死神サークルⅠ

 学生は、眉間にしわを寄せて、未来を思い浮かべてみた。生きていれば楽しいこともあるのか?自分にとって、どんなことが楽しいことか考えてみたが、思い当たらなかった。親友といえるほどの友達も、デートできる彼女もいない。将来結婚できるのか?一生独身かもしれない。死ぬまで、ボッチか?彼女は、きっと、彼氏がいて、デートを楽しんでいるに違いない。恋愛を楽しんでいるから、楽しいことがあると言っている。「楽しいことですか。楽しいことがある人が、うらやましいです。僕は、ただ、しょうがなく、生きているだけです。つまんない人生です。生きていたいとも思いません。就職すれば、朝起きて、会社に行って、夜遅く帰ってきて、メシ食って、翌日になれば、また、会社に行って、その繰り返し。そして、年を取って、死ぬ。これって、楽しいことですかね」

 

 学生の話を聞いているとおいしいアップルパイがまずくなってきた。これは、かなりの重症。精神科に行ったほうがいいのではと一瞬思ったが、意外と、このように思っている学生は多いのではないか。うつ病なのか?ひきこもりのようでもある。「確かに、生きてる限りは、仕事しなくっちゃね。でも、将来、家族をもって、子供ができれば、それが、生きがいになるんじゃない。私は、子供は、3人は欲しい。アラサーといわれるまでに結婚したいのよね~~」学生は、自分の結婚のことを考えたことがなかった。彼女はいない。デートもしたことがない。結婚できるはずがない。きっと、一生、独身。女性の未来には、家族があるのか。男性はどうだろう?僕の周りの男子は、だれ一人、家族のことなど話さない。単位のこと、就職のこと、部活のこと、こんなことぐらいだ。全く味気ない話題。

 

 学生は、孤独な自分を特別な人間だと決めつけてはいなかったが、味気ない人間だと自覚していた。人づきあいが嫌いで、ボッチ生活になれているため、孤独死を受け入れていた。「家族ですか?結婚するってことですよね。僕には、ムリですね。別に、いいですけど」彼女は心でつぶやいた。特段、励ます義務はない。でも、このままだと、自殺するのでは?これも、何かの縁。元気づけてあげるか。「そう、自暴自棄にならずに。出会いは、きっと、あるわよ。元気、出しなさいよ」学生は、うつむいてしまった。励まされるとますます落ち込んでしまった。「いいんです。ボッチは、慣れてますから。彼女がいなくても、平気です」彼女は、もはや、何と言って励ましていいかわからなくなった。趣味ぐらいはあるのではと思い、趣味を尋ねた。「と言うことは、一人で没頭できる大好きな趣味があるってことね」

 

 学生は、首をかしげた。放浪の旅は、趣味といえるのか?これは、無趣味と同じ。「いいえ、趣味もありません。時間があれば、ゲームをするか、目的のない旅をします。旅というより、放浪ですかね」もう、手の施しようがないと判断したが、旅の話題に乗ることにした。「旅は、素晴らしい趣味よ。目的のない旅って、ロマンチックじゃない。ニヒリストかと思ったけど、意外と、ロマンチストなのね」学生は、笑顔で返事した。「そんな、かっこいいものじゃないです。あてどもなくさまよって、自分の死に場所を探してるんです」死に場所と聞いた彼女は、甲高い声で説得した。「ダメよ、自殺は。生きてることだけでも、親孝行なんだから。死んじゃ、ダメ。いい」

 

 学生は、ハハハ~と小さな声で笑い声をあげた。「冗談ですよ。自殺なんてしません。保険金目当てに、事故を装って自殺すると思ったんですか?僕に、そんな、度胸はありません。心配ご無用。悪い冗談言って、すみませんでした。保険に入るのは、親に迷惑をかけないためです。僕に万が一のことがった場合、保険金で奨学金を返済しようと思ったんです」冗談と言われたことで、ちょっと、気持ちが落ち着いた。もしかしたら、冗談と言ってごまかしているのかもしれない。人を疑えばきりがない。所詮、人の本心を知ることはできない。「冗談で、よかった。私って、心配性なのよ。アップルパイ、とってもおいしかった。保険のセールスに来て、おごらせるなんて、図々しい生保レディね。まあ、ご愛嬌ということで。ご連絡がありましたら、飛んでまいりますので、よろしくお願いします。ごちそうさまでした」

 

              死神サークル

 

 109日(金)羽多(はた)は、伊藤所長に直帰の連絡を入れると同僚の樋口のマンションに向かった。毎週金曜日、新人の羽多は先輩格にあたる樋口に仕事について相談していた。キッチンテーブルで向かい合った二人は、缶ビールで乾杯した。羽多は、喉を一度鳴らし、今日の奇妙な学生について話し始めた。「先輩、今日、説明を聞きたいと電話をしてきた学生に会ったんですが、かなり陰気な学生でした。定期保険にも入りたいというんですが、交通事故で死んだら、かなりお得ですね、なんて、いうんですよ。趣味を聞いたら、死に場所を探す放浪の旅、なんて言うんです。まいりました」樋口は、小さくうなずき返事した。「セールスやってると、いろんな人にあたるわよ。まだ、学生の戯言なんて、かわいいものじゃない。うまく話を合わせれたの?セールスは、お客を選んじゃダメ。とにかく、一件でも多く、ゲットするのよ」

 

 羽多は、マジな表情で返事した。「はい、とにかく話を合わせて、機嫌を取ってきました。でも、なんだか、自殺願望があるみたいなんです。大丈夫でしょうか?3年以内の自殺は、保険金が下りないことは説明しましたが、ちょっと、不安なんです。学生だから、医療保険に加入するように勧めたんですが、ぜひ、死亡保険にも入りたいと言うんです。これって、別に、問題ないでしょうか?」樋口は、即座に返事した。「おいしいお客じゃない。よかったじゃない。それじゃ、決めてきたということね」羽多は、顔を振った。「まだです。一週間以内に返事する、って言われました。まずかったですか?」呆れた顔の樋口は、子供を諭すように、返事した。「いつも言ってるでしょ。一瞬のチャンスを逃さないようにって。入りたいと言ってるんでしょ。そのタイミングで、決めなくっちゃ。人って、すぐに気持ちが変わるんだから」

 

 肩をすくめた羽多は、叱られた子供のように目じりを下げて小さくうなずいた。「私って、ダメですね。人生相談、受けちゃって、なんだか、かわいそうになって、しかも、アップルパイおごってもらって、帰ってきたんです。生保レディ、失格ですね。あ~~、私って、セールスに向いてないのかも」樋口は、クスクス笑い声を漏らした。「ま~、最初は、そんなものよ。3年やったら、鬼ババ~になれるから。石の上にも3年、っていうでしょ。とにかく、今は、ノルマを達成すること、いい」羽多は、鬼ババ~と聞いて、悲鳴を上げた。「え~~、鬼ババ~。いやです。まだ、若いんです。まだ、未婚の乙女なんです。鬼ババ~なんて、なりたくありません」羽多は、樋口の冷徹な心が理解できず、いつも、樋口の説教に反論していた。

 

 

 樋口は、20歳で結婚、23歳で離婚。一生独身を決意した彼女は、24歳でホステスとなり、27歳で生命保険会社に転職。生保レディー歴8年になる優績者だった。関東地区では、常に上位ベスト10にランクインしていた。彼女は、J医科大学付属病院の内科医と愛人関係にあり、彼の紹介を通じて、全国の医者から大口契約を取っていた。「そうね、羽多は、セールスに向いてないかもね。人には、向き不向きがあるから、早めにやめるといいわ」あっさりと無能を指摘されるとあまのじゃくの羽多は、ムキになった。「先輩、そう、冷たいこと言わないでください。これでも、頑張っているんです。優績者になれなくても、多少は、一前になりたいんです。見捨てないでください。頑張りますから」

 

 樋口は、立ち上がるとフリッジからスイーツを運んできた。「どうぞ。スイートポテトシフォンケーキ、今日は、スイーツ三昧ね」羽多は目を輝かせて、手を合わせた。「今日は、気味が悪いくらい、ラッキー。学生にアップルパイおごってもらって、先輩からは、シフォンケーキ。ア~~、生きててよかった。いただきま~~す」樋口は、話を続けた。「そう、ムキになることもないのよ。仕事は人生の1ページなんだから。仕事ばかりに気をとらわれると、自分を見失うこともある。羽多は、まだ若いし、これからの人生を楽しむことよ。結婚して、家族を愛して、また、自分に向いた仕事が見つかれば、そこで、チャレンジすればいい。とにかく、人生を楽しむことね」羽多は、口をモグモグさせながらうなずいた。

 

 紅茶を一口すすり返事した。「そうですよね、人生を楽しめばいいんですよね。今日の学生ったら、人生はつまんない、って愚痴ばかり。男性って、人生を悲観してるんですかね~。まったく、陰気な学生なんです。内定、取り消されたらどうしよう。死んだら、保険金で奨学金を返済したい。ブサイクで、モテない。結婚は諦めている。夢なんかありません。一生、借金返済のためにロボットのように働くだけです。そんなこというんですよ。まったく、うつ病のひきこもりみたいなんです。どうして、プラス思考ができないんですかね。あんなんじゃ、モテないわよ。まったく」樋口が首をかしげて返事した。「悲観的になるとすべてが悪い方向に傾いてしまう。でも、学生の気持ちもわかるような気がする。経営悪化で倒産、リストラ、新卒採用の中止、こんな時期に出くわした学生は、最悪ね。ほんと、かわいそう」

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
死神サークルⅠ
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