5.古代よりの負の遺産
遺産と言えば、とかく都合(つごう)の良いものばかりが、何かと例に挙(あ)げられます。
たとえば、伝統文化、遺跡文物(いせきぶんぶつ)、民族の多様性、世界観の多面性などなど・・・
なるほど、民族ごとにも言語・文化はさまざまにも異(こと)なり、それがわたしたち人類にとっての、現実世界のみならず、精神世界をも豊かにして来たことは、紛(まぎ)れもなく否定しがたい事実です。
しかし、それらは、いわば正の遺産ばかりにすぎません。
つまりは、好(よ)い面ばかりに光を当てた、楽観的・手前味噌(みそ)的・自画自賛(じがじさん)的な・・・
ですから当然、好ましからざる面にも光を当てれば、陽と陰の対比のさながらに、別の面こそが、顕(あらわ)わされずに措(お)かれません。
それこそが、いわゆる負の遺産なのです。
さて、その何かと言えば・・・
この 『 迫り来る危機への備え 』 シリーズの本編では、それらを明らかにして行きます。
実を言えば、それらこそが、世界・人類の破滅(はめつ)への、その元凶さえを孕(はら)む、要因にして主因にも他ならないのですから!
どうかこの際、是非とも、それらの何かを、改(あらた)めてもお確かめください。
あなたの気付かなかった、この世・世界の陰(かげ)にして、すなわちは、わたしたち人類の裏面(りめん)こそが、お分(わ)かりになろうはずですから。
そして、まさしくそれらがために、この世・現世が、辛(つら)く悲しくもある、その現状の何故(なぜ)かこそが、目からウロコのさながらに、如実(にょじつ)にも顕在化(けんざいか)され、なるほどと納得もされましょうから。
他ならぬそれらこそが、いずれは世界を破滅に導き、あわやわたしたち人類を、滅亡させずにもおかないのです!
はたして、わたしたち人類が、未来永劫(えいごう)にも存続しうるためには、古代に始まり、今なお延々(えんえん)と引きずり続ける、数多(あまた)の忌(いま)わしき負の遺産を、逸早(いちはや)くも解消しなければなりません。
そして、その解消の暁(あかつき)には、その過去の反省に立ち、禍(わざわい)転じて福と成(な)すべく、将来へのさらなる進歩発展に資するものとも、為(な)されなければならないのですから。
さても、向かう将来に亘(わた)るこの先は、すべてを無に帰すばかりの破滅なのか、それとも、世界を一変もさせる大変革(だいへんかく)の大躍進(だいやくしん)なのか・・・
そのいずれに進むかを試(ため)される、二者択一(にしゃたくいつ)の岐路(きろ)にこそ、今日現代のわたしたちは、まさに差し掛かっているのです。
『 天は、自ら助(たす)くる者を助(たす)く 』
の教えどおりにも、もとより自助なくしては、神のご加護(かご)すら望みようもありません。
あなたご自身、並びに個々人それぞれの自助、延(ひ)いては、それらの協力になる人類としての自助もしくは共助無くしては、これまで通りの過去の過(あやま)ちを、相も変わらず引きずるばかりにすぎないのです。
はたしてどれほどにも、古代よりの負の遺産が、この世・世界を徒(いたずら)に貶(おとし)め、人の一生を、辛(つら)くも哀(かな)しくさせずに措(お)かないのか、その実際こそに、どうか逸早(いちはや)くもお気付きください。
そして、その哀(あわ)れな惨状(さんじょう)を変えるべく、どうかお力をお貸しください。
そして共に、協力の輪こそを、世界にまでも遍(あまね)くお広げくださるべく、お力添(ちからぞ)え願います。
すべては、けっして他人まかせではなく、あなたを始め、個々人ひとり一人の協力になる、不断の努(つと)めこそに懸(かか)っているのです。
あわよくば、独(ひと)りコッソリ、天国・極楽への抜け駆(が)けなどが、偏(ひとえ)に神仏のご加護(かご)に縋(すが)りもすれば、難無くお出来になるとでもお想いでしょうか!?
もしやそうもお想いなら、即刻(そっこく)にも、そんな独り善がりでお門違(かどちが)いなお考えを、正しくも改められるべきでありましょう。
人類は、 『 一蓮托生(いちれんたくしょう) 』 なのですから。
善(よ)きも悪(あ)しきも連帯責任、けっして唯(ただ)の一人の例外さえのないのです!
この世・世界が破滅し、人類が滅亡すれば、それですべては終わり、一切が無に帰するよりないのです。
それでもなお、天国・極楽に迎えられ、救われるとでもお想いでしょうか・・・