さよなら命ーくつのひもが結べないー

47

「もういいわ。」部長が止めた。
「声が小さいのはなんとかなるだろうけれど、イントネーションがめちゃくちゃね。
 大阪弁まるだしじゃないの。言葉の最初にアクセントをおくのよ。
 もう一度初めから。」

 健一は彼女の態度が気にくわなかった。なんて横暴なやつだ。
 よしもう一度やってやる。
 健一は少し腹に力を入れてさっきより大きな声を出すようにつとめた。
 同じ所まで来ると再び部長が止めた。

「大分上手になったわね。まだ少し変な所があるけど、みんなはどう思う?」

 1回のやり直しで健一は大分うまくできた。
部員のみんなもその変わりように感心していたが、まだまだ主役が務まるとは言えない
出来だったので、しんとして返事に困っていた。
すると一番幼く見える今井由美子が口を開いた。

「2,3日練習してもらったらどうかしら、それから判断したら。」
「それでいい?」と部長はみんなに聞いた。
 部員たちもうなずいた。
「そういう事だから、しばらく練習してみる?」
 今度は部長が健一に聞いた。
「僕はかまわない。」
 健一はもう引き下がれないでいた。
 いや引き下がろうなどという気持ちはなかった。

 その日はそれから1時間程台本読みが行われた。
良子は森の妖精オンディーヌ、この劇の本当の主人公である。
部長はハンスの婚約者ヴェルタという配役であった。

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演劇部だけあって部員のみんなはとても上手だった。
自分なんか比べものにならないと健一は思った。
 
 練習が終わって一人だけいた男子に話しかけた。
「君は今日出番がなかったね。」
 いつのまにか標準語になっている自分がおかしかった。
「俺も人手が足りないからって言われて、ちょっと来てみただけや。
 俺は脇役やから後の方でちょっと出てくるだけやねん。」
 そのぶっきらぼうな話し方を聞いて健一はこの男とは馬が合わないなと思った。

 良子と一緒に帰る途中で良子が言った。
「どう藤ケン、やれそう?」
「それはこっちが聞きたいわ。」
「なかなかうまかったよ。大丈夫練習すれば必ずできるわよ。」
「本当か。なんか罠にはまった感じがして嫌やねんけどな。」
「罠なんてひどいわ。」
「ところで部長はえらい、えらそうやな。」
「うん、森村さんはいつもああなのよ。」
「森村何ていうんや。」
「森村裕子。そういえば彼女だけ名前言わなかったわね。」
「森村裕子か・・・」
 健一はその名前を何度も心の中で繰り返していた。

「ところで藤ケン、恵子と別れたんやて。」と良子が言った。
「誰が言ってた。」
「もうみんな知ってるわよ。どうしてなの、あんなにうまくいってたみたいやったのに。」「なんとなし。」
「うん、あまり聞かんとくわ。恵子にも聞いたけどあまりしゃべりたくなさそうだった から。」
「・・・」

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「じゃ今誰ともつき合ってないの?」
「そうや。」
  良子は少し間を置いて続け

「今、ロミオとジュリエット、リバイバルやってるねんてね。」
「ああそう、知らんかったな。」
「藤ケン見たことある?」
「一度見てみたいと思ってんねんけど、いつもリバイバルが終わってからやっと
 気づくんや。いつもしまったと思うんやが、後の祭りや。」
「私はもう3回もみてんけど、本当にええわ、あの映画。今度も行こうかな。」

 良子の言葉には何か奥に秘めた感じがするのに健一は気づいた。
良子は自分を映画に誘っているのだ。健一はそう思った。
良子は背がすらっと高い美人だ。けれども1年の時から少しお高くとまっている感じが
して健一はあまり好きではなかった。
けれども何か普通の女の子とは違う勝ち気さを持っていたのでよく話をしていた。
そういえば、ロミオとジュリエットの映画の事も今と同じ事を話した事があったなと
健一は思い出していた。
自分から直接誘う事はプライドが許さないのだろう。
だから何となく話題に上らせて健一から誘うのを待っているのだ、と健一は思った。
健一はいよいよそんな良子が嫌になってきた。

 健一はこの件には触れずに黙っていることにした。
良子もその件には触れなかった。
そして二人は何も気まずくならなかったように今までと同じように「バイバイ」と
言って別れた。

 


 

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 8、オンディーヌ  その2

 健一は良子と別れた後、自分が何故主役に選ばれたのか考えた。

 まったくの素人に主役が務まるなどと誰が考えたのだろうか?
いくらメンバー不足でも主役を素人にやらせるのなら、部長の森村が男役にふんして
やったらいい。彼女ならきっとこなせるに違いない。少し女性らしくふっくらとした
体型であるが、衣装をつければ自分がやるよりはどれだけいいだろう。
それに本当の主役であるオンディーヌが部長の森村ではなく良子というのもおかしな話
である。良子が特別うまいという印象は受けなかったし、やはり森村の方が適任の
ような気がする。何故なのだろう。

 自分を誘ったのが良子で、その良子が主人公。
もしかしたら、良子はハンスを私が連れてきたら私にオンディーヌをやらせて欲しいと
言ったのではないか。きっとそうだ。そうに違いない。
すると良子は自分が主人公をやりたいために僕を誘ったのか。
いやそれだけじゃない。これを機会に僕とつき合いたいと思っているのだ。
健一はそう考えれば映画の件を話題にした良子の理由がわかるような気がした。

 果たして健一の推測はあたっていた。
前々から「オンディーヌ」をやる事は決定していて台本作りなど下準備はできたものの
いざ配役を決めるとき、ハンスを誰がやるかで問題になった。
台本作りの時からハンスは部長の森村か良子そして今井由美子の中の誰かがやるものと
考えていた。
最初に良子が嫌だと言った。1年の時男役をやったから今度はやりたくないというのだ。良子は一番背が高いので男役をやらされたのである。
次に由美子が私は王妃がやりたいと言って動かないのだ。
部長の森村も自分はオンディーヌをやるつもりでいたのでハンスを演ずる事を
渋っていた。

富士 健
作家:富士 健
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