巷で哲学者と称する輩の書いた時空論の本には結論が無いことが多い。
だから読者はいつも不満足である。
そこで敢えて言うと、時間と空間は何らかの運動を記述するための道具、すなわち数理的な方便以上でも以下でもない。
吾輩は猫ではない。名も知れぬ、詩を書く一匹のサルにすぎないが、晴れた夜空を見上げれば、数多の星々から光が目に飛び込んでくる。綺羅星からの光は各々、距離を光速で割った時間に相当する過去の情報をもつ。吾輩は星の過去を見ているのだ。その星の現在など知らない。
吾輩の知る現在とは、この脳内部でたった今、処理されたばかりのHOTな過去の情報からなり、処理が現在進行中の情報は未来の情報である。