さよなら命ーくつのひもが結べないー

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「じゃ今誰ともつき合ってないの?」
「そうや。」
  良子は少し間を置いて続け

「今、ロミオとジュリエット、リバイバルやってるねんてね。」
「ああそう、知らんかったな。」
「藤ケン見たことある?」
「一度見てみたいと思ってんねんけど、いつもリバイバルが終わってからやっと
 気づくんや。いつもしまったと思うんやが、後の祭りや。」
「私はもう3回もみてんけど、本当にええわ、あの映画。今度も行こうかな。」

 良子の言葉には何か奥に秘めた感じがするのに健一は気づいた。
良子は自分を映画に誘っているのだ。健一はそう思った。
良子は背がすらっと高い美人だ。けれども1年の時から少しお高くとまっている感じが
して健一はあまり好きではなかった。
けれども何か普通の女の子とは違う勝ち気さを持っていたのでよく話をしていた。
そういえば、ロミオとジュリエットの映画の事も今と同じ事を話した事があったなと
健一は思い出していた。
自分から直接誘う事はプライドが許さないのだろう。
だから何となく話題に上らせて健一から誘うのを待っているのだ、と健一は思った。
健一はいよいよそんな良子が嫌になってきた。

 健一はこの件には触れずに黙っていることにした。
良子もその件には触れなかった。
そして二人は何も気まずくならなかったように今までと同じように「バイバイ」と
言って別れた。

 


 

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 8、オンディーヌ  その2

 健一は良子と別れた後、自分が何故主役に選ばれたのか考えた。

 まったくの素人に主役が務まるなどと誰が考えたのだろうか?
いくらメンバー不足でも主役を素人にやらせるのなら、部長の森村が男役にふんして
やったらいい。彼女ならきっとこなせるに違いない。少し女性らしくふっくらとした
体型であるが、衣装をつければ自分がやるよりはどれだけいいだろう。
それに本当の主役であるオンディーヌが部長の森村ではなく良子というのもおかしな話
である。良子が特別うまいという印象は受けなかったし、やはり森村の方が適任の
ような気がする。何故なのだろう。

 自分を誘ったのが良子で、その良子が主人公。
もしかしたら、良子はハンスを私が連れてきたら私にオンディーヌをやらせて欲しいと
言ったのではないか。きっとそうだ。そうに違いない。
すると良子は自分が主人公をやりたいために僕を誘ったのか。
いやそれだけじゃない。これを機会に僕とつき合いたいと思っているのだ。
健一はそう考えれば映画の件を話題にした良子の理由がわかるような気がした。

 果たして健一の推測はあたっていた。
前々から「オンディーヌ」をやる事は決定していて台本作りなど下準備はできたものの
いざ配役を決めるとき、ハンスを誰がやるかで問題になった。
台本作りの時からハンスは部長の森村か良子そして今井由美子の中の誰かがやるものと
考えていた。
最初に良子が嫌だと言った。1年の時男役をやったから今度はやりたくないというのだ。良子は一番背が高いので男役をやらされたのである。
次に由美子が私は王妃がやりたいと言って動かないのだ。
部長の森村も自分はオンディーヌをやるつもりでいたのでハンスを演ずる事を
渋っていた。

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そう言う中で良子が意見を出したのだ。

「私が一人背が高くてハンサムな男子を知ってるの。
彼なら度胸もあるし、きっと主役が務まると思うの。
やっぱりハンスは男子の方がいいでしょ。
そのかわりお願いだけど、彼が引き受けてくれたら
私にオンディーヌをやらせて欲しいんだけど。」

 部員たちは少し考えた。
この学校で女子の頼みで演劇部の主役を引き受ける男子がいるのだろうか。
男子と言えば理屈ばかり言うガリ勉ばかりだと思っていたのに、そんな度胸のある人が
いたら一度見てみたい。それに背が高くてハンサムというならなおさらである。
部員たちはそう考えていた。
部長の森村も同じ考えであった。
けれども森村はまあそんな単純な男子だからたいしたことはないだろうと高をくくっていた。
しかし、初めて健一を見たとき、部員たちは良子の言葉にウソがなかったのに驚いた。
森村も最初はびっくりしたが、まあ徐々に化けの皮がはがれるだろうと考えていた。

 それから2,3日練習は続けられた。
健一は自分のセリフは台本なしで言えるほどに毎日やってきたので、部員たちも
その熱心さに驚いていた。
森村も健一が普通の男子とはどこかが違うと感じ始めた。
一週間たっても健一は練習に呼ばれた。
もう部員たちは健一にハンスをやってもらうことに決めていた。
そのかわり、悪いところは徹底的に注意して何度もやり直させた。
 健一も最初はどうして自分がこんなに言われなくてはならないんだと感じながらも、
乗りかけた船だとことんやってやれと開き直っていた。


 

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「ハンス、ハンス」
部員の中でもとてもおとなしい山本今日子がセリフを言う。
彼女は森の妖精でオンディーヌの友達という設定であった。
彼女だけは健一のセリフについて意見を言わず健一と話もしなかった。
「誰だ僕を呼ぶのは?」
「ストップ。何度言ったら分かるの。ぼくじゃなくてぼく。最初にアクセントを
 置くのよ。しっかりしてよ。僕だけもう一度。」と森村が言った。
「ぼく」
「違うってば、ぼく」
「そう。じゃもう1回。」
「誰だ僕を呼ぶのは。」
「私よ私。森の妖精よ。」
「森の妖精?」
「美しいハンス、かわいそうなハンス。」
「どうして僕がかわいそうなんだ?」
「今にあなたはオンディーヌのとりこになるわ。」
「僕にはヴェルタという婚約者がいるのだ。バカな事は言わないでくれ。」
「だからあなたはかわいそうなのよ。ワッハッハッハッハ・・・」

「今日子、最後の笑い声もう1回やってみて。」
 今日子はやり直した。
「もっとなまめかしく、森の妖精でしょ、神秘的な感じを出さなくっちゃ。」
 今日子はもう一度やり直した。
「家に帰って練習しておいてよ、わかった。」
 今日子は森村の言葉をただうつむいて聞いていた。
彼女はこの演劇部に少しも似つかわしくない存在だった。
どうしてあんなにおとなしい子がこの演劇部に入っているのだろうかと健一は不思議に
思った。


 

富士 健
作家:富士 健
さよなら命ーくつのひもが結べないー
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