生きる意味は有るのか? 2
現世の奇跡性
この世・世界・宇宙が存在し、
そこに私たちがいる、その事実自体、
そもそも不可思議な、まさに文字通りの、
奇跡にも他ならないに違いないのです。
なぜなら、すでに、既刊の関連書籍にて、
糺(ただ)され明かされもしたように、
極微のミクロ世界も、量子のレベルにまで、
徹底的にも突き詰めれば、
到底この世の一様になど定まり難く、
『 並行世界 』 とも 『パラレルワールド』 ともされる、
現世とも同様に、同時進行する、
幾通りもの別世界さえが確率的に存在する、
そんな仮説さえが、理論物理学において、
然も実しやかに論じられてさえならないほどなのですから・・・
しかし、そんな不確かな極微の大元が、
一体全体にも何を以ってして、
なぜ一様にも纏(まと)まり統(す)べられ、
確定もされたかに、理(ことわり)さえを以って、
今日現代の今に在(あ)り、
なおこの先にも、維持され続けるかにさえあるのか、
その矛盾に想いを馳(は)せれば・・・
それこそ、なお不確かながらも、おそらくながら、
無限大分の 1 の因子こそが、
無限数個にも集積しては関連し合い、
無限数回にも相互に干渉の繰り返されれば、
いずれは纏まり統べって、限り無くも 1 に近付くように、
この世・現世が、今に在るがままにも一様に、
収斂(しゅうれん)されてあるかにも、
他ならなくもなるに違いないからなのではないでしょうか?
すなわち、いかに不確かな、
どうにも定め難い因子・要素でさえ、
それが無限数にも様々に存在し、
且(か)つ同時多発的にも進行されれば、
それらの混交の集合にして綜合は、
自ずからにも或(あ)る特定の性向を帯びて、
一定方向にも纏まり統べる、
そうしたことともなろうからに、
違いないというわけなのです。
なるほど、そうとも想われようと、
それを明らかにも実証することなどの、
けっしてどうにも叶いそうにもありませんが・・・
なぜなら、
無限数を特定することなどの、
もとより実現不可能な事にも、
他ならないに違いないのですから・・・
しかし、とは言え、
いや、むしろ、だからこそ、
この世・現世が、掛け替えのなく尊くもあり、
私たちのそこに在って、生きる意味さえがあるのです。