1.はじめに
人間、四六時中緊張の連続では、寿命を縮めるのではないか。緊張と脱力、この絶妙のコン
ビネーションが、生物としての人間のDNAに組み込まれていて、人は知らず知らずの内にDNAの命ずるままに時間を過ごしているように思われる。
筆者は、最近定年退職し、比較的自由な時間を享受している。享受しているとは、表向きで、自由な時間の配分に、時として自責の念に駆られる。これは、定年後まだ時間が経っていないためで、暇人としては、まだ入口に立っている程度なのであろう。対人関係は、凝縮された核家族時代の昨今、古女房との二人の関係のみとなり、濡れ落ち葉を嫌う相手は、
「少々でも良いから外出を増やして欲しい」、あるいは、
「目に付かないところに居て欲しい」
と口に出さないまでも、願っていることは態度から明らかである。
そうすると、問題は暇のつぶし方になる。理屈が先に立つのが、男である。理屈っぽく暇を語って、暇を潰す。これで、少しは時間が潰れる。
考えると、
「暇とは何か?」、
から始めなければならない。この辺りが、情には簡単に流されない男の男たるところと、入口ですでに酔っているのは、ちびちびやっている為だけではないようである。定年後、酒量が増えるのが普通らしいが、家で飲むからであり、限度と財布のバランス、距離と時間のバランス、気配りと傍若無人のバランス、などなどが、より酒飲みに荷担してくれるようになった。しかし、何もしないで酒だけを飲んでいるのはやるせない。昔の事が脳裏を掠める。良い思い出は少ない。
「あの時、あれさえしてれば・・・」、