タケル

 先生は、不愉快な顔つきでしばらく黙っていた。「実を言うと、昨年の秋ごろ、40歳前後の男性がやってきました。そして、タケルにちょっと会いたいというのです。素性を名乗らない男性にタケルを会わせることは、危険だと思い、きっぱりと断りました。もしかしたら、実の父親だったかもしれません。いや、タケルを探していた私立探偵だったかもしれません。真人さんは、タケルの父親を捜しているのですか?タケルに同情してですか?」真人は何と言って返事していいか戸惑ってしまった。確かに、父親を捜していたが、まだ定かでない自分の手掛かりを話すわけにはいかなかった。

 

 真人はしばらく考えて返事した。「僕は、東京に住んでいます。できれば、タケル君の力になれればと思いまして。今も、タケル君のお父さんが東京にいるのならば、探してあげたいと思います。どれほどのことができるか、自信はないんですが。何か、お父さんについての手掛かりがあればいいのですが、タケル君は、お父さんのことは、全く知らないといっていました」先生は、お茶をすすっては、うなずいていた。「私も、できることなら、お父さんを探してあげたいと思っています。でも、手掛かりがまったくないのです。亡くなられたお母さんは、ご主人のことについて、全く話されませんでした。何か、深刻な事情でもあったのかもしれませんね。こちらから、突っ込んで話を聞く勇気もありませんでした。タケルも心の底では、お父さんに会いたいはずです。不憫(ふびん)に思えてなりません」

 

 もし、ムッタン先生が実の父親であれば、タケルに会いたいはず。だが、タケルが不倫相手の子供であれば、公に、会うことはできない。そこで、タケルの写真を撮らせに私立探偵を姫島まで派遣したのかもしれない。いや、ちょっと待てよ。こうも考えられる。不倫相手は、身ごもったことを知らせず、ムッタン先生から身を隠すように、東京から姫島に逃げてきたのかもしれない。いまだ、不倫相手に未練のあるムッタン先生は、長年、私立探偵を使い彼女の所在を探していた。ついに、私立探偵は、不倫相手の所在を確認できたが、彼女はすでに死亡していた。だが、残された子供は、妹に預けられ、元気に育っていた。その子供はムッタン先生の子供かもしれない、と思った私立探偵は、学校に立ち寄り、直接会って顔つきを確認しようとした。また、彼は、タケルの写真を撮り、さらに、親子のDNA鑑定をするためにタケルの毛髪を持ち帰った。

 

 

 

 突然、真人の頭には、いろんな妄想が膨らんだが、親子関係をはっきりさせるには、DNA鑑定が必要。タケルの毛髪を23本失敬することにした。問題は、ムッタン先生の毛髪をどうやって手に入れるか?そのことは、東京に帰ってじっくり考えることにした。「ところで、先生には、感心します。遊ぶところもない、さみしい孤島で暮らせるんですから。まだ、お若いじゃないですか。デートできるような場所もないし。彼女もできないでしょ。内心では、市内の学校に移られたいんじゃないですか?」ちょっと返事に困ったような表情になった先生は、小さなため息をついて返事した。「やはり、そのように思われますか。そうですよね、何にもない孤島ですから。若者は、可能性を求めて島から出ていきます。でも、僕には・・」先生は、何か言いたげな表情をしたが、黙ってしまった。

 

 ちょっと気まずくなった真人は、謝罪することにした。「あ、ちょっと生意気なことを言ってしまいました。学生の分際で、わかったようなことを言って、申し訳ありませんでした。まだ、世間知らずなんです。環境に恵まれない孤島で頑張っているタケル君を見てると、穴があったら入りたいくらいです」真人は、頭を下げた。先生は、悩みを打ち明けるかのように静かに話し始めた。「いや、真人さんが言われることは、もっともです。何も、謝ることじゃありません。この島で働くのは、僕の趣味なんです。両親からも、仲間からも、何を考えてるのやら、とからかわれています。でも、どんなにバカにされても、構いません。僕は、賭けているんです。いつかきっと、何もない孤島から、優秀なサッカー選手が出ることを。タケルには、期待しています。僕の夢ですかね~~。僕の力なんか、微々たるものかもしれません。でも、できる限り、ここで頑張りたいのです」

 

 真人は、先生の思いも考えず、自分勝手なことを言ったことが恥ずかしくなった。横浜生まれの、横浜育ちの自分は、恵まれない環境のことなど全く分かっていない。先生は、恵まれない環境でも、できる限りのことをやって、必死に子供達を育成している。おそらく、先生のような人は、得をすることはないかもしれない。でも、自分の思いを貫くことは、その人の人生。真人は、先生と仕事の話をするには、まだまだ、未熟だと思った。

 

 

 ちょっと気まずくなった真人は、姓と地域の歴史について話をすることにした。「話は変わりますが、ハタエという姓は、初めて聞きました。糸島には、多いのですか?」ちょっと笑顔を作った先生は、軽やかな声で話し始めた。「波多江でしょ、糸島には、多いです。おそらく、波多江の発祥は、糸島でしょう。もし他県にいたなら、きっと、故郷は、糸島ですよ」糸島には、古墳が多い。かつては、栄えていたに違いないと思った。「糸島には、世界一大きい銅鏡が出土した平原遺跡(ひらばるいせき)がありますよね。きっと、大豪族がいたんだと思うのですが、波多江家は、かつては、大豪族だったのかもしれませんね」

 

 ちょっと首をかしげて、返事した。「いや~、その点は、よくわかりませんが。波多江という地名もあるし、波多江神社があるぐらいですから、豪族だったのかもしれません。そう、波多江家には、大きな屋敷が多いのですよ。ちょっと、僕の妄想を聞いてくれますか?笑わないでくださいよ。思うに、波多江家は、源平合戦で敗れた平家落人(へいけおちうど)ではないかと思っているんです。平家であることを源氏に知られないように、あえて、波多江という姓に統一したのではないかと。また、波多江家の人たちは、平氏の復興を密かに願い、一致団結し協力し合って、暮らしてきたんではないかと。やはり、妄想じみてますかね」

 

 真人は、大きくうなずいた。平重盛(たいらのしげもり)の内室と千姫と福姫が隠れ住んでいたという平家落人の里・唐原(とうばる)が糸島市二丈にある。そのことから考えれば、波多江家平家落人説は、事実ってことも考えられなくもなかった。「なるほど。いや、あり得るかもしれませんよ。1185年壇ノ浦の戦いで負けて、平家は、福岡方面、対馬方面、大分方面、宮崎方面とクモが散るように逃げたわけですから。僕も歴史の妄想が大好きなんです。僕なんか、糸島こそ、邪馬台国で、平原古墳は、卑弥呼の墓だと思っています。妄想、バンザイです。心優しく、たくましい平清盛こと波多江先生ならば、きっと、姫島を天下にしらしめることができると信じています。今日は、先生と楽しいお話ができて、姫島まで足をのばした甲斐がありました。夏休みになったら、また糸島観光をしたいと思っています。先生、頑張ってください。タケル君も、きっと先生のようなたくましい男になると思います。ちょっと、長居してしまいました。それでは失礼いたします」

 

            姫島の噂

 

 波多江先生とタケルとに別れを告げた真人は、静かな青い海を眺めながらのんびりと歩き始めたが、腕時計に目をやると少し焦った。出港の1420分まで15分ほどしかなかった。ハッとした真人は、姫島港へ向かう西側の海岸沿いの小道を駆けて行った。ハ~ハ~息を切らして港に着くと、のんびりとお客を待ってる”ひめしま”の姿が、目に映り、ホッとした。すでに買っていた渡船切符を船長に手渡し、ほんの少し左右に揺れていた船に乗り込んだ。窓際の席に素早く腰掛け、姫島分校方面の青空を窓から眺めた。すると、即座に、脳裏のスクリーンに、サッカーボールをドリブルする無邪気なタケルの姿が映し出された。なぜか、ほっこりとした気分になった時、体を震わせるエンジン音が大きくなり”ひめしま”はゆっくりと動き出した。

 

 姫島から離れるにしたがって、タケルのことが心配になってきた。単なる興味本位でタケルとムッタン先生の関係を探っていたにすぎなかったが、何か、奇妙な胸騒ぎがした。本当に、ムッタン先生の子供であれば、タケルも天皇の血を引いていることになる。昔の天皇は、子だくさんと聞いている。その子供が、子供を作るわけだから、天皇の血を引いた人は、日本中にかなりいるということになる。こう考えると、身の回りのほとんどの人とは、血縁関係があるということになり、お友達ということだ。つまり、喧嘩せず、仲良く暮らせばいい、ということじゃないだろうか。

 

 こんな、意味のないことを考えていると岐志漁港までの乗船時間16分が、あっという間に過ぎ去った。下船すると駐車場に停めていたカーシェアのスズキソリオに乗り込んだ。早速、スマホを取り出し、ソロモンに紹介してもらったヤコブに電話した。ヤコブは、イスラエル留学生でF大生ということだった。ヤコブへの電話は、即座につながった。「こんにちは、マヒトと申します。ヤコブさんでいらっしゃいますか?」ヤコブは、真人のことをすでにソロモンから知らされていた。流ちょうな日本語で返事した。「はい、ヤコブです。マヒトさんですね。ソロモンから、あなたのことは、うかがっています。何か?」

 

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
タケル
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