【ISIS Selection 03】1978年ワールド・ツアー

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もくじ( 1 / 1 )

ISIS Selection 03

1978年ワールド・ツアー

(1) 1978年ワールド・ツアー考 (デレク・バーカー著)
(2) ブラックブッシュでピクニック (デレク・バーカー著)

 1978年というと、2〜3月には初の日本公演が行なわれ、その様子は雑誌ではアサヒグラフ、ニュー・ミュージック・マガジン等に詳しいリポートが掲載され、さらにはCBSソニーの熱意によってライブ盤『武道館』がリリースされました。当時、都会から遠く離れた小さな町の中学生1年生だった私は完全に来日騒動の蚊帳の外であって、『武道館』が出た頃になってやっと、ボブ・ディランという名前といくつかの代表曲、数ヶ月前に来日公演が行なわれていたことを知りました。私より少し年上で当時高校生だったという人は、ディランのファンではあったけどチケット代が高くて断念せざるをえず、武道館公演に行くことが出来た「オトナ」をうらやましく思ったそうです。そして、初来日公演を見ることの出来た人にとっては、歴史的瞬間に居合わせたことは誇りであるものの、「いきなり知らない曲でコンサートが始まった」「アレンジがガラリと変わっていて、あの曲だと気づくのにしばらく時間がかかった。曲によってはタイトルが分かる前に終わってしまった」というのが共通意識のようです。

 

 初来日公演25周年記念の2003年、30周年の2008年に何か動きはないか、出来れば、正式にレコーディングした2月28日と3月1日のコンサートがCD4枚組ボックスセットとしてリリースされないものかと期待しましたが、何も出なかったことは周知の通りです。日本公演だけでなく、1978年のディランの活動全体について、そろそろ再評価の動きがあってもいい頃ではないでしょうか。ISIS主宰デレク・バーカー氏も同じ考えのようです。


 

 1980年代半ばまでにリリースされたLPブートレッグでは、コンサートを丸ごと収録したのは『Blackbushe '78』『History』(12/10 シャーロット)しか存在しませんでしたが(たぶん)、現在ではCDブートレッグやその他の経路で多数のコンサートの記録が入手可能です。オフィシャル・リリースされた『武道館』を筆頭に、大阪やパリ、ニュルンベルク、シアトル、ロサンゼルス、マイアミ等の音源の用意はお済みですか? 今回紹介する記事は2003年にISISで発表されたものなので、1978年から経ている年数や人物の年齢などを補正・逆算しながらお読みいただければ幸いです。

2012年5月
加藤正人



ISIS Magazineウェブページ
http://www.bobdylanisis.com/

1978年ワールド・ツアー考( 1 / 8 )

ワールド・ツアーに至る道

デレク・バーカー(著)

 アメリカ以外の場所に住んでいる多くのディラン・ファンと同じく、私もボブ・ディランのコンサートを生で見る機会は1978年6月までなかったくちである。当時、私にとってディランは、この人の音楽が好きで、アルバムを数枚持っており、トップ・クラスのアーティストだから生で演奏を聞きたいなあという程度の存在でしかなかった。アールズ・コート公演が行なわれることになった時には、最終日が一番良い演奏をするだろうと思い、私は頑張って6月20日のチケットを取ることにし、友人がバーミンガムの指定されたボックス・オフィスの外で徹夜して、前方の席を取った。そして、25年前の6月のあの晩からというもの、私はボブ・ディランと彼の音楽に人生の多くを捧げることになり、現在に至っている。ゆえに、6月20日に私の人生を変え、年が終わる頃にはボブ・ディランの人生も変えたあの重要な1978年のツアーについて、四半世紀を経た今、シーンの裏側から検証してみる価値はあるだろう。




アールズ・コート公演(6/18)チケット半券


 1978年のワールド・ツアーについて記事が書かれることが殆どないのは驚きである。ワイト島フェスティバルを除くと、ディランが12年振りにアメリカ以外でコンサートを行なったのがこのツアーであり、現在45歳以下の人(アメリカに行くことが出来なかった人)には、これが初めてディランの生演奏に接する機会だったのだ。ヨーロッパでは長年ディランに飢えていた状態が続いたせいかもしれないが、こちらのオーディエンスやマスコミには1978年のツアーは好評だった。一方、アメリカではというと、1974年には全国的に、1975~76年にも局地的ながらツアーが行なわれていたため、明らかにディラン熱は冷めていた。その結果、秋から冬にかけてのツアーの一部のコンサートでは空席が目だった。
 『ストリート・リーガル』はアメリカのアルバム・チャートで11位まで上がるという立派な成績をおさめたが、『血の轍』『欲望』と続いた連続1位の記録をストップさせる結果となってしまった。後者2作品はその後も売れ続けマルチ・プラチナムを獲得しているが、『ストリート・リーガル』の売上は、発売後25年を経た現在、まだ100万枚を超えていない。ゆえに、リリース当時にこの作品に対して与えられたパッとしない評価は、今もなお継続していると言える。アルバムに収録されている曲は素晴らしいのだがレコーディングとプロデュースの手法がお粗末だ、というのが一般的な意見だ。シングル〈ベイビー・ストップ・クライング〉はヨーロッパでは殆どの国でトップ10入りを果たしたが、アメリカではビルボードのホット100にチャート・インすらしなかった。アメリカでは、ディランはもはや大衆とマスコミの期待に応えるアーティストではなかったようである。
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ロックンロール叢書
作家:デレク・バーカー
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