タラコ唇

 その時、無意識に言葉を発していた。「僕、糸島の平家落人の里に行ってきました」その時、タラコ先生は、カミソリのような鋭い目つきで返事された。「ほ~~、糸島に。僕も、一度行ってみたいと思っていたんだ。糸島の話、聞きたいものだ。ちょっと、お茶でも飲んで、一服しようか」 タラコ先生は、足早に茶店に入られると梅ヶ枝餅を注文された。「運良く席が空いていた。日頃の行いがいいということだ。君の専攻は?」真人は、胸を張って返事した。「文学部です」タラコ先生は、小さくうなずき返事した。「文学部か。文学が、好きということだな。自分の好きな道を進むということは、いいことだ。歴史も好きか?」真人は、小さな声で返事した。「それが、歴史が苦手なんです。記憶力が悪いもので。でも、歴史には興味はあります。歴史小説も好きです」

 

 タラコ先生は、大きくうなずき返事した。「そうか。歴史は、実に面白い。学生は、受験のために歴史を必死になって憶えているが、大切なことは、歴史から学ぶことだ。歴史は、いろんなことを教えてくれる。大学では、自分なりに史実について考えてみるといい。意外な発見や、感動することがいっぱいあるぞ。また、歴史には、いろんな側面があって、教科書では語られていないことがたくさんある」真人は、タラコ先生の意外な一面を垣間見たような気になった。どこか、文学者に通じる考え方を持っているようだった。「憶えるのは苦手ですが、史実について考えるのは好きです。特に、権力闘争に敗れた人たちの末路について考えていると時間を忘れてしまいます」

 

 タラコ先生は、大きくうなずき返事した。「そうだな~~。歴史は、権力闘争の連続だ。勝者が、国を支配し、文化を創造する。我々が知る歴史は、勝者が作った歴史だ。言い換えれば、我々が知らない歴史が山ほどあるということだ。私は日本史の知識は豊富だが、それは、勝者が作り上げた歴史の知識でしかない。敗者の歴史もあるのだが、それを知ることはかなり厄介だ。だが、歴史とは、そういうものだ。歴史文献は、事実ばかりとは限らない。時の権力者によって、創作されたものも少なからずある。だから、自分の頭でしっかり考えることが大切だ。なんだか、説教じみてきたな」真人は目を丸くした。タラコ先生は、歴史を疑うことを勧めている。思っていた以上に偉大な先生のように思えてきた。「はい。史実について、もっともっと考え、それを糧に、将来は、小説を書きたいと思っています」

 タラコ先生は、目を輝かせて返事した。「頼もしいじゃないか。君の小説を読んでみたいものだ。頑張れ」真人は、小説を書きたい、と言って激励されたのは、生まれて初めてであった。父親からは、バカな夢はさっさと捨てろ、と中学生のころから言われていた。嬉しくなった真人は、姫島の波多江先生のことを話したくなってしまった。「先生、糸島市の姫島に行かれたこと、ございますか?小さな島ですが、波多江先生といわれる、チョ~~熱血先生がいらっしゃるんです。子供達にサッカーを教えておられます。是非、先生も波多江先生にお会いになられてはいかがですか?きっと、気に入られると思います」

 

 姫島と聞いたタラコ先生は、笑顔で目を輝かせた。「姫島だろ。知ってるさ。野村望東尼(のむらもとに)が幽閉されていた島だ。ほ~~、ハタエね~~。波多氏(はたうじ)か。糸島の離島に波多氏がいたとはな~~。平原遺跡(ひらばるいせき)に行ってみようと思っていたところだ。ついでに、ちょっと、船に揺られてみるか」タラコ先生は、時々、頭をかく癖がった。運良く、一本、頭髪がテーブルに落ちた。タラコ先生が、席を立たれると丁重に挨拶して見送った。そして、即座にテーブルに落ちていた頭髪をゲットした。タラコ先生との偶然の出会いで一歩前進したような気持になったが、いったい、なぜ、タラコ先生は、福岡までやってきたのか?ちょっと、気になった。

 

 机の引き出しに、タラコ先生とタケルの頭髪が入った封筒が大切に保管されている。便せんに二人の名前を書き、名前の下に頭髪をテープで張り付けている。これを明日投函しよう。あとは、DNA鑑定してくれることを祈るだけだ。タラコ先生は、今、何をやってるのだろうか?予備校講師はやめられたという噂だ。もしかして、ひきこもって、小説を書いていたりして。でも、意外だったな~~。あの時の先生は、講師というより、小説家だった。そう、先生は、神主だった。神主の仕事が忙しいに違いない。どこの神社に行けば会えるのか?まあ、いいや、神社巡りをやってれば、また、どこかで会えるに違いない。

 

              手がかり

 

 問題は、タケルのことだ。無事であれば、それに越したことはないが、なぜか、心配になる。所在を突き止める方法はないか?波多江先生には、きっと、何らかの連絡はあると思うのだが。それを待つしか方法はないのか?タケルの手掛かりになるものは?要は、なぜ、タケル一家は、突然、引っ越ししたのか?そうか?万が一、タケルの父親がタラコ先生だったとしたならば、タラコ先生が、タケル一家をどこかに避難させたとも考えられる。それでは、何のために避難させたのか?そうだ、かつて、タラコ先生は、自分は南朝の後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の子孫とマスコミに公言したことがあった。もし、タケルがタラコ先生の子供ならば、タケルも同じく後醍醐天皇の子孫。もしかして、そのことが原因か?

 

 後醍醐天皇の子孫を嫌っている連中は、だれか?北朝だけか?いや、今の天皇家も?でも、後醍醐天皇の子孫だというだけで、命を狙われることはないだろう。そうか?いまだ、壇ノ浦の海底から草薙剣が引き揚げられていないことから、熱田神宮の草薙剣は、形代だとも言っていた。これが、北朝の逆鱗に触れたのか?確かに、タラコ先生は、北朝に嫌われることを言っていた。さらに、令和の天皇も本物の草薙剣を持っていないということになるから、令和の天皇家にも嫌われることを言ったことになる。タラコ先生は、自分の身の危険を感じたからこそ、万が一のことを想定し、タケル一家を避難させたのか?

 

 タケルは、所在を他言してはいけない、と親から念を押されていたとしても、波多江先生にだけには連絡を取るような気がした。今は、タケルが波多江先生に連絡するまでじっと辛抱強く待つしかないのか?いや、そんなのんきなことを言っていていいのか?すでに、タケル一家は拉致され、全員消されているかもしれない。でも、あまり悪い方向に考えていてばかりでは、先には進めない。今は、無事だと確信して、何らかの方法で捜索すべきだ。でも、どうやって?そうだ、明日、波多江先生に電話してみよう。今回ばかりは、電話での失礼は許されるだろう。

 

 

 63日(水)午前9時、DNA鑑定のための頭髪入り封筒を投函した。部屋に戻ると、軽く肩甲骨と股関節の運動をして、パソコンの前に腰掛けた。タケルを捜索するとしても、むやみやたらと駆け回っても徒労に終わる。タケルについて、見落としている点はないか?まず、タケルについての情報をまとめてみよう。そこから、推測するのが賢明だろう。知りえている情報を列記してみることにする。①タケルの実の母親は死んでいる。②現在、亡くなった母親の妹に育てられている。③タケルの姓は、近衛(このえ)である。④タケルからの情報だが、東京から姫島にやってきた。⑤サッカー少年である。⑥波多江先生からサッカーの指導を受けていた。⑦血液型はA型。⑧生き別れの父親の姓は、タケウチ。漢字は不明。⑨福岡市に引っ越したと思われる。この程度かな~~。こんな情報じゃ、どうしようもないな。

 

 タケルのことばかりが気になっていたが、タケル自身の意思で引っ越したわけではない。両親の意向で引っ越したに過ぎない。いや、おそらく、母親の意向でタケルは引っ越したに違いない。タケルを預かったということは、妹は独り身だった可能性が高い。彼女は、未婚か?もしくは、バツイチではないか?タケル一家は、なぜ、雲隠れしたのか?おそらく、誰かの指示に従ったのだろう。指示したものはだれか?タラコ先生かも?ということは、タラコ先生のことをもっと知る必要がある。知っていることとといえば、予備校の日本史講師。神主。この程度だ。でも、タラコ先生について知ったからと言って、避難させた場所を突き止めることはできない。手ががかりなしで、どう動けばいいんだ。

 

 その時、パッと、姫島神社の鳥居が頭に浮かんだ。初めて、タケルと出会ったのは、神社の境内だ。神様が、タケルとの出会いを作ってくれた。そうだ、神社だ。きっと、どこかの神社で再会できるに違いない。タケルは、姫島神社の近くに住んでいた。ということは、どこかの神社の近くに引っ越したと考えてもいいのではないか?そう考えても、日本中に、神社は、8万社ほどある。気絶するほどの数だ。

春日信彦
作家:春日信彦
タラコ唇
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