小説の未来(19)

 いじめられたことによる心の傷の痛みは、おそらく、死ぬまで続くのではないでしょうか。それならば、いかにしてその痛みをいやし、憎しみを消し去ればいいのでしょうか。いじめた相手を殺害すれば憎しみは消え去るのでしょうか?自分がいじめられたように、自分より弱いものをいじめれば、気分がすっきりするのでしょうか?

 

 憎しみというものは、いかなる方法によっても、癒されないと思っています。ならば、どうすべきなのでしょうか。死ぬまで、憎しみを抱き続け、苦しみ続けて、死ぬ以外ないのでしょうか。痛みを感じないように、憎しみを抱かないように、神の信仰に頼る以外にないのでしょうか。

 

 一生心から消え去ることのできない憎しみは、自覚されなくとも、必ず心を苦しめ、性格形成に大きな影響を与え続けていきます。そして、言葉に表さなくとも、表情、行動、肉体に必ず現れてきます。親にいじめられて育った人は、自分が親になった場合、その人は、無意識に自分の子供をいじめる場合が多々あるのです。

 


 ところで、なぜ、私は、小説を書き始めたのか。今振り返って思えば、憎しみを考察したかったからではないかと思うのです。憎しみといえば、身近な人に対するものと思われますが、学校や国家のような組織に対するものもあります。

 

 高校生のころから小説を書き始めたのですが、心にはびこった負け惜しみや欺瞞(ぎまん)を見つめながら、小説を書いているうちに、自分に内在するいろんな憎しみを自分なりに自覚できたように感じます。まずは、父親に対する憎しみ、貧困を生み出す社会への憎しみ、戦争を引き起こす国家への憎しみ、など。

 

 憎しみというものは、意外と自覚しにくい感情ではないでしょうか。いつの間にか、心の底に沈殿してしまうような感情のように思えます。この沈殿している憎しみという感情は、要注意なのです。

 


 

 沈殿している憎しみは、日頃は浮き上がってきません。でも、心の底に沈殿した憎しみは、何かのきっかけで、突然、急激に浮上してくる場合もあります。そして、自分の性格に悩み始めた時、心の底に沈殿していた憎しみに気づくことがあるのです。

 

 小説を書き続けているうちに、私は心の底に沈殿していた憎しみを具体的に感じ取れるようになりました。そして、自分の性格形成の過程までもある程度理解できるようになり、さらに、内在する恐怖も自覚できるようになりました。

 

 自分の恐怖を自覚することは、自分の感情と思考を理解する上で、大いに役に立ちます。そして、存在の原則というようなものをなんとなくわかるようになりました。

 

 


          小説は現実の鏡    

 

 小説を書くということは、私をどこに導いてくれたのか。何を教えてくれたのか?それは、内在する恐怖の自覚と存在の原則の理解であったように思えます。物理学的には、”いかなる物質も運動もバランスをとるように存在する”

数学的には、”無限集合は有限集合からなり、有限集合は無限集合からなる”という概念です。

 

 当然、小説を書くということは、脳細胞の運動の一つです。だから、脳細胞の運動について考察することにもつながります。そう考えると、小説を書くということは、科学的行為のようにも思えます。

 

 物質と運動を解明するのは、科学論文ですが、架空の世界を設定する小説でも、物質と運動の理解へのアプローチができるようにも思えてきます。私の小説がどこに向かっていくかは、未知なるものですが、架空の世界が、実は、現実だったというような驚きをもたらしてくれるような予感もします。

 


春日信彦
作家:春日信彦
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