無人駅の駅長

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断れない契約は法的効力を持つか


 断れない契約は合法なのだろうか。

 法的には契約形式でありながら、現実には命令と受諾である法律行為が世の中にある。たくさんある。契約する両者に力の違いがありすぎると契約の名の下の命令が行われる。

 例を挙げればきりがない。

 昔は奉公というのがあった。貧しい家庭に生まれた子供が何年契約という条件の賃金前払いで、商店などに住み込んで働いた。奉公の条件は雇う商家の方が一方的に決めた。貧しい家のほうは口を挟めなかった。わが祖父も尋常小学校一年生中退して奉公に出された。今でも同様の低賃銀労働の強制が行われている。さすがに奉公などという古めかしい言葉は使わず、いっけん華やかなカタカナ言葉に置き換えているが、していることは昔の奉公同様である。

 それから学校の入学試験手数料。受験料。

 高校でも大学でも現実的に義務教育または準義務教育となっているから、受験料を支払わざるを得ない。私事で恐縮であるが、貧しい家庭に生まれたため受験料三万円の支払いにわたしは苦慮した。日常の生活費のやりくりでせいいっぱいな暮らしであったから、食費を削って受験料をなんとか工面した。結果的に入学できなっかたので、ただ腹をすかしてその学校にお金をプレゼントしただけのことになった。

 受験料とは、学校と受験者との契約ではある。契約だから契約条件にノーと言うことはできる。双方とも。ただしそれが単なる建前なことを誰でも知っている。

「受験料金をいったん払い込んだらいかなる理由であろうと返還しない」との契約条件を受験生側は拒否できない。拒否したら進学できないだけだ。

 契約の形式を採った命令である。

 もう一例。

 スマートフォンは現代の必需品だ。これを持たない人の就職は難しい。

 誰でも知っているように、スマートフォンはアップル社のものと、グーグル社のアンドロイド、二種類だけ。どちらかを選ぶしかない。どちらにしたところで、アップルかグーグルの規約画面が出た時「同意します」をタップしなければならないわけだ。就職のために、生活費用を稼ぐために、二社のうちどちらかの規約に「同意」しなければならない。

 同意しない、を選んだら使用できないのだから。ここでも私たちにはスマートフォン利用規約(契約条件)の一部変更を交渉する自由がない。丸呑みするしかないわけだ。

 ほとんどの人が規約の内容なんか読まないで「同意」しているだろうけど、仔細を読んでみると、利用者としてはびっくりするようなすごいことも書いてある。世界中のスマート電話使用者がそれに同意したことになっている。

 当事者の片方だけが選ぶ自由をもたない法行為は契約としての法的効力を持つか。

 当事者の片方に選択の自由がない契約は法的に合法なのだろうか?

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浮雲


 作文が苦手だ。原稿用紙何千枚か書いてきた物書き稼業をしているのに作文が苦手だ。

 文章が書けない。何を書いていいのかわからない。

 子供のじぶんからずっとそうだった。国語の授業は好きだった。勉強しなかったがいつも試験では高得点だった。古文漢文と文法が特に好きだった。だが作文だけはどうにも苦手で書けなかった。先生が題を出す課題作文、黒板に書かれた先生の字を何べん見ても何のことやら、何を書けばいいのか、さっぱりわからなかった。

 それから夏休みの自由作文、あれはもっと書けなかった。

 課題作文とは、大人の言葉に強引に置き換えると受注生産だ。注文に応じて書く作業は、一般の多くの人の想像に反し、細かな注文条件をつけてもらえるほど楽である。縛ってもらえると楽なのだ。対して自由作文とは自主生産である。創りたいものがあるならば自主生産とは愉しい作業だが、そんなものがない者にとって、何でも自由に書きなさいと言われても困る。作詞と詩人の詩を比喩したらいいだろう。注文主の注文に応じて作詞する作詞家と、自分の書きたい詩を創る詩人と。後者は、インスピレーションが湧くか降ってきたら書けるけれども、湧かない時は書けない。何も書けない。自由とは辛いものだ。だから人は自由から逃走するのだ。自由を奪ってくれる人を求めるのだ。

 すこしく話題がそれてしまった。

 ぼくは課題作文も自由作文も書けなかったのだ。学校の作文時間は、一文字も書けないから時間を持てあまし、教室の窓の外にぽっかり浮かぶ白く大きな雲がゆうくり動くさまを眺めていた。

 学校を出ると就職面接だとか、公務員採用試験に作文があった。これまた書けなかった。試験監督員が黒板に課題文を書く。もしくは課題が書かれた髪を黒板に貼る。それから数分間後、規定の時刻なるとに厳かに

「始め」

という。

 周りの人はその声がした瞬間に鉛筆を持って一斉に紙に書き出した。数十人の受験者が走らせるサラサラという鉛筆の音が鳴る部屋で、ぼく一人何も書けないで悶々としていた。何を書けばいいのか全然わからないのであった。紙に書き付けるべき文字が一文字も浮かばなかった。ぼく以外の全員が天才に見えた。どうして競馬馬みたいにラッパが鳴ったら一斉に書けるのだろう?

 作文の成績かどうかわからないが、ぼくの公務員試験受験成績は一四戦全敗。〇勝一四敗。一四回受けてすべて落ちた。もっとも、数学と理科の成績も最低に近かったから作文だけの祟りかどうかは分からぬ。

 そんな人間がなんの因果であるか物書きをしている。著書も何冊か出させてもらった。しかし今でも作文苦手は変わらぬ性分だ。相変わらず書けない書けないでうんうん言っている。

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夏木立


年老いて忘却力がついた。淋しくもあるが、助かっている。

 うまれつき記憶力がずば抜けて優れていた。見たもの聞いたもの、すべてを記憶してしまって辛かった。

 おもうに、人の脳とは、忘れたいことを実際に忘れる機能を備えている。おかげで精神衛生が保たれるのだ。なんでも憶えてしまい、忘れる能力がないと、その人の脳の中の本人が意識できる部分の記憶が増える一方。辛いことも苦しい記憶も、脳の無意識部分に格納することができないとなると、人格は人生の経過とともに増え続ける記憶によって圧迫される。ありすぎる記憶は心理的脳腫瘍だ。あまりに耐えがたさに人格が異常をきたすだろう。

 ぼくは勉強経験がない。

 中学校を出て世の中へ出たから高校受験や大学受験と無縁だった。それで今でも難しいことを知っているくせに、初歩的なことを知らない。

 中学二年生のとき、学校の定期テストで学年一位を二度とった。勉強ができて一位だったのではなかった。教科の内容なんか理解していなかった。勉強したことがなかったし、ぼくが育った家庭は教育に無関心だった。いちどたりとも「勉強しなさい」と言われなった。

 テスト前に先生がテスト範囲を、教科書何ページから何ページまでと生徒全員に教えてくれた。中学の勉強だから分厚い教科書ではない。薄い本の一部のページだけが出題されるのだ。

なんだ簡単なことじゃないか。全部憶えてしまえばいい。中学生のぼくは簡単な方法を見つけた。若かったぼくの記憶力は恐ろしほど優秀だったのだ。どんな本でも、それを見れば(熟読すれば、ではない)すべて憶えてしまえた。人の話やラジオ放送の話も聴いた途端に記憶してしまえた。だからわずか数ページの教科書を、カメラが写真を撮るようにして脳の中に写した。脳のメモリに入れて、試験日にメモリから出した。それだけだ。ぼくは人間コピー機だった。ぼくにとってなんでもない作業だった。うまれつきそうなのだから。

 その結果学年首位の成績となったのである。中身の理解などしていなかったのだ。

 一位になった瞬間は嬉しく誇らしかったけれど、じかに飽きてしまった。

ぼくにとっては至極簡単なことで、首位にたってもおもしろくもない。ぼくはなにか創ること、表現することがたまらなく好きだった。今も好きだ。テストで良い点をとることはクリエイティヴな作業でない。好きなことに沈潜したときの集中力の深さならばおそらく誰にも負けない。文字通り寝食を忘れるから。しかしなにごとについても、じぶんが興味を持てない作業には本腰をいれられない困った性格なのである。 強いて努めるという意味での勉強ができない性格なのだ。ゆえに会社や官庁等の宮仕えはなにより苦手だ。

ところで、聴いたことと見たものすべて記憶してしまい、忘れる能力がないとは実に苦しいのである。それは苦しい人生の連続なのである。人生経験のほとんどすべてが意識上に可視化されてあるということなのだ。思い出したくない記憶を無意識の領域へ押しやれないということなのだ。いつでも過去記憶と対面し続けなければならないということなのだ。この苦痛を軽減するために、なるべく情報に接しない方法をぼくはとってきた。テレビを見て一切見ないとか、ニュースをきかない読まないなどだ。

 このごろはその記憶力が急速に衰え、忘却力が増している。老化による人の脳の能力低下がこんなに坂を落ちるように急速なことを知って驚いている。寂しいことだ。ふつうにできたことが一つ一つできなる。死に向かう階段をいそいで降りつつある。

 でもそのおかげで物ごとを適度に忘れられるようになった。楽になった。

現在のところ、老化のかなしさよりも、その嬉しさがぼくには大きい。

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巴里


 祖父が商売をしていたため、幼少のころ私の苗字入りのカレンダーがトイレにかけられていた。小学校へ上げる前のことである。まいにちそれをみるうち、自分の苗字の漢字が読めるようにいつのまにか成っていた。

 その字を訓読みではカナイと発音する。音読みなら「キンセイ」であろうか。私は音読みの方だけ読めたのである。訓は読めなかった。ましてやひらがなカタカナは読めなかった。

 それには理由がある。漢字の発音の規則性を発見したのである。

 私の苗字の上の字は「金」である。この字はキンとかコンとかゴンと発音する。みっつともよく似た音だ。そこから出発して、金が左側につく漢字はすべて非常に似た発音をすることに気づいた。金偏漢字はたいてい画数が多くて難しい字だが、発音に関しては難しくない。どれもこれも、キンまたはゴンなどにちかい音なのである。

 漢字というのは基本的に絵文字だ。アイコンだ。だから未知の漢字でもみればその発音と意味が直感的に推察できるものである。そんなことから未就学児童であった私はあらゆる漢字をかたっぱしから発音していた。言うまでもないが発音できただけで意味をわかってはいなかった。

 けれども、漢字の訓読みとカナはぜんぜん読めなかった。それらは規則性が希薄なのである。ゆえに大人から教えてもらわなくては読めるようになれない。まだ小学校にも入ってなくて誰からも教育を受けていない児童だったから読めないことは当然だった。

 十年ほど前だったか、みすず書房が出しているレヴィ・ストロースの幼い日々の回想記を読んで「あっ」といってしまった。説明するまでもないが彼は二十世紀人類学の巨星である。

 乳母車に乗せられた幼少のストロースがパリの街の看板等に書かれたフランス語のアルファベを片っ端から読んで大人たちを驚嘆させたそうだ。

私が驚いたのは、その理由の解説である。

 乳母車から、丸かったり角ばっていたりする奇妙な形の模様(アルファベのこと)を毎日見続けるうちに、幼児のかれはその中にあるフランス語の発音の規則を発見したというのだ。いちど見つけてしまえば、どの看板のフランス語も苦労なく読めたそうだ。この説明を読んで、私は膝を打ち「あっ」と言った。私の経験とそっくりだ。

 だからレヴィ・ストロースの回想が嘘や誇張でないことがすんなりとわかった。こうした経験をしなかった人は理解してくれないだろう。だが複雑でいっけんなんらの関係もないかのような物ごとたちから、その中にある規則性を見出す才能に恵まれた人が地球上に実在するのである。ほかのひとにみえないものがみえるのである。それは努力して見つけ出すのでなく、しぜんに見えてしまうのだ。

 この資質の上にレヴィ・ストロースあの立派な人類学研究が花開いた。交差イトコ婚など常人に見えない規則性が見えたのだ。

ところでこういう能力をもって生まれてしまった少数者は、まず同類にめぐりあえない。この話を誰かにしても話が通じない。向こうは意味を理解できないから、自慢話はじめやがったとおもわれるのがせいぜいだ。そんな孤独の中でレヴィ・ストロースという同類の人を知って私は嬉しかった。かれは割と最近まで生きていたが、およそ百歳で死んでしまった。

 彼に死なれて私はたった一人の同類を失った。また一人になった。

金井隆久
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