ナマポ!生活保護のススメ

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 俺の家族構成は至ってシンプル、父一人・俺一人、母は5年前に膵臓癌で亡くなった。

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 今思い返すに、ただただ働いて、仕事のない時はゆっくり過ごすか、独り身だから仕方なしに家事でもこなしていればよかったと思う。そうすれば今頃それなりの金額は貯まっていたかもしれない。

 あせった俺は、もっとたくさん、もっと効率よく金を稼ごうとしていた。手持ちの金がもう1ケタ増えれば、自分の人生が変わると本気で思っていた。自分で気づいて、自分で動き出したつもりだったけど、世の中に乗せられていただけなのかもしれないと、今も思う。暇つぶしに買った中古のパソコンでネットサーフィンや、レンタルDVDのコピーなんかをしていたのが株の売買やFX中心になるのにそう時間はかからなかった。三交代制の工場で働き疲れて、寮という名の派遣会社の用意したカゴと工場の往復をしていただけの日々に、世界と日本の経済状況を読んで投資していくという仕事も加わった。経済を読む、と言って日本経済新聞を読んだり、ネットの株式投資の掲示板を読んだり、誰もがやるようなことしかしていなかった。それでどうするかというと、結局全体のムードに乗せられるだけだった。結果、サブプライムだのリーマンショックだのに巻き込まれて、何も残らなかった。いや、後悔ってやつが俺の心に刺青を入れるように深々と刻まれた。

 世の中全体が不況ムード一色になった秋ごろ、「今年一杯で雇用契約を打ち切ります」という通知が、派遣会社から来た。もういい加減同じことの繰り返しには疲れていたし、金融市場で打ちのめされたというショックもあって、別段アルバイトに毛の生えた程度の職を失う事なんてどうということもなかった。少し、ゆっくりして、また寮付きの仕事でも探そう。贅沢言わなきゃ何かあるもんだ、その位の気持ちでいた。仕事を失う、という事に関してはその程度の気分だったけど、実際クビになるのが決まってから2ヶ月程残っている雇用期間を消化する間に、じわじわと得体の知れない不安に駆られる自分がいることに気づいた。

 まず、少しゆっくりするには実家に帰るしかない。リフレッシュに1週間、半月と泊りで旅行に出てもいいが、そうすると貯金がほぼなくなるだろう。日雇い労働者?いやいや、あれは俺らみたいな派遣のワーキングプアよりもっと蟻地獄の世界だろう。気骨があれば、そういう世界で渡り鳥として生きていくのもいいだろう。でも自分には、そういうガテン的な日常にドップリハマって過ごすことは出来そうになかったし、したくもなかった。実家に帰る位なら、今の仕事の雇用期間終了と同時に次の住み込み仕事決めて、引越しを済ませてしまおう。それから適当に口実つくって働かない日を2~3日確保してのんびりすればいい。せいぜい引越し後の骨休め位にしかならないだろうけど、実家には帰りたくないし、アパートを借りる余裕もなかった。

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 そんな時、偶然数すくない友人の竹原秀夫と会社の社宅の話になった。「俺、今年一杯で今の職場も派遣元も辞めないといけなくなったんだ」竹原は俺が今回の件に限らず、いつも色んな職場を転々としていることを知っていた、そしてそういう風になってしまった俺の性格、その性格を作った家庭環境のことも知っていた。なんせ高校で同級になってから、10年以上付き合いが続いている数少ない友人だ。

 「ふ~ん、で実家帰るの?それかまたどこか住み込みの仕事探すのか?」改めて人の口から問題を突きつけられると、事の面倒さに気持ちが落ち込んでしまう。塞ぎこんでしまった俺に、竹原がポツリとこんなコトを口にした。「ワイんとこの会社の社宅、空いとる部屋があるから、入居出来るかどうか聞いてみようか?」

 竹原は地元では有名な中堅工務店で働いている男だ、彼の言う物件はいわゆるタコ部屋ではなく、ごくごく普通のアパートだと聞いている。願ってもない話なので俺は是非口聞いてみてくれ、と言っておいた。あんま期待すんなよ~と言っていたが、正直期待していた。

 幸い話はすんなり通り、まったく面識のない彼の会社の営業マンに物件の紹介をしてもらった。今済んでいるところとさほど距離も離れておらず、引越しは自分の所有している軽四で数往復するだけで済んだ。次は仕事探し、俺は今年で32歳だ。転職活動ね、、、求人誌をパラパラめくるが、この先一生を託す、そんな気持ちになれるような会社は何もない。「とりあえず目一杯せどりしながら考えてみようか」そう決めて新生活をスタートすることにした。

 「せどり」これは派遣で働いていたころから、やっていたことで、単純にブックオフなどの新古書店から本やCD,DVDなどを買ってネットで販売して利ざやを取るというものだ。ネットに繋がるパソコンとプリンター、それから1万円もあればとりあえずはじめることが出来る。引っ越したばかりでネットに繋がる環境がなかったので、引越し後ネットの回線工事の申し込みをして、パソコンがインターネットに繋がるまで1ヶ月ほどかかる。俺は失業保険をもらいながら、適当に就職活動をするフリをして、再スタートの日をのんびりと待った。一応、個人事業主になるので、開業届けを出さないといけないのかな?と思ったがカタチだけでも「他に収入を得る手段がある」となると失業保険がもらえないかもと思い、それは後回しにすることにした。

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 当初の予定では、この元副業のせどりに本業並みの力を注ぎ込めば、生計を立てていける目論見だった。

 しかし、その目論見が大甘だったことに気づくのはそう遅いことではなかった。マイペースでやっていけばいいと思っていたのが、そもそも誤りで月々のお金の収支がマイナスになるばかりの日々が、およそ半年ほど続いた。当初は最高の気分だった。存分に寝て、起きてひと心地ついたらPCたちあげて注文チェックをし、注文があれば梱包をしてコンビニや郵便局に持ち込んで発送。それから気分で、仕入れのために新古書店を廻ったり、近くの港へ車を飛ばしてゆっくりしてからアパートに戻り、せどり関係のブログを色々読んでみたり。。。

 今までの工場勤務から解き放たれた最高の気分から、結果が思うように出ず気分がゆっくり半年ほどかけてオチていって、そこからさらに半年は資金繰りでワケがわからなくなっていった。クレジットカードの支払いを、別のクレジットカードの支払いで補うようになり、次回の引き落とし額が捻出出来そうになくなって来て、月1万ポッキリの支払いのリボ払いに切り替えたり。


笹舟
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