死神サークルⅠ

 

 学生は、彼女と目を合わせ、返事した。「は~、でも、死んだときのことも考えて、死亡保険も欲しいです。先ほど言われた定期保険を加えるといくらになりますか?」彼女は、タブレットで素早く算出した。「医療保険料に定期保険料を加えますと、3530円になります」学生は、ニコッと笑顔を浮かべた。「3530円ですか、安いんですね。これだったら、払えなくもありません。ちょっと考えさせてもらってもいいですか?一週間以内に、ご返事します」彼女は、ゆっくりうなずいた。保険に加入してもらえれば、ノルマの消化になると思ったが、自殺願望があるような若者を加入させてもいいものかと不安になった。彼女は、しばらく学生の暗い表情を見つめていた。現在、何らかの病気に罹患していた場合、保険に加入できない。もしかしたら、病院に通っているかもしれないと思い、健康状態を聞くことにした。「ところで、加入に際して、現在の健康状態の告知が必要なんですが、ご健康でいらっしゃいますか?

 

 彼の顔が、一瞬引きつった。「え、今ですか?病気なんかしてません。いたって、健康です。薬も飲んでないし。カゼにも、新型コロナにも、かかっていません。健康だけが取り柄なんです」彼女は、加入を拒否できる返事を得ようとさらに質問した。「2年以内に、入院されたことはありませんか?」マジな顔つきで返事した。「ありません。悪いのは、視力と頭だけです」彼女は、一瞬、噴き出しそうになったが、笑顔で返事した。「健康状態は、問題無し、ということですね。それでは、ご返事をお待ちしています。失礼いたします」彼女は、頭を下げて、立ち上がった。

 

 学生は、とっさに言葉をかけた。「もう、お帰りですか?」彼女は、意味がよくわからなかった。「何か、ご質問でも?ご加入のご返事をいただければ、手続きに参ります。引き落としの方法ですが・・」そう言いかけて、彼女は、腰を落とした。「引き落とし方法ですが、口座振替とクレジットがございます。口座振替の場合は、口座の印鑑、クレジットの場合は、クレジットカードをご用意ください」学生は、不安げな表情で、悩みを話し始めた。「はい。ちょっと、聞いてもらえますか?悩みがあるんです。奨学金の返済が、できなかったら、どうなるんでしょうか?もし、内定取り消しになって、就職できず、バイトも見つからなかったら、どうなるんだろう、そんなこと思っていると、最近、眠られないんです」

 

 ちょっと厄介な学生に引っかかったと顔をしかめた。顔色も悪く、うつ病みたいだし、もしかして、ひきこもりではないか?とりあえず、軽く返事することにした。「そう、心配なさらないで。大丈夫ですよ。人生は、プラス思考、しなくっちゃ」学生は、彼女をにらみつけたが、すぐに、表情を緩めた。「そうですかね・・僕の先輩は、リストラにあって、どうにか見つけたバイト先の飲食店も、9月に倒産して、今、家賃も払えず、追い出されるかもって、それに、食べるお金もない、と泣きつかれたんです。それで、少ないお小遣いから、3000円貸したんです。僕も、こんな目に合うかと思うと・・」とんでもない話を聞かされたと思ったが、そうですかと言って立ち去るのも気の毒になった。「そう、私に、相談されても、私も、リストラにあって、貧乏してます。でも、仕事を選ばなければ、なんとなりますよ。セールスは、大変です。でも、やるしかないんです」

 

 人生をあきらめてしまったような弱々しい返事が返ってきた。「は~~。あなたは、強いんですね。僕は、ダメです。陰気で、気が弱くて、頭も悪い。顔は、ブサイク。彼女もできない。あ~~、もう、ダメだ」世の中には、こうも気が弱い男性がいるものなのかとあきれてしまった。リストラにあったわけでもなく、運が良ければ、出世も夢ではない。少し励ますことにした。「とにかく、やるしかないんです。男子でしょ。当たって砕けろですよ。次の予定があるので、失礼します」彼は、うつむいた顔を持ち上げ、彼女の顔を見つめた。「ありがとうございます。励ましていただいて。母に、頑張れ、頑張れって、励まされ、勉強したんです。でも、第一志望は不合格でした。一浪して、やっと、第三志望に・・ヤッパ、ダメなんです。僕の人生」

 

 国立大学だし、頭はいい。真面目が取り柄って感じ。やはり、まじめすぎるうつ病。おそらく、事務職はできても、営業職はムリかも。こんなに暗いんじゃ、相手が引いてしまう。顔もいまいちだし、背は低い。モテないタイプ。悩むのも無理はない。保険の勧誘に来たのに、人生相談。自分のことで精いっぱいで、他人のことなど心配していられるかよ、といいたいところ。でも、こんなに気が弱い男子を見てると同情したくなる。よくない性格だが、どうしようもない。子供のころ、子猫の捨て猫を3回も拾って帰ったことがあった。親にきつく叱られたが、かわいそうと思うと放っておけなくなる。ダメダメ、同情は、かえって人を傷つける。心を鬼にして、立ち去らなければ。

 彼女が下っ腹に気合を込めて立ち去ろうとした時、学生は、懇願するような表情で言葉を発した。「アップルパイ、おいしいですよね。食べませんか?」唐突な誘いに目を丸くしたが、アップルパイの響きが気持ちを緩めてしまった。学生の相談には、辟易したが、スイーツをおごってくれるのであれば、相手をしてあげてもいいかと笑顔を作った。彼女がいないと言っていたから、女性との会話がうれしいに違いない。気楽に、相手をしてあげることにした。「え、アップルパイ、おごってくれるの?」学生は、笑顔で返事した。「はい。お急ぎでなかったら、いかがですか?」次の約束があると言った手前、断ろうかと思ったが、次の約束が午後のため、アップルパイをいただくことにした。「まあ~、まだ、時間はあります。せっかくだから、いただきます」

 

 アップルパイとコーヒーを運んできた学生は、はにかんだ表情で話し始めた。「今日は、くだらない愚痴を聞いていただいて、ありがとうございました。僕のこと、変な学生と思われたでしょ。僕は、人生をあきらめているんです。僕には、夢も、目標もないんです。周りに合わせて生きているつまんない人生なんです」やはり、かなり病んでるように感じ取られた。そこで、内定が取れたことをほめることにした。「そう自分を責めなくても。内定ゲットできたんでしょ。よかったじゃないですか。まだ、内定が取れてない学生は、たくさんいると思いますよ。ラッキーじゃないですか」学生は、ラッキーといわれ顔をしかめた。「そうでしょうかね~。希望の企業は、ダメでした。でも、内定が取れた会社に行きます。奨学金を返済しなくてなりませんから」

 

 彼女も奨学金の返済のために働かざるを得なかった。ほとんどの人は、何らかの借金返済のために働いているように思えた。奨学金の返済、車のローン、カードローン、クレジット返済、考えれば、借金生活。でも、生きていくためには、借金をせざるを得ない。「私も、奨学金の返済のために働いているようなものです。でも、奨学金のおかげで大学を卒業できたわけですから、感謝してます。借金生活だって、気の持ちようです。生きていれば、楽しいこともあるじゃないですか。友達とカラオケ行ったり、たわいもないことをだべって、笑ったり、泣いたり。気の合う友達と旅行したり。大好きなスイーツを食べ歩きしたり。今日は、ラッキーだわ。アップルパイいただけて」

 

 

 

 学生は、眉間にしわを寄せて、未来を思い浮かべてみた。生きていれば楽しいこともあるのか?自分にとって、どんなことが楽しいことか考えてみたが、思い当たらなかった。親友といえるほどの友達も、デートできる彼女もいない。将来結婚できるのか?一生独身かもしれない。死ぬまで、ボッチか?彼女は、きっと、彼氏がいて、デートを楽しんでいるに違いない。恋愛を楽しんでいるから、楽しいことがあると言っている。「楽しいことですか。楽しいことがある人が、うらやましいです。僕は、ただ、しょうがなく、生きているだけです。つまんない人生です。生きていたいとも思いません。就職すれば、朝起きて、会社に行って、夜遅く帰ってきて、メシ食って、翌日になれば、また、会社に行って、その繰り返し。そして、年を取って、死ぬ。これって、楽しいことですかね」

 

 学生の話を聞いているとおいしいアップルパイがまずくなってきた。これは、かなりの重症。精神科に行ったほうがいいのではと一瞬思ったが、意外と、このように思っている学生は多いのではないか。うつ病なのか?ひきこもりのようでもある。「確かに、生きてる限りは、仕事しなくっちゃね。でも、将来、家族をもって、子供ができれば、それが、生きがいになるんじゃない。私は、子供は、3人は欲しい。アラサーといわれるまでに結婚したいのよね~~」学生は、自分の結婚のことを考えたことがなかった。彼女はいない。デートもしたことがない。結婚できるはずがない。きっと、一生、独身。女性の未来には、家族があるのか。男性はどうだろう?僕の周りの男子は、だれ一人、家族のことなど話さない。単位のこと、就職のこと、部活のこと、こんなことぐらいだ。全く味気ない話題。

 

 学生は、孤独な自分を特別な人間だと決めつけてはいなかったが、味気ない人間だと自覚していた。人づきあいが嫌いで、ボッチ生活になれているため、孤独死を受け入れていた。「家族ですか?結婚するってことですよね。僕には、ムリですね。別に、いいですけど」彼女は心でつぶやいた。特段、励ます義務はない。でも、このままだと、自殺するのでは?これも、何かの縁。元気づけてあげるか。「そう、自暴自棄にならずに。出会いは、きっと、あるわよ。元気、出しなさいよ」学生は、うつむいてしまった。励まされるとますます落ち込んでしまった。「いいんです。ボッチは、慣れてますから。彼女がいなくても、平気です」彼女は、もはや、何と言って励ましていいかわからなくなった。趣味ぐらいはあるのではと思い、趣味を尋ねた。「と言うことは、一人で没頭できる大好きな趣味があるってことね」

 

春日信彦
作家:春日信彦
死神サークルⅠ
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