無人駅の駅長

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一九八〇円


 ネット企業の儲けのために使嗾せられることにうんざりし、インターネット接続環境撤去した後のことである。

 インターネットに使用されたくはないが、このワンダフルな技術を手放す気はない。いずれはなんらかの形態で接続環境を再構築したいと思っている。そのときはじぶんのサーヴァーを構築してサイト、ブログ、メール等々をネット企業を経由せず発信することだろう。だが当分の間は私にその技術力がないため、できない。しばらくは喫茶店のワイファイにつないで発信することになる。そこで中古ラップトップPCを一台買った。

 これまでわが家はデスクトップ型しかなかった。その理由は視力が弱いので大きい画面で見たかったことと、デスクトップ・コンピューターは修理が容易だからである。デスクトップの中古は五千円から買える。パソコンとは数千円で買えるものなのである。五年以上昔の中古で良いならば。そのような超低価格品だとなんらかの不都合があることもある(家に持ち帰ればすぐ使えるものもある)。不具合といってもたいしたことでなく、ほとんどの場合は、中の部品を一個か二個新品に取り替えてやれば問題なく使える程度のことである。部品は数百円か数千円ほどで買える。そういった修理をする際にデスクトップは断然簡単だ。そもそもそれを買った使用者が楽に蓋を開けて中身をメンテナンスしやすいように製造されているからだ。そこへいくとノート型は分解がしょうしょう難しくできている。だからわが家のコンピューターはデスクトップばかりだったのだ。ちなみに新品コムピューターを買ったことがない。いつも低価格中古品だ。

 なお修理といっても非常に簡単な作業である。ぼくは中学時代の数学の成績が零点で、文学は得意だが理科系技術系がまるでだめという人間だ。それでもデスクトップPCの組み立てと修理はできる。ドラーヴァーでネジを緩めたり締めたり、部品をぱちんとはめたりするするだけで、おもちゃの組み立てよりも簡単な作業だからだ。電気の知識がなくてもできる。現にぼくも電気がわからない。

 そこで今回はラップトップの中古を買った。NEC製で二〇〇八年九月に出荷されたもの。十一年半も昔の製品なのに使用感がないので目についた。傷がなく鍵盤に打鍵跡がほとんどない。中古品はたいていどこかの会社が使用していた物だが、このPCは何らかの事情で使用されないまま中古処分されたのではなかろうかと思った。値段は一九八〇円であった。税込み価格だったから正真正銘二千円以下パソコンだ。ハードディスクと呼ばれる情報記録部品が欠けた状態だったので ウィンドーズは入っていなかった。しかしこれはたいしして問題ではない。ぼくは この OS が苦手で使わないからだ。世の中には無料で使える高性能なオペレーティングソフトが多数ある。ウィンドウズ のような高価で性能が低くさまざまな制約があるソフトを買って使う義理はない。

 そこで購入したNECラップトップにリナックス OSの軽いのをインストールした。リナックスというのは世界中の有志技術者が開発しているオペレイティング・システムのソフト。無料で使うことができる。今回は日本語入力が必要なため日本人が開発しているリナックスをインストールした。家にインターネット環境がないから、外国製リナックスに日本語環境を導入する作業が不可能なためである。

 インストールは簡単に終了。再起動させたら非常に速く起動した。最新の ウィンドウズ pc と遜色ないスピードであった。キーボードに壊れたキーはなく全部のキーが正常に使えた。画面もきれいである。さらに驚いたことに付属バッテリーが使えた。まさか十二年前の電池装置が今だに生きているとは想わなかった。もちろんかなり弱っていて、電池だけで使用すると十五分ほどで切れてしまうが、ふいに電源を抜いてしまったばあいの保険としては充分だ。

 さてつぎにこの大昔のラップトップを近所の喫茶店に運びワイファイ接続させたら問題なく繋がった。

おもうのだが、ひとはなぜ数十万円もするPCを買うのだろう。

 一九八〇円のラップトップがこうしてなんら問題なく使えるのに。

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見分けかた


 国や市役所がおびただしい数の制度をしています。その中に、わたしたち一般庶民が必ず参加しなければいけない義務制のものと、希望者だけ参加する自主参加制のものがあります。紛らわしいことに、法律では希望する人だけ参加すればいいことになっているのに、あたかも義務制度みたいな感じに見える制度もあります。

 その制度が義務なのか、そうでないのか。法律音痴な人でもかんたんに見分けられる方法があります。それはその制度に手数料がかかるかどうかです。

 かんたんな例を挙げます。

 運転免許をとるために、そして取ってから更新するために、数千円くらいの手数料を警察署に支払います。これは運転免許が義務制でないからです。希望する人だけ参加する制度だから、希望者のほうが手数料を負担するのです。

 年金や社会保険、雇用保険は義務制です。全員加入が法律で決められています。そのため、手数料は役所が負担します。私たちは保険証の交付手数料などというものを支払いません。義務制だからです。

 このように、手数料をどちらが負担するのか。私たち庶民か政府かを見れば、その制度が義務か希望参加制かを判断できます。

 あたかも義務のように錯覚させられているマイナンバー制度が、ほんとうは希望者だけが自主的に参加する制度なこともこれで分かるでしょう。写真撮影料金とか、マイナンバー証明書の交付に必要な費用を私たち一般庶民が負担するからです。参加したい人が参加する制度だから、マイナンバーに加入しなくても罰はいっさいありません。それは警察の運転免許を取らなくても逮捕されないのといっしょです。

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坐る


 お寺の法事で正座をしたため痺れて立てなくなった経験がある人もいるだろう。一般に静座とは、かしこまって苦しい姿勢だと思われている。正座をする文化は世界でも珍しく日本だけらしい。

 そんな正座であるが、わたしにとっては案外に楽に感じる姿勢で、家でときどき正座をしている。たとえばパソコン作業で疲れたときに椅子の上で正座するととても楽だ。写真編集をするときなどはたいがい椅子上の正座をする。ただし通常の人と同様、長時間の正座は苦痛だ。一〇分か十五分正座したらふつうの腰掛け方に戻す。

 佛教徒であるので勤行をする。宗門の規定では朝夕二回行うことになっているようだが、私は一日一回しかししない日が多い。一回のお勤め所要時間はだいたい三〇分。その間ずっと正座だ。ふしぎと痺れない。日常生活での正座は一五分が限界なのに、念佛読経ならば半時間正座して平気なのである。じぶんでもおもしろいと思う。

 怠けて二日くらい勤行しない日が続くことがある。だが三日以上怠けることはない。なぜかというと長い日数お勤めしない日が続くと、胸の上のあたりになにかかが詰まって塞がったようで苦しくなるからである。そんなとき佛壇前の座布団の上に正座し、勤行の初めの一声を発するやいなや胸の閉塞がすーと雲散霧消する。念佛しているとき、おそらく私の脳内に身体をリラックスさせるなんらかの神経伝達物質が分泌されるのであろう。快い。だからお勤めを何十年も辞めることがないのである。刻苦精励して辛い修行をつづけているのでないことは断言できる。楽しく快いからしているのである。

 お勤めは自分の健康状態のバロメーターになっている。声がよく出る日と出にくい日。体調が実によくわかる。最高に調子が良い日は自分の体が一本のシンプルな筒になったような気持ちがする。オーボエか尺八かクラリネットになったみたい。朗々と声が出る。実に快い。冬のお勤めは身体を温める。ぽかぽか暖かくなる。真夏のお勤めは少しく酷である。三五度もある日だと全身汗まみれとなり、目に入った汗が沁みて痛い。頭蓋骨の形のせいか、私の場合左目ばかりに汗が流れ込む。勤行後終了に立ち上がると、座布団にわが脚の形に汗の模様が描かれている。流れ落ちた全身の汗がそこに染み込んだ跡なのである。このように夏のお勤めは辛い面もあるのだが、済ませたあとに爽快な涼しさをかんじる。

洋の東西を問わず宗教家は長生きする職業の代表のように言われる。その秘訣はもしかしたら毎日のお勤めにあるのかもしれない。

 ところでむかし否かの電車内にのると、草履を脱いで腰掛けのうえにちんまり正座したおばあさんを見かけたものだ。ほのぼのするいい光景だった。 このごろはそういうご老人をみない。現在のご老体はロックンロールで育って世代だから正座などしないのだろうか。その代わりといってなんだが、初老の私が電車の座席上にときどき正座する。家の椅子上正座と同じでときどき正座すると楽なのである。

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山のおと


 ゆく夏を惜しむ、というけれども、ゆく冬を云々とは言わない。

 晩春、晩夏、晩秋という言葉はあるが、晩冬とはあまり言わないようだ。

 夏は暑苦しくつらい季節だけれど、嬉しく心躍る季節でもある。生命横溢する季節だからであろう。夏の終わりという言葉にぼくたちは深い寂寥を覚える。一年の終わりを感じる。

 そこへ行くとおなじく寒くて忍耐の季節である冬が去ることに愛惜を覚える人はいない。冬は早く去ってほしいばかりな嫌われもの。山眠る玄冬。葉が落ちた裸山。枯れ草残る河原。生命滅んだ厳しい冬に一輪の花咲くことを、蟲達の大地からの復を、かすかな春のきざしを人びとは心待ちする。

 わたしが個人的に新年の終わりを感じるのは毎年一月一日夜九時半である。新しい年が始まったばかりでもう終わりを感じるのは、早すぎると、自分でもおもうものの、習慣になってしまった。ラジオが中継放送するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ニューイヤー・コンサート終了時刻が日本時刻で夜九時半ころなのである。ここ一〇年ほどはすっかり聞かなくなってしまったが、以前は毎年楽しみにしていた。

 このコンサートの最後の二曲は毎年同じ曲だ。「美しく青きドナウ」「ラデツキー行進曲」この二曲。どちらも有名曲。「ドナウ」は優雅なワルツで「ラデツキー」は小太鼓が活躍する心弾むマーチだ。観客も手拍子で演奏に参加する。このマーチの最後の和音がタタン!と終わると

「ああこれで今年も終わったなあ」

と感慨にふけっていた。明るく楽しい曲だけにかえって「終わりの哀感」をおぼえた。

 十五年ほど昔だったか、ラジオをつけっぱなしにしていたら、ウィーン・フィル定期コンサート生放送が流れてきた。演奏者には悪いが出来を期待していなかったので掃除か何かをしながら、ただ音を流しっぱなしにしていた。

 指揮者はリカルド・ムーティ。曲目はモーツァルト交響曲第四〇番ト短調。ウィーンのひとたちにしてみれば何千回演奏したかわからないほど慣れた曲である。作曲者はオーケストラと同じオーストリア人でウィーンに住んでいた。指揮者はイタリア人のベテラン。オーケストラ音楽演奏の出来は指揮者の力量次第だ。ふしぎなことに平凡指揮者がふれば睡眠薬の代わりになるつまらない音楽が、大芸術が振ると魂いの奥底を震撼させられるほどの素晴らしい音楽が同一のオーケストラから出てくる。

 若い頃のムーティはつまらない音楽をやっていた。彼の音楽で感動したことなどなかった。その外見、映画「ゴッドファーザー」にそのまま出演できそうなオイリーヘアの伊達男ぶりからも到底芸術家と言えるタイプの男ではないと感じていた。

 だがその夜の演奏は違っていたのである。

 第一楽章の途中から私はラジオのスピーカーに釘付けにされてしまった。流麗にして堅牢。むだな音が一音もなく引き締まり、弦楽器はモーツアルトのうたを歌い、管楽器が作曲者の悲しみを奏でた。このように素晴らしいモーツアルト演奏はめったに聴けるものではない。もしかしたらわが生涯最高のモーツアルト体験かもしれない。無上の音楽であった。

 長く短い三〇分がすぎ、曲の最後の和音が鳴り終えた。数秒の沈黙のあと楽友協会ホールを揺るがすほどの大きな拍手がおきた。いつもの儀礼的な拍手とはまったく違っていた。ありがとう最高のモーツアルトをありがとうと観客全員が感動していることがありありとわかった。私は嬉しかった。みんなわかるのだ。あのホールの人たちもわたしとおなじく至高のモーツァルト演奏に感動していた。感動を共有していた。わたしもその場所にいる思いだった。

 拍手はえんえんと十分近くもつづいただろうか。いったん楽屋へ引っ込んだ指揮者ムーティは二回も三回も舞台上に引っ張り出された。そんな解説はなかったが、われんばかりの盛大な拍手でそれとわかった。 冬おわる早春の日であった。

金井隆久
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