバイブレーターを咥えた。最初はおずおずと、次第に気を入れて深く呑み込んでいく。下顎の動きで、淫猥な舌遣いが分かった。マゾヒスティックな快楽に蕩け切った表情をしている。その弛緩した顔を満足気に見つめ、麗華はバイブレーターを引き抜いて反対側をもう一度丹念にしゃぶらせる。
「もう、いいわね」
妖しくうなずき、しっとりした肌を密着させて抱きかかえ、唾液の糸をひくバイブレーターを顎から喉、胸の谷間、すべらかなお腹と辿って、同時にもういっぽうの手で背筋を優しく愛撫する。素早くTバックを脱ぎ捨て、桃尻をつかんでスルッと両足を伸ばして開きその下に滑り込んだ。
「んっ……」
軽く眉間に皺を寄せ、麗華はバイブレーターをみずからの媚肉に差し込んだ。一・二度短く往復させて感触を確かめ、深い位置で固定する。
「はあっ……、気持ちいいわ。……あなたも欲しい?」
下腹の上に桃尻を抱え、熱い息を吹きかけて絵梨香を抱き寄せた。そのあいだにも両手は忙しく動き、絵梨香の背中、脇腹、肩甲骨、乳房を弄んでいる。触れられるたびに、ピンポイントの熱い火照りがひろがっていき、甘いまどろみの中で、知らず絵梨香はうっとりとうなずいていた。
「お願い……」
思考と遊離した言葉が口をつく。麗華の口唇が乳首を捕らえ、軽く歯を当てる。尻たぶを思いのほか激しくつかまれ、引っ張られたスリットにバイブレーターが擦りつけられる。
「はっ、あっ、お願いっ」
脊髄を貫く快感の矢に、絵梨香はもうたまらなくなって哀願した。
「いいわ、あたしももう我慢できない」
麗華は邪悪な艶笑を浮かべた。こうでなくてはいけない。氷室に散々に翻弄され、粉微塵になりかけていた淫技に対する自信がよみがえっていた。捕らえられ怯えきり、これ以上はないほどに硬直した少女の警戒心を溶かし、忘我に身を委ねてもっともっとと口走らせるまでに嵩めていく。それでこそネオ東京の裏の女王、久鬼〈蛇姫〉麗華の本領なのだ。
「はあ……」
絵梨香はうっとり目を閉じる。
ブブッ、と、バイブレーターをあてがわれた秘唇に溜まった透明な泡が潰れる淫靡な音が聞こえた。
「ああんっっ」
短い悲鳴の尾が引く。ゆっくり、そして着実に、向かい合わせに座る姿勢で重なりふたりの女は繋がりあっていった。絵梨香は躯をのけぞらし、だらしなく口唇を開いて濡れた舌をそよがせる。首筋といわず胸といわず、麗華がキスの嵐を浴びせる。
「うっ、うううんっ」
どちらからともなく、感に耐えぬ声が漏れた。バイブレーターの鎌首が絵梨香の秘唇の奥深くまで届き、先端が子宮口に当たる。だらしなく開けっ放しになった口唇から涎れをダラダラ垂れ流し、白眼を剥いてのけぞった。
「ひ、ひはああっ」
ずるり、と肉襞を抉り、ヌラヌラ光るバイブレーターが美少女の媚肉からのぞく。無数の快楽の火花が連続的に絵梨香の脳髄で弾けた。真白な腹筋がひき締まって4つに割れ、お臍のまわりの肉がヒクヒクと痙攣する。
「もっとよ、もっと乱れるの……」
言うなり、麗華は左手で絵梨香のウエストを支え、右手を股間に向けた。
「いやっ、ダメッ」
しなやかな中指の先が敏感な女芯に触れ、ぶるぶるッと全身を震わせて絵梨香は叫んだ。止まらずに桃尻が激しく上下するたび、グチュ、ニチュ、と淫猥な擦過音が響き渡り、もはや声にならない喘ぎと混ざって極上のハーモニーを聞かせた。人差し指と薬指をV字にして小陰唇を撫で、中指で包皮を剥きクリトリスを捏ねる。さっきまでとは打って変わった容赦のない愛撫だった。
「いっ、あ ーッ」
快感の真っただ中での痛みはエクスタシーの栄養にしかならなかった。絵梨香はあられもなく叫び、涙さえ流して髪を振り乱し悶えた。
「もっとよっ、ホラッ」
麗華の声も興奮に荒い。少し背を後ろに倒し気味にして、腰を突きあげる。指は休みなく動きつづけている。
パチッ ——軽い音を立て、バイブレーターのスイゥッチをONにした。
ヴィィィィィィィィィ ーン
「うわあああああああああああっっ」
秘唇の奥深くまで埋め込まれた悦楽の楔が凶悪な電子音を響かせ蠢きはじめた途端、絵梨香は絶叫した。意識が真っ白になり、全身の皮膚が弾け、一瞬溶けだしたかと思うと、ぶつん、と時間の感覚さえもなくなった。
「あああああああああああああっっ」
硬直しながらも桃尻だけは忙しく跳ねている。どこかべつの世界にいってしまった精神の代わりに、肉体だけが貪欲に快感を味わっているのだ。
「んっ、んんんっ」
麗華もじっと目を閉じて、眉間に皺を寄せ押し寄せるエクスタシーの波に耐えている。
「がっ」
絵梨香が喉を詰まらせ激しく噎せた。ぷしゅう! と軽い音を立てて股間から透明な水が噴いた。
「今よ、来て!」
カッと目を開き、鋭い声で麗華が言った。絵梨香には何のことだかわからない。想像を絶したオルガスムスに我を失い、誰の言葉も、周囲の様子もまったく思考の範疇の外にあった。
「よし」
豪作が答えた。麗華が絵梨香に接吻してから、女たち以外ではじめて発せられた声だった。麗華が絵梨香を翻弄し尽くしているうちに、ベッドに乗っていた豪作はすでに服を脱ぎ去り、陽根はほぼ限界近くまで隆々とそそり立っていた。
「ほら、ちゃんとしてあげて」
麗華が半身を起こし、絵梨香の耳元に口唇を寄せてささやく。そのまま少女のほっそりした躯を抱き、あおむけに倒れた。
「ああんっ」
麗華の上にまたがる潰れた四つん這いの格好で前倒しになり、媚肉の中でバイブレーターが引っ張られて絵梨香は甘い声を上げる。
「いい姿だ……」
豪作は薄桃色に染まり噴き出した汗のためにしっとり濡れて光る尻たぶに手を添えた。
「ああ……」
それだけの刺激で状況もわきまえず絵梨香の口から喜悦の声が出る。クネクネする腰の動きで、ネオ東京のアイドルが完全に淫乱になってしまったのがわかる。バイブレーターが気持ちいいところに当たるように、みずから姿勢を調節しているのだ。感じるたびにお尻にえくぼが浮かび、それに連動して肛門がすぼまる。
たまらなくいやらしい眺めだった。
「いくぞ」
豪作が短く宣言した。菊門に猛り狂った肉棒の先端を当て、しとどに濡れたヴァギナからあふれ出す愛液を塗りたくって一気に刺し貫いていく。
「ギャッ」
絵梨香の意識から快楽の雲が一瞬で吹き払われた。アヌスはべつに特別な調教をしなくても、呼吸のタイミングしだいで容易に挿入できる。ましてや絵梨香はエクスタシーの絶頂にあり、無駄な力も羞恥もすっかりなくなっていたところだった。
「ああ……、いやっ、ダメ……、裂けちゃうう……」
脂汗をにじませ身悶える。禁断の快楽のすぐ後で、待っていたのは地獄の苦痛だった。 豪作は完全に根元まで押し込んだ。アヌスの処女は締めつけが格別で、直腸につながる肉襞はべとついている。薄い膜皮を隔てただけの膣口の中では、バイブレーダーが妖しくうねり続けており、肉棒に連続的な艶っぽい刺激を伝えてくる。
「いい感触だぞ、絵梨香」
豪作は強引に挿送を開始してつぶやいた。
「うっ、ぐっ……」
しかし絵梨香は快感どころか果てしない苦痛と恥辱にのたうつだけだ。
自分は罰を受けているのだ、と、絵梨香は思った。敵の手中にあって襲われながら、快楽に我を忘れて浸った淫乱の罰を。
「ホラ、《掃除屋》にその顔を見せてやれ」
豪作が強引に絵梨香の髪をつかむ。少女の視線の先に、〈サイレンス〉ケージは立っていた。完全な無表情だった。
「あああっ、いやっ、見ないでっ」
絵梨香は痛ましい声で叫んだ。恋人の前でレズの技巧に翻弄され、肛虐の洗礼を受ける一部始終を見られてしまった絶望に目の前が真っ暗になった。
「どうだ! 声もでないか? 〈沈黙〉はお前の渾名だったな」
豪作の腰に溜まった快感が弾けた。激しく動き、一滴残らず精液を搾り出し、直腸に注ぎ込んだ。
「…………」
下腹に放出される異様な感触に、絵梨香はおののいて震える。
やがて豪作は射精を終え、ふう、とためいきをついてから肉棒を引き抜いた。硬直した絵梨香の躯が解放されて脱力し、麗華の上に折り重なって潰れる。
「ふん、あまりの快楽に気絶したようだな。俺もついケツの穴に出してしまったよ。〈母胎〉にするためにははじめからやり直さなきゃならんな」
「そうね」
麗華が残酷な笑みで答え、股間に指を差し入れた。
「アアアッ」
かん高い悲鳴が絵梨香の口唇から奔った。気絶した少女を起こすために、麗華がクリトリスを思い切り抓ったのだ。
「寝てちゃダメでしょ? ホラ、もう一度ちゃんと使えるようにして差しあげなさい」
痙攣する絵梨香の髪を優しく撫で、麗華が躯を離す。入れ代わりに、豪作が仁王立ちになって絵梨香の前にきた。
放出したばかりで半萎えになったペニスが絵梨香の目前にあった。
精液と排泄物と血液にまみれ、ヌメヌメと邪悪に黒光りしている。
(もうどうなってもいい……)
絵梨香は瞳を閉じて、自虐の味のする肉棒を咥えていった。強烈な汚臭に頭が眩む。おずおずと舌を差し出し、丹念に嘗める。
口中で、次第に肉の凶器の体積が増していくのが分かる。
ギリッ。
ずっと表情を変えなかったケージが、軽く歯ぎしりした。あまりにも小さな音で、周囲には届いていない。動揺を表面に出すことは戦いにおいて命取りになる。したがってケージは淡々と恋人が凌辱される場面を眺めてはいた。しかし、内心は穏やかでないどころか煮えたぎっているのだ。
「美朋を起こせ、4Pといこう」
悦に入った声で豪作が黒ずくめの男たちに指示を飛ばす。冷凍睡眠装置は完全に駆動されていたわけではなく、大門美朋は単に薬によって一時的に意識を奪われていただけだった。黒ずくめの男たちの2、3人が冷凍睡眠装置のボックスの周囲に集まる。
何かほんのちょっとでもいい、きっかけが欲しかった。豪作も黒ずくめの男たちも、完全にケージに対するおのが優位を疑っていない。逆転するのなら今しかなかった。しかし、銃口を向ける氷室〈崑崙〉葉介につけいる隙はまったくなかった。
(くそっ)
ゴオン……!!
ケージがすべてをあきらめかけた瞬間、出し抜けに部屋、いや建物全体が揺れた。
地震!? ——違う。
部屋に集う全員に動揺が走った。一瞬遅れて、天井に巨大な亀裂が走る。
「ああっ」
黒ずくめの男たちのあいだから、魂消る悲鳴があがる。亀裂は一気に枝別れして増殖し、天井が粉々になって崩れ落ちはじめた。
ケージが動いた。チャンスと思ったわけではない。《掃除屋》の直感が、天井に亀裂が走ったのを見た瞬間に肉体を反応させていたのだ。
ドン!
氷室のS&Wが火を噴く。しかし崩れ落ちるガレキに弾丸は阻まれた。
「ちっ」
舌打ちして位置取りを変えた。その間にケージは手近な黒ずくめの男に手刀を浴びせ、サブ・マシンガンを奪い2、3人をアッという間に屠った。
「撃つな!」
うろたえた豪作が叫ぶ。武器を持った敵はケージひとりであり、下手に撃ち合えば同士討ちは必至だ。流れ弾を避けてベッド脇に降り、素早く起き上がった麗華がガードする。いつのまにかその手には数本のナイフが握られている。傍らに絵梨香を引き込んでいた。いざという時のための人質だ。
「ちいっ」
豪作に言われるまでもなく、氷室には撃ちようがなかった。崩れ落ちるガレキの中でケージはジグザグに動き回り、的確に黒ずくめの男たちをヒットしていく。事態の急変は恐らくケージの味方による襲撃に違いない。パニックに陥ったこちらの戦力を考えれば、後1分ももたないだろう。
「大門!」
氷室は怒鳴った。豪作でも絹子でも良い、撤退するかと問うているのだ。
「逃がさんぜ」
ケージは独笑する。まず人質たちをこちらに奪回しなければならない。冷凍睡眠装置の周囲の男たちを片づけ、ふりかえると梶由起夫にバッタリ出くわした。
「あっあっあっ」
梶は色を失って硬直していた。藤堂に銃口を押しつけたままだが、トリガーを引くこともできないくらい混乱していた。
ケージはためらわずサブ・マシンガンを向ける。軽い音が響いた。
「くあっ」
梶は額の真ん中に風穴を空け、間抜けな声を出した。
「残念だよ、もっといだぶってやろうと思ってたのにな」
すっと身を寄せ、その耳元でケージが囁く。崩折れる梶の手から拳銃を奪う。旧式のベレッタだった。
「じいさん、大丈夫か?」
ガレキを避けて藤堂に聞いた。真っ青になったダイモン・コンツェルンのNO・2は、それでも気丈に堅い顔でうなずいた。
「ああ……、しかし、これは一体……」
訝しげに天井を見た。
「ハーイ!!」
藤堂の疑問に答えるように、天井から大音響が鳴り渡った。
同時に、とどめの一撃を部屋に加え、巨大なコンテナがあらわれた。
〈ガーデン〉だ。
「言ったろ? ケージあんた甘いんだって」
スピーカーからお気楽な声が続く。
紫城貴和美だ。
「さっすが先生!」
こんなときだけ、目を輝かしケージはその声を神々しく聞いた。
「いくよ!」
スピーカーがきんきん声を張りあげ、〈ガーデン〉の外壁パネルが割れて、ハリネズミのごとく無数の弾頭がせり出す。
ヒュヒュヒュヒュヒュヒュン!!
いっせいに四散した。
「派手すぎるって……」
藤堂を床に押し倒してかばい、ケージはあきれたつぶやきを漏らす。〈ガーデン〉が放出した数十基のグレネードが、一瞬にして部屋を粉々に打ち砕く。黒ずくめの男たちのパニックが頂点に達し、阿鼻叫喚の地獄絵図が出現していた。
「絵梨香ーっ」
ハッチを開いて紫城貴和美が姿を現した。肩からサブ・マシンガンと無反動ライフルを提げ、ナイフと拳銃、手榴弾で完全武装したコンバット・スーツの美貌は、さながら戦いの女神アテナを思わせる。長い髪がサラサラと風にそよぎ、キリリッとひきしまった柳眉の下で、いきいきした瞳が輝いている。まさに戦うために生まれてきた女だった。
「!」
間を置かず貴和美の顔面に向けてナイフの一閃が飛んだ。
「くっ」
チン! という軽い音とともに貴和美が唸り、身体をひねって〈ガーデン〉の影に落ちた。飛んできたナイフを隠剣で受けたのだが、最初の刃の下にもう一本のナイフが潜んでいて、不覚にも肘に食らったのだ。弾丸の直撃にも耐えるコンバット・スーツがすっぱりと切り裂かれて白い肌に真っ赤な線条が走っている。D11合金製の切れ味だった。
「ちいっ」
ボタボタ流れ落ちる血をてのひらで押さえ、貴和美は周囲の様子を窺った。
1メートルほど手前に久鬼麗華がナイフを構えて立っていた。
「遅い!」
勝ち誇った声を聞いたと思う間もなく、貴和美は動いた。銃をで反応できる距離ではなかった。麗華の投げナイフをライフルを投げ捨てて払い落とし、一気に間合いを詰めて滑り込むナイフを隠剣で受ける。
ぽん! とそのままの勢いで麗華が貴和美の頭上をトンボ返りで飛んだ。
「ヒュッ!」
振り仰ぐ貴和美の鼻梁目掛けて麗華はさらにもう一本ナイフを投げた。
隠剣で受ける。
ぞわっとする悪寒が貴和美の背筋を駆け抜けた。
バンザイの姿勢になって棒立ちの貴和美に、着地して一瞬で踵を返した麗華の腕が伸びた。その手には2本のナイフがある。
(手品師かよ!)
貴和美が思った瞬間、
「うっ」
と麗華が短い声を出し動きが鈍った。
振り上げた貴和美の肘から落ちた血の流れが、麗華の眼球を襲ったのだ。
ガツン!
〈蛇姫〉の美しい額に、貴和美は隠剣の切っ先を叩き込んだ。
びくん! と一回激しく痙攣して、麗華は倒れた。
「ふう……」
長い息を吐き、貴和美は隠剣をてのひらに隠す。危なかった。偶然が勝敗を決した。顔面を血に染めて倒れたのは、もしかすると自分のほうだったかもしれない。
「あれ?」
と、目の前にひとりの少女が座っているのに気がついた。
「あなた……」
貴和美はその少女の顔をブロードキャスト・ニューズで観たことがあった。
この事件のすべての発端、囚われの令嬢。
大門美朋。
「大丈夫?」
素早く身を寄せ、優しい声で聞いた。
「はい……?」
美朋は要領を得ない顔で、ぼんやりと貴和美を見返した。うつろな瞳をしている。薬物で眠らされた影響がまだ抜けていないのだ。
「もうちょっとここらへんで待ってて。これをあげるわ。知らない奴がきたら迷わずに撃つの、いいわね?」
貴和美は携帯してきたコルトの軽量オートマティックを握らせ、美朋に言い聞かせた。本当ならこのままガードしておきたいところだったが、絵梨香のことが心配だった。ケージが藤堂を押さえていることは確認してあったから、早晩こっちに駆けつけるだろう。他の何より依頼を優先させるのが《掃除屋》で、ケージは絵梨香より先に美朋を探すはずだった。
「わかった?」
まだ夢の中にいる表情の美朋に、貴和美は語気を強めて言った。
「……はい」
おずおずと美朋はうなずく。
「よし」
ぐずぐずしてはいられなかった。
ケージは、そして絵梨香はどこでどうしているのだろうか? と貴和美は思い、踵を返して焦炎の中に飛び込んでいった。
その時、〈サイレンス〉ケージはもうひとりの《掃除屋》、氷室葉介と対峙していた。「そんな骨董品じゃ、狙いも定まらないんじゃないの?」
ガレキの被さった崩れた壁の影に身を隠し、ケージは軽口を叩いた。
氷室の道具であるS&Wリボルバーをからかっているのだが、ケージの手中にある梶から奪ったベレッタも旧式のものなので、本当は人のことなど言えた義理ではない。
「使い慣れた道具が一番なんだよ」
氷室も楽しげに受けた。ケージと同じく、声の反響が分かりにくいスポットに潜んで相手の出方を窺っている。
戦いは膠着状態に陥っていた。
最初は藤堂をかばいながら撃ち合うケージが明らかに押されていた。しかし、途中で藤堂がみずからひとりで逃げ、一対一になれば互角だった。ケージは隙だらけの藤堂を氷室が撃つと思ったが、氷室はあっさりと見逃した。旧新宿での邂逅で遅れをとったことに氷室のプライドはいたく傷ついており、他の獲物は眼中になかったのだ。
「ちっ、てことはこっちが不利かよ」
ケージはつぶやく。焦っていた。フリーになれば絶対の自信を持っていたのに、氷室はケージのシューティングをことごとくかわし、次第に距離を詰めてくる。〈ガーデン〉の襲撃で焦土と化した部屋は、あらかた破壊され尽くして静寂を取り戻しはじめている。黒ずくめの男たちは全員あの世に送った。混乱に乗じ形勢を一気に逆転したわけだが、敵の最大の戦力である氷室を始末し、一刻も早く人質を奪回しなければ事態はまだまったく予断を許さない。
イチかバチかの大勝負に出るタイミングだった。
と。
RRRUUUUAAAAIII……
静寂を破って、獣の咆哮が天を貫いた。
「くっ」
ケージの全身が硬直した。体毛が逆立ち、毛穴からいっせいに冷たい汗が吹き出す。瞳孔がひらき、心臓の鼓動さえ止まった。旧新宿の記憶が、身体を恐怖の鎖で縛りつけたのだ。
魔獣は、フロアの中央にいた。
背後に、めちゃめちゃになったカプセル・ケースの残骸が転がっている。
〈ガーデン〉の一斉放射で破壊されたのだ。
戒めを解かれ〈魔獣兵器〉は復活した。固まった3体の中で中央に屹立した1匹が、さっきの雄叫びをあげた奴だった。傍らにまだ覚醒仕切っていない2匹目の魔獣が蹲っており、3匹目は影になっていてケージのほうからは見えない。
GGIIIIII……
1匹目が狂った声を出した。顔をしかめ振り向く。
そこに3匹目かいた。3匹目は完全に自制を失っていた。〈ガーデン〉のグレネードの直撃を食らったらしく、頭部がなかった。めくら滅法に暴れ、1匹目に襲いかかる。1匹目はためらわずに逃げた。さすがに共食いは避けるのだ。獲物を失った頭のない魔獣は自動的な動きで手当たり次第に暴れまわる。残った柱や壁や天井のカレキが、かすっただけで木っ端みじんに打ち砕かれていく。脳味噌をふっ飛ばされていてもその破壊力には遜色がなかった。
信じられないバケモノだ。
「ふん」
ケージの口唇に、本人は意識していない微笑が浮かぶ。あまりにケタはずれの〈魔獣兵器〉の生命力に、恐怖よりも興味が湧いたのだった。このバケモノをいかにして《掃除》するか? 面白い。そう思った瞬間に恐怖が消えた。
「ケージ!」
貴和美の声だった。姿はない。一瞬遅れて、ぽうん、と空中に何かが投げあげられた。
ベレッタを連射しながら、落下点にケージは飛んだ。氷室のシューティングで何箇所かコンバット・スーツを焦がし、転がって拾った物体はテレンテッド製の粘着テープと、固形の原子火薬だった。テレンテッドはD11合金製のナイフでも切断できない耐性を備えた宇宙開発用の特種繊維で、原子火薬は酸素を必要とせず発火されれば周囲のものすべてを燃やし尽くすアーミーの採用している兵器だ。10センチくらいの紡錘形の原子火薬は、プラスティックでコーティングされ、腹の部分で数珠繋ぎになっている。全部で12本あった。合せ目のプラスティックを引きちぎれば発火する仕組みだ。
「なんとかしてよ……」
貴和美はつぶやく。2度も大声を出すようなヘマはできない。ケージと絵梨香が拉致されたことを貴和美が知ったのは〈ディジール〉の三枝が連絡してきたからだった。セキュリティー・システムにハッキングされていたのを発見し、保安部に確認されたところ絵梨香が消えていたというのだ。〈お喋り〉ナムからも連絡は途絶えていた。貴和美は迷わずケージの仕事に関係していると判断した。大門豪作のデータベースにハッキングして検索し、富士のダイモン生化学研究所特殊別室が怪しいと睨んで奇襲したのだった。
ケージを一人前の《掃除屋》に育てたのは貴和美だ。その実力は充分わかっている。ケージがヘタをうったとしたら、それは相手によくよくの切り札があるに違いない。突然あらわれた〈魔獣兵器〉を見て、貴和美はすべてを理解した。
通常の武器とは質の違う超高級品のテレンテッドと原子火薬を用意したのは、からめ手が必要かもしれないと思ったからだった。
「こいつはいいや」
ケージの微笑が濃くなった。貴和美のアイディアは手にとるようにわかる。
「ちっ、潮時か……」
氷室の顔が曇る。紫城貴和美が〈サイレンス〉ケージに何かを渡した。恐らくは武器だ。それも〈魔獣兵器〉に対抗できるクラスのものに違いない。相手の戦力が不明なのに戦いを続けるのは危険だ。氷室は戦闘を楽しむタイプだが、それに溺れることはなかった。プロとしてここは依頼人の安全を確保し後退するべきだ。
「なんてことだ……」
豪作は信じられなかった。ついさっきまでの勝ち誇った表情が、部屋と一緒にズタズタに打ち砕かれてしまっていた。麗華に渡された拳銃を絵梨香に突きつけ、右往左往しているだけだった。絵梨香が淫行にぐったりして無抵抗だったから良かったものの、暴れられたらどうなっていたことかわからない。
「行くぞ」
堅い声で、座り込んでいる絵梨香に言った。心神喪失に陥っている絵梨香に反応はない。無理やり起きあがらせ、豪作は慎重に周囲を窺い歩き出した。このフロアの裏側のコントロール・ルームには、当主である大門家の人間しか知らない緊急用の脱出ポッドがある。とにかく逃げなければ。ここを乗り切ればまだ挽回のチャンスは充分にある。ネオ東京に戻ってから考えればいい。
「あっ」
ケージと貴和美と氷室と豪作の声が重なった。
荒れ狂う頭のない魔獣の姿は、どう行動しても全員の視野に入っていた。その魔獣の行く先に、蒼白になった大門絹子が棒立ちになっていた。
ケージと貴和美はそれを無視した。ふたりに絹子に対する義理はない。自業自得とはこのことで、自分で蘇らせた前世紀の遺物に勝手に殺されればよい。
氷室はそういうわけにはいかない。依頼人を殺られては《掃除屋》としてのメンツに関わる。相手が誰であろうとも、何としても絹子を救わねばならない。
豪作はためらった。親子の情のためではない。絹子はダイモン・コンツェルンを自分の手中にするために、まだ死んでもらうわけにはいかない重要な人間なのだ。
「〈崑崙〉!」
豪作の出した叫びは、呼びかけではなかった。どこからか突然あらわれた氷室が、〈魔獣兵器〉と絹子のあいだに、またたく間に割りこんで入ったことに驚いて思わず口をついたのだ。
「そりゃあ!」
氷室は腹の底から声を出した。実際に敵対して〈魔獣兵器〉に面してみると、その威圧感は尋常ではなかった。さしもの《掃除屋》といえども、へなへなとへたりこんでしまわないためには、大声でも出して気合いを入れるしかない。
「あなた……」
絹子が場違いに甘えた声を出した。あまりに常軌を逸した恐怖のために、精神の均衡が崩れてしまっているのだ。
「馬鹿が!」
氷室は誰にともなく毒づく。
魔獣の動きは直線的で、まったく澱みがない。氷室は冷静にS&Wの弾丸を〈魔獣兵器〉の両足首に撃ち込んだ。ヴァランスを失った魔獣はうつぶせに倒れた。もともと知能が低い上に脳髄が消失している〈魔獣兵器〉は、四肢を振りまわしてフロア面をぐずぐすに砕くのが精いっぱいで、もはや立ち上がるすべはない。
しかし問題はこの後だ。
アクシデントで覚醒したこの〈魔獣兵器〉たちは敵のデータをインプットされていない。つまり一度近づけば相手構わず襲いかかる殺戮と破壊の権化なのだ。
RRRUUUUUAAAAAAAA……
予想通り、仲間をやられた魔獣が、氷室の前に立ちはだかった。さっき咆哮を轟かせ、同族に襲われて混乱し逃げた奴だ。ひとしきりうろつき、獲物を見つけられず戻ってきていたのだ。
IRRUUUUU……
ギラついた魔獣の双眸が、氷室を捉えた。
(こりゃあ、ダメかな)
不思議に恐怖感がなかった。というより、氷室にはこれが現実とは感じられなかった。
「《崑崙》!」
ぼんやりした氷室を、ケージが怒鳴りつけた。宿敵の声にハッと我に返った氷室は、後方に飛び、背後の絹子を安全圏に突きとばして迫り来る〈魔獣兵器〉にS&Wを全弾連射する。
むろん、〈魔獣兵器〉に銃はまったく通用しない。
「うしっ」
ケージがひとりでうなずく。敵の声を聞けば、咄嗟の判断で氷室は絶対に銃を使う。魔獣の全意識も攻撃をかけてくる相手に向かうはずで、ケージが背後から近づくのが容易になる。
「ほらよ!」
原子火薬を引きちぎり、氷室と〈魔獣兵器〉の中間に投げた。原子火薬は発火するまでに数秒のタイムラグがある。放物線を描き、素のままで〈魔獣兵器〉の鼻先に落下する。それを氷室のS&Wの弾丸がぶち抜いた。
パアン!
一瞬で強烈に圧縮された原子火薬が弾けた。軽い音だったが、直径6メートルの火球が出現し、〈魔獣兵器〉を頭から飲み込んだ。
HIGYAAAAAAAA……
断末魔の悲鳴があがった。猛スピードできりきり舞いし、フロアに倒れ転げまわる。
「なっ!?」
氷室には何が起こったのかまったくわからない。しかし弾け飛んだ原子火薬の炎は氷室にも及び、利き腕と銃を丸ごと燃やした。
「あばよ」
火球の中からあらわれたケージの言葉が、氷室がこの世で聞いた最後の言葉になった。炎に包まれた右手を差し向けた氷室の額に、ケージはベレッタの弾丸を撃ち込んだ。氷室のために、一発だけ残しておいた弾丸だった。
「あなた、あなた……」
うつろな瞳を開けた大門絹子が、崩折れた氷室の死体におずおずと近寄り、語りかけはじめた。完全に狂っている。
「おい」
それでもケージは声をかけた。
「豪作は何処だ? 何処に逃げる?」
「ケージィィ!!」
声が重なった。絶叫は掠れていたが、聞き違えるわけがない絵梨香のものだ。
「絵梨香!」
思わず声が出た。探すまでもなく、絵梨香との距離は5メートルくらいだった。すぐ隣に豪作がいた。銃を向けていた。
「!」
ケージは飛んだ。豪作の持っているのはガヴァメント・スタイルのオートマティックで、速断連射可能の、性能的にはライフルに匹敵するものだ。身を隠す場所がなかった。初弾をかわしてもなぶり殺しに会うことは目に見えている。
床に伏せ、ジグザグに転がる。しかし、銃声がしない。
「うっ……」
豪作が呻き声を漏らし、拳銃を床に落とす。右手首に、1本のナイフが突き立っていた。
「詰めが甘 ーい」
フロアに身体を伏せて動きを止めたケージに、貴和美が得意満面の声を浴びせた。
「お姉ちゃん!」
絵梨香が豪作を突き飛ばし、脱兎のごとく駆け出す。
原子火薬の作った火球の、凄まじい放射熱と発光に、絵梨香の心神喪失が解けたのだった。火球のそばにケージの姿を見て、反射的に叫んだ。油断していた豪作は動揺し、こちらを見たケージに銃を向けた。トリガーに指がかかる前に、絵梨香の声を聞きつけた貴和美のナイフがその手首を貫いたのだった。
「まいった」
結局、美味しいところは全部貴和美が持っていく。ケージはぶすっとした声を出した。「へっへ〜ん」
貴和美が優越感に浸った瞳でケージを見下ろしている。左手にライフルを構え狙いをつけているので、豪作は逃げられない。逃げる絵梨香を恨みがましい目で追うだけだ。
「おいで」
猫撫で声を出す貴和美の前をあっさりすり抜け、絵梨香はケージのもとに走った。
「へ?」と貴和美。
「大丈夫?」
膝をつき、絵梨香はケージの肩に手を差し延べた。一糸まとわぬ全裸のままだということにも気がついていなかった。
血の繋がった実の姉妹よりも、傷ついた恋人のほうが大切。
「ああ、平気さ」
ま、そういうことだという瞳で貴和美を一瞥し、ケージは半身を起こして絵梨香の髪を優しく撫でた。
「ふん!」
憮然とした顔で、貴和美は豪作に向き直った。
「さあて、こいつをどうするかねえ……」
ケージが、倒れている男たちのあいだから比較的汚れの少ないのを選んで絵梨香にジャケットを羽織らせてやり、貴和美の横に並んだ。
「藤堂に引き渡す。それでいいだろ」
「藤堂は?」
「ここです……」
ガレキの影から、憔悴した藤堂冬彦があらわれた。戦闘のあいだ、ひたすら物陰に潜み逃げまわっていたらしい。本来は高級品であろうスーツが、無残に擦り切れ、ボロボロになっている。
「終わったんですか」
そして聞いた。権力者の口調ではなくなっていた。
「僕たちの仕事はね。これからどうするかは、あんたたちの仕事さ」
ケージは軽い微笑を作って、肩を竦めて見せた。
「美朋様は……?」
「あっちにいるんじゃない? 動くなって言っといたから」
冷凍睡眠装置のあった場所を指差して、貴和美が答える。冷凍睡眠装置は、ガレキに埋まっていた。
「み、美朋様っ」
藤堂が見るも悲惨にうろたえた。
「で、もう1匹バケモンがいたろ?」
それは無視して、貴和美はケージに聞いた。
「よく眠ってたからさ、口の中に5、6本原子火薬を放り込んで全身をテレンテッド・テープでぐるぐる巻きにしといたんだ」
いかに〈魔獣兵器〉とはいえ、大気圏でも使用可能な抜群の強度を誇るテレンテッド・テープで縛られていては引きちぎることはできない。内側から燃え尽くされるしかなかった。
「えげつないことするねえ」
「そりゃ、貴女の弟子だから」
「馬鹿め!」
出し抜けに、それまでずっと押し黙ってじっとしていた豪作が怒鳴った。しかし、豪作の姿は、絵梨香に突き飛ばされ貴和美に銃口を向けられて蒼白になり硬直したままだ。
「電磁シールド!」
ケージが叫んだ。五感情報を混乱させる旧新宿で連中が使ったやつだ。
「ちっ」
貴和美が逡巡せずにライフルを撃った。
バチバチバチ!
が、弾丸は見えないカーテン、電磁シールドに跳ね返された。旧新宿のときよりも数段機能が上のものだ。
「そういうことだ」
豪作は喜色に満ちた声で叫んだ。絹子が〈魔獣兵器〉に襲われるのに気をとられ、シールドの領域外で足を止めたのは失敗だった。しかし、偶然にも絵梨香が突き飛ばしてくれたお陰で、《掃除屋》たちに気取られずに逃げ込むことができたのだった。
もはや一刻の猶予もなかった。極秘裏に事を進めるため、ここには最低の人員しか用意していなかったが、ネオ東京に帰れば数千人の配下がいる。まだまだ勝負はこれからなのだ。——と、脱出ポッドに抜ける扉の前に、ひとつの人影があった。
「お前は——」
意表を突かれた豪作の額に真っ赤な穴が穿たれた。勢い込んで走った反動で真横にばったり倒れる。人影は豪作の身体に歩み寄り、電磁シールドを解除した。
「大門美朋……」
ケージが、人影の名を呼んだ。
「私も大門の人間です。どこに逃げるかくらいは、わかります」
しずしずと、うっとりした声で美朋は言った。
「美朋様! ……御無事で」
藤堂の喜びの声は、しかし途中で萎えた。誘拐される前に自分が知っていた美朋と、今目の前にいる美朋とは、とても同一人物とは思えない異質さがあったからだ。
「ご苦労でした」
白い肌は、ますます透明感を加え冴えざえとしている。たった今人を、それも義理とはいえ兄を殺したばかりだというのに、薄桃色の口唇には確かに微笑が浮かんでいた。淫獄の狂気をくぐり抜け、天使は魔性の女神に転生したのだ。
「どういたしまして」
答えるケージの声は震えていた。