無人駅の駅長

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坐る


 お寺の法事で正座をしたため痺れて立てなくなった経験がある人もいるだろう。一般に静座とは、かしこまって苦しい姿勢だと思われている。正座をする文化は世界でも珍しく日本だけらしい。

 そんな正座であるが、わたしにとっては案外に楽に感じる姿勢で、家でときどき正座をしている。たとえばパソコン作業で疲れたときに椅子の上で正座するととても楽だ。写真編集をするときなどはたいがい椅子上の正座をする。ただし通常の人と同様、長時間の正座は苦痛だ。一〇分か十五分正座したらふつうの腰掛け方に戻す。

 佛教徒であるので勤行をする。宗門の規定では朝夕二回行うことになっているようだが、私は一日一回しかししない日が多い。一回のお勤め所要時間はだいたい三〇分。その間ずっと正座だ。ふしぎと痺れない。日常生活での正座は一五分が限界なのに、念佛読経ならば半時間正座して平気なのである。じぶんでもおもしろいと思う。

 怠けて二日くらい勤行しない日が続くことがある。だが三日以上怠けることはない。なぜかというと長い日数お勤めしない日が続くと、胸の上のあたりになにかかが詰まって塞がったようで苦しくなるからである。そんなとき佛壇前の座布団の上に正座し、勤行の初めの一声を発するやいなや胸の閉塞がすーと雲散霧消する。念佛しているとき、おそらく私の脳内に身体をリラックスさせるなんらかの神経伝達物質が分泌されるのであろう。快い。だからお勤めを何十年も辞めることがないのである。刻苦精励して辛い修行をつづけているのでないことは断言できる。楽しく快いからしているのである。

 お勤めは自分の健康状態のバロメーターになっている。声がよく出る日と出にくい日。体調が実によくわかる。最高に調子が良い日は自分の体が一本のシンプルな筒になったような気持ちがする。オーボエか尺八かクラリネットになったみたい。朗々と声が出る。実に快い。冬のお勤めは身体を温める。ぽかぽか暖かくなる。真夏のお勤めは少しく酷である。三五度もある日だと全身汗まみれとなり、目に入った汗が沁みて痛い。頭蓋骨の形のせいか、私の場合左目ばかりに汗が流れ込む。勤行後終了に立ち上がると、座布団にわが脚の形に汗の模様が描かれている。流れ落ちた全身の汗がそこに染み込んだ跡なのである。このように夏のお勤めは辛い面もあるのだが、済ませたあとに爽快な涼しさをかんじる。

洋の東西を問わず宗教家は長生きする職業の代表のように言われる。その秘訣はもしかしたら毎日のお勤めにあるのかもしれない。

 ところでむかし否かの電車内にのると、草履を脱いで腰掛けのうえにちんまり正座したおばあさんを見かけたものだ。ほのぼのするいい光景だった。 このごろはそういうご老人をみない。現在のご老体はロックンロールで育って世代だから正座などしないのだろうか。その代わりといってなんだが、初老の私が電車の座席上にときどき正座する。家の椅子上正座と同じでときどき正座すると楽なのである。

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山のおと


 ゆく夏を惜しむ、というけれども、ゆく冬を云々とは言わない。

 晩春、晩夏、晩秋という言葉はあるが、晩冬とはあまり言わないようだ。

 夏は暑苦しくつらい季節だけれど、嬉しく心躍る季節でもある。生命横溢する季節だからであろう。夏の終わりという言葉にぼくたちは深い寂寥を覚える。一年の終わりを感じる。

 そこへ行くとおなじく寒くて忍耐の季節である冬が去ることに愛惜を覚える人はいない。冬は早く去ってほしいばかりな嫌われもの。山眠る玄冬。葉が落ちた裸山。枯れ草残る河原。生命滅んだ厳しい冬に一輪の花咲くことを、蟲達の大地からの復を、かすかな春のきざしを人びとは心待ちする。

 わたしが個人的に新年の終わりを感じるのは毎年一月一日夜九時半である。新しい年が始まったばかりでもう終わりを感じるのは、早すぎると、自分でもおもうものの、習慣になってしまった。ラジオが中継放送するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ニューイヤー・コンサート終了時刻が日本時刻で夜九時半ころなのである。ここ一〇年ほどはすっかり聞かなくなってしまったが、以前は毎年楽しみにしていた。

 このコンサートの最後の二曲は毎年同じ曲だ。「美しく青きドナウ」「ラデツキー行進曲」この二曲。どちらも有名曲。「ドナウ」は優雅なワルツで「ラデツキー」は小太鼓が活躍する心弾むマーチだ。観客も手拍子で演奏に参加する。このマーチの最後の和音がタタン!と終わると

「ああこれで今年も終わったなあ」

と感慨にふけっていた。明るく楽しい曲だけにかえって「終わりの哀感」をおぼえた。

 十五年ほど昔だったか、ラジオをつけっぱなしにしていたら、ウィーン・フィル定期コンサート生放送が流れてきた。演奏者には悪いが出来を期待していなかったので掃除か何かをしながら、ただ音を流しっぱなしにしていた。

 指揮者はリカルド・ムーティ。曲目はモーツァルト交響曲第四〇番ト短調。ウィーンのひとたちにしてみれば何千回演奏したかわからないほど慣れた曲である。作曲者はオーケストラと同じオーストリア人でウィーンに住んでいた。指揮者はイタリア人のベテラン。オーケストラ音楽演奏の出来は指揮者の力量次第だ。ふしぎなことに平凡指揮者がふれば睡眠薬の代わりになるつまらない音楽が、大芸術が振ると魂いの奥底を震撼させられるほどの素晴らしい音楽が同一のオーケストラから出てくる。

 若い頃のムーティはつまらない音楽をやっていた。彼の音楽で感動したことなどなかった。その外見、映画「ゴッドファーザー」にそのまま出演できそうなオイリーヘアの伊達男ぶりからも到底芸術家と言えるタイプの男ではないと感じていた。

 だがその夜の演奏は違っていたのである。

 第一楽章の途中から私はラジオのスピーカーに釘付けにされてしまった。流麗にして堅牢。むだな音が一音もなく引き締まり、弦楽器はモーツアルトのうたを歌い、管楽器が作曲者の悲しみを奏でた。このように素晴らしいモーツアルト演奏はめったに聴けるものではない。もしかしたらわが生涯最高のモーツアルト体験かもしれない。無上の音楽であった。

 長く短い三〇分がすぎ、曲の最後の和音が鳴り終えた。数秒の沈黙のあと楽友協会ホールを揺るがすほどの大きな拍手がおきた。いつもの儀礼的な拍手とはまったく違っていた。ありがとう最高のモーツアルトをありがとうと観客全員が感動していることがありありとわかった。私は嬉しかった。みんなわかるのだ。あのホールの人たちもわたしとおなじく至高のモーツァルト演奏に感動していた。感動を共有していた。わたしもその場所にいる思いだった。

 拍手はえんえんと十分近くもつづいただろうか。いったん楽屋へ引っ込んだ指揮者ムーティは二回も三回も舞台上に引っ張り出された。そんな解説はなかったが、われんばかりの盛大な拍手でそれとわかった。 冬おわる早春の日であった。

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薬指からの消息


 一般に男性の指は薬指が長い。人差し指より長い。女性は薬指が短く人差し指のほうが長い。もちろん例外はたくさんいる。

 二〇年以上前に通信制大学で神経科学(ニューロサイエンス)を学んだ際に覚えた知識の一部だ。この学問分野は知識進歩が著しく、日進月歩どころか「秒進分歩」であるから、現在ははるかに進んでいるだろう。でも私は二〇年前の知識しか無いのでそれにしたがって書いてみよう。

 男女の遺伝子レヴェルでの性別は受精のときに決定する。性染色体がXXなら女性、XYなら男性だ。ただし胎児は全員女性の体だ。遺伝子性別が男性であっても女性の体をしている。哺乳類動物はみんな女性(メス)の体からその生涯をはじめるのである。妊娠何ヶ月目からだったかあいにく知識を忘れてしまったが、男の胎児はあるときから男性ホルモンの分泌が盛んになり、それが彼の体と脳を男性型に変化させる。一方で女の胎児は男性ホルモンが少ししか分泌されないので女性の体と女性型脳のまま出生することになる。

 理論的には簡単であるが成長過程は複雑なようで、男の胎児であっても男性ホルモンの作用をたっぷり受けて出生した人と、やや少ない影響だけ受けて生まれる人がある。女児も同様に母胎内で何らかの事情で男性ホルモンをたくさん浴びて成長した児もいる。それで女性っぽい男性もいれば、男っぽい女もいるわけで、いろいろな人がいるから世の中おもしろい。ちなみに男の胎児の脳に男性ホルモンが作用せず女性型脳のまま出生すると、遺伝子の性別とその人が感じる性がずれてしまう。その人の遺伝子はXYであり男性であり周囲の人が男の子として育てるが、本人は自分が女のような気がして仕方なく、ずれにくるしめられる。

 子宮内で男性ホルモンが胎児に作用すると、薬指がながく伸長するらしい。男児も女児も。

 私自身の手は小さく指も全体に短く、われながら中学生の女の子のようだとおもう。それでも左右両方とも薬指がながい男性形の手をしている。何人か頼んで見せてもらった女性の指は全員人差し指が薬指よりも長かった。みんな女性型の指だった。

 そこでちょっと思いついたのであるが、世の中で女性が多い職業と男性が多い職業がある。極端に男性が多い職業、例えば職業政治家になった女性の指は人差し指が長い女性型だろうか。それとも薬指が長い男性型をしているだろうか。政治は闘争の世界だ。どんなに素晴らしい理想を抱いても、権力を握らねば実現できない。権力者となるためには同業政治家を冷酷に蹴落とす必要がある。擬似的戦争の世界である。こういう世界に志願する女性はもしかしたら胎児のときに通常の女性より多くの男性ホルモンを浴びて成長した可能性があるのではないか。男性型にちかい脳の構造をしているのであるまいか。それを簡便に知るには指の長さを見れば良いわけだ。

 政治以外にもスポーツ選手とか囲碁将棋のプロ棋士の指の長さを調べたら面白いかもしれない。

 囲碁というのは「陣取りゲイム」で盤上の土地を一目でも多く取ったほうが勝つ競技。その意味で純粋な数学ゲイムに近い性格がある。囲碁の世界では女性棋士が男性と互角に活躍している。人数的にはまだまだ男性の棋士が多いが。

 そこへ行くと将棋は明らかに「戦争ゲイム」だ。敵味方の駒同士をぶつけて、敵将を討ち取ったほうが勝ち。そのためなのか将棋界の女性棋士のなかで恒常的に男性棋士と互角に勝負できる実力の人は今のところ存在しない。一時的に男性を凌駕する女性はいるのだが。勝負の世界ではいっとき強いだけでは生き残れない。そのため現在のところは女性プロ棋士がいないのである。

 それに一般人でも囲碁好き女性はそこそこいるのに、女性将棋ファンは少ない印象だ。もしかしたら将棋界の女性棋士もまた政治家女性と同様に胎児のときに男性ホルモンをたくさん浴びて育った人かもしれない。そういえば痩身で全体的に脂肪が薄い体型の女性が多い気がする。そんな仮説をたてて研究してみたら面白いかもしれぬ。

 つれづれにそんなことを考えつつ昔の将棋雑誌をぱらぱらとめくったみたら、指の長さがはっきり見える状態で写された清水市代さん(強豪女性将棋棋士)の写真があった。彼女の指は薬指が長かった。人差し指より薬指が長い男性型の指だった。

 たった一例を一般化してはいけない。清水さんだけ男性型だっただけかもしれないから。

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学而


 遺伝学の分野で有名なメンデルの法則。

 発見者は中央ヨーロッパの無名のキリスト教修道士メンデルである。ただしメンデル没後にメンデルの業績どころかその存在さえ知らなかったと推測されるフランスの生物学者がメンデルとほぼ同様の実験をし、同じ法則を発見した。彼の他にもメンデルを知らないメンデルの法則発見者がいたらしい。

 メンデル修道士は学会で無名の人だった。そもそも学者でなかった。かれは発見した法則を論文にまとめ学会へ提出したものの黙殺されてしまった。彼の論文はなにかの書類の下敷きにされて、学会が体裁よくよく仕舞いなくした格好だった。

 メンデルは家が貧しかったため教会の修道士になったそうで、信仰心は薄かったらしい。かれは日がな一日修道院の庭でえんどう豆を育てては交雑実験に夢中になっていた。外界から隔絶された修道院内で人に知られないまま生きて実験していた。学会に無名だったのも仕方ない。

 メンデル没後に独力でメンデルの法則を発見した生物学者は悔しかったに違いない。

 だが自分の研究や着眼点が実は昔の学者がすでにやっていたものと同じだったということは研究の世界ではとてもよくあることなのだ。すこしも珍しくない。膨大な量の研究の積み重ねがあるし、人の発想は極端には違わないものである。よく言われることなのだが、もしもアインシュタインが相対性理論を二〇世紀初頭に発表しなかったとしても、おそらく別の学者がそれを発見していたはずである。一七世紀にアイザック・ニュートンが存在しなくても別の人が万有引力の法則を発見しただろう。

 私自身「これは絶対に独創に違いない」と確信できるアイディアがひらめいて、念の為国会図書館で過去の研究成果を調べたら、ほぼ同様の研究論文がみつかり、がっかりした経験が複数回あった。

 子供の時から地図が好きだったから、中学二年生ころに、地図と地球儀を眺めていて、アフリカ西海岸の海岸線のラインと、南米大陸東海岸のラインの形が偶然と思えないほどそっくりであることに私は気づいた。両方を密着させると形が合う。もしかしたらはるかな大昔にはこの両大陸はぴったりくっついていたのではないか。漠然と思った。ヴェーゲナーの大陸移動説を知ったのがその数年後、たしか一七歳頃だった。

「我おもう、故に我あり。」の哲学テーゼを私は一五歳のときに独力で発見した。ルネ・デカルトなる男が四百年も前におなじことを言っていたことを知って、ひどく失望させられたのはその翌年一六歳のときであった。

 私はメンデル以上に学会に無名であるから、研究成果を提出したところで、トイレットペーパーの下敷きにされて消えるだろう。残念ながらそれが現実である。

「人知らずしてうらまず、また君子ならずや。」

 そんな心境にはとうていなれそうもない。

金井隆久
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